13.冬の王③

 前方をずんずんと突き進んでいく少女、改め少年の後ろを、リファは縮こまりながら必死に追いかけた。

「ごめん、本当にごめん……!」

「もういい。黙ってついてこいと言っているだろう」

 レイは振り向かず、ぴしゃりと言い放った。このやりとりもすでに五回目だ。


「くっ、ふふふ……こいつの言うとおりにしときなさい、リファ。謝れば謝るほど墓穴だから。ぷぷ」

「貴様……」

 笑いをこらえきれていないサラに、レイの眼光が刺さる。リファは申し訳なさでますます恐縮した。「あたしは最初から男だと気づいてたわよ?」とちゃっかり飛び火を避けたサラは、リファを気楽にからかっている。


 レイは主人の命令に背くことなく、非常に不本意そうではあるが、リファたちを案内してくれた。

 三人が邂逅した場所から、さらに緩やかな斜面を登っていき、森を抜けて開けた場所に出ると、そこには想像よりも遥かに大きな〝街〟があった。


 複数の山々に囲まれ、椀のように大きく窪んだ土地。長く緩やかな傾斜に沿って広がる街には、いたるところに石畳の階段が敷かれていた。両脇には素朴で可愛らしいレンガ造りの小さな家が建ち並び、間を縫うように水路が巡っている。

 森から続く路地を抜けてしばらく歩くと、ひときわ大きな階段が見えてきた。大階段の左右には、酒場や食料品店から工芸品の工房まで、様々な店が並んでいる。


 意外なのは、これほど雪深く厳しい環境にもかかわらず、街が賑わっていることだった。大勢の人々が通りを行き交い、階段の雪を払っていたり、店で買い物をしていたりと当たり前のように生活している。

 なにより、住民たちが皆、寒さを気にも留めていないような、穏やかな表情をしていることが印象的だった。家屋も身なりも質素だが、困窮こんきゅうしている様子はなく、想像していた閉塞的な雰囲気もない。むしろ、初対面のリファとサラにも親しげに声をかけてくる。


「旅人さんとは珍しい。ゆっくりしていきな」

「良いお天気ね、お嬢さん」

 話しかけられるのはレイも同じで、「なーに怒ってんだ、坊主」「旅人さん置いてくなよー」と道行く人が構ってくる。


「なんか、思ってたよりもずっと賑やかだ……」

 声をかけてくる人々に会釈えしゃくをしたり笑い返したりしつつ、リファは呟く。

 レイは早歩きしていた足を止め、ようやく後ろを振り返った。

「当然だ。王都がさびれているはずがない」

「王都?」

「貴様が行きたいと言っていただろう。気がつかなかったのか?」

 呆れ顔で腕を組むレイに、リファは「まさか」と目を見開く。

「ここがフューエンの王都なの?」

「ああ。王都フェリタ、フューエン王国の象徴たる街だ。本当になにも知らないのか」

 レイは深くため息をついて額を押さえた。


 驚いたことに、リファたちは雪山をさまよっているうちに、自力で目的地に辿り着いていたらしい。思いがけない運の良さだ。


「ここがフューエンの王都、ね。よくこんな土地に街なんて作れたこと」

「守神の御座おわす所、信ずる者には加護あり……敬虔けいけんな信者たちが長い年月をかけて築いた街だ。恵まれた地域ならば、家も人間もそうそう労せずして集まるのだろうがな」

「あら、恵まれた地域出身のせまーい見識で悪うございました」

「別にそこまで言ったつもりはない」


 サラの嫌味にレイは眉根を寄せると、「早く行くぞ」とふたたび背を向けて歩き出した。すぐ人をあおるのはサラの悪い癖だ。

 もう少し街のあちこちを見学してみたかった、レイの主をあまり待たせるのもよろしくない。それ以前に、レイに置いていかれたら間違いなく道に迷ってしまう。

 石階段を慣れた足取りでさっさと登っていくレイを、リファは小走りに追いかけた。



・・・・・・



「ここだ」

 レイが示した場所を、リファとサラはぽかんと口を開けて見上げた。


 人間の身長の何倍もある巨大で重厚な門扉が、三人の眼前にそびえている。そこから左右へ、端が見えないほど長い石垣と鉄柵が続く。そして極めつけに、大きな城がその内側にあった。尖塔の先端が視界に入りきらないほど高い。


 驚愕に固まるリファたちをよそに、レイは門扉の前に立っている門番たちに敬礼した。

「御客人をお連れいたしました」

「おお、話は聞いておりますよ。どうぞお通りください」

 門番は気さくな調子でにっこり笑うと、すぐに重たげな門扉を開いてくれた。呆然としたまま門番たちに挨拶をして、先行くレイを追う。


 門の内側には、雪が綺麗に払われた石畳の道が長く伸びている。両脇には隅々すみずみまで手の行き届いた雪景色の庭が広がっていた。

 丸みのある形に刈りそろえられた庭木と、流線模様の彫刻が美しい噴水。堅固でどっしりとした外観から想像していたよりも、楚々そそとした印象を受ける。


 レイに導かれるまま、リファたちは城の中へと足を踏み入れ、あれよあれよという間に奥へと通された。レイがいるおかげか、城内を行き交う人々は余所者をいぶかしむことなく笑って会釈してくる。ハシェルの王宮を訪れたときよりも歓迎されている気がした。


 長く広い廊下を進んだ突き当たり、見上げると首が痛くなるような扉の前で、レイは立ち止まった。部屋を警護している兵に敬礼すると、兵が扉を静かに押し開く。

 そこは謁見えっけんの間のようだった。ステンドグラスのはめ込まれた大窓がずらりと並んでいる。高い天井にはシャンデリアがいくつも吊られており、ステンドグラスの色彩とともに幻想的な光が降りそそいでいる。


「クラウス様。アレイオン、ただいま戻りました」

 レイが足を止め、うやうやしく頭を下げる。銀の髪がさらりと揺れた。


「おかえり、レイ」

 聞き覚えのある柔らかな声がした。ガラスの鳥から発せられたものと同じだ。リファは息を飲んで部屋の奥を見る。

 つややかに磨かれた階段の最上段。天井からカーテンのように垂れた紗が重なっている。その向こう側に、椅子に腰掛ける人影があった。


「どうぞ近くに」

 声に促され、リファはおそるおそる前へと踏み出した。どこまで許されるのだろうかと思いながら、階段の側まで歩み寄る。

 すると、人影が立ち上がり、ゆっくりと紗を持ち上げて姿を現した。


 目の覚めるような白地に微細な金の刺繍が施されたローブが、ふわりと空気を含んで揺れる。

 緩く編まれ胸元近くまで垂らされた、金糸のごとき髪が目を惹いた。微笑を湛えた優しげな面差しと、しなやかで流麗な立ち居振る舞いが、その高貴さをうかがわせる。


 目の前に現れた人物に、リファは強い既視感を覚え、立ち尽くした。

(母様と、同じだ)


 紗の向こうから現れた〝彼〟は、もうずいぶん遠ざかってしまった、花の女王の面影を思い起こさせた。

 姿形が似ているわけではない。しかし、懐かしさで頬を涙が伝うくらいには、まとう空気がよく似ていた。


「お初にお目にかかる。ハシェルの姫君」

 彼はリファのもとへ歩み寄り、静かに笑みを深くする。


「わたしはクラウス・バーシュタイン。フューエン王国の長にして、水の神フィロストの奏者そうしゃだ」


 リファは生まれて初めて、母以外の〈奏者〉と向かい合った。


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