12.冬の王②

 優に百本を越えていそうな矢の群れは、誰が触れているわけでもないのに、空中で一斉にリファサラへやじりを向けた。リファは呆然として見上げることしかできない。

「なるほど。最初のアレも全部ひとりで射ていたわけね」

 サラは気丈に笑っているが、こめかみには汗が滲んでいた。


「……本当に丸腰の相手なら、二度もこの手を使う気はなかった」

 弓が引き絞られると同時に、フードの奥にある紫水晶の瞳が冷たい炎をくゆらせる。

(まずい。本気であの矢をすべて降らせるつもりだ!)

 リファの心臓がひときわ大きく跳ねる。相手の胸三寸で、あれらは一斉掃射されるに違いなかった。完全に捕捉された状態で狙われて、かわせるような距離ではない。


「いいわよ、全部はたき落としてやろうじゃないの」

 意気込むサラの瞳が紅く光る。リファが視認できるほどの濃い魔力が蜃気楼のごとく矮躯わいくの周りに立ち昇った。

「サラ、そんなに魔力を使ったら……!」

「大丈夫、一晩休んで温存してたもの。それより、あんたはちゃんと隠れていなさいよ」

 振り向きもせずにサラは言う。リファよりもずっと小さな背中は、膨大な魔力消費にもかかわらず疲労を感じさせない。しかし、本当に大丈夫なはずがなかった。精一杯の強がりであるとリファには分かる。


「貴様、ただの魔法士ではないな。何者だ」

 魔力の増幅に気づいた少女が問う。対して、サラは鼻であしらった。

「そっくりそのままお返しするわ。そっちだってずいぶん大がかりなことしてるじゃない。もしかして奥の手を出しちゃったのかしら?」

「……れ言を」


 緊張の糸が限界まで張り詰めていた。どちらかがほんの少しでも仕掛ければ、戦いの火蓋は切られる。

 そのとき唐突に、「ピィ――」と、か細く高い音が響いた。


 いつの間にか轟音と振動が止み、しんと静まりかえっていた森に、上空から連続して同じ音が降りかかる。追って聞こえてきたのは羽音だった。

「鳥?」

 頭上を仰ぐと、澄みわたった青空を旋回する影が見えた。優雅に宙を舞うそれは、すぅっと滑空して木の枝にとまる。

 姿勢を正すように羽根をはためかせる仕草は、確かに鳥のようだ。だが、それは見たこともない奇妙な姿をしていた。

「あの鳥、体が透けてる?」

 自分が置かれている状況を一瞬忘れて、リファは鳥に見入った。

 ぱちぱちと瞬くつぶらな瞳も、羽音を鳴らす翼も全て、陽の光を透かして輝いている。それはさながら、ガラスでできた精巧な置物に命が宿っているかのようだ。


 ガラスの鳥は、不自然なほど自然な動きで小さな頭をもたげた。

 鳥の存在に気づいた途端、ハッと少女の顔色が青くなった。空中に展開していた矢が光の粒となって霧散していく。少女は銀の弓だけを手に残して臨戦態勢を解いていた。

 少女は、悠々としてこちらを見下ろしている鳥のもとに駆け寄り、雪の上に膝を突くと、深々と頭を下げる。

 突然の行動に、リファとサラは呆気にとられた。


 摩訶不思議なガラスの鳥と、それにひざまずく美しい少女の図は、物語の挿絵になりそうなほど幻想的な光景だった。しかし、どんな状況なのかさっぱり分からない。

 さらに耳を疑ったのは、鳥から発せられた〝声〟だ。


「さすがに、これはいただけないね。レイ」


 鳥のさえずりではなく、明確な言葉としてリファたちの耳に届く。

 奇天烈な夢を見ているようだとリファは思った。ぽかんと口を開けて、鳥と少女を交互に見る。


 レイと呼ばれた少女は、マントの下の身体を萎縮いしゅくさせて、さらに深く平服する。

「……申し訳、ございません」

「なにか弁明はあるかい」

 穏やかで優しい声だが、そこには逆らいがたい圧があった。ガラスの鳥に表情はないが、少女を叱っていることは分かる。


「勝手なことをいたしました。如何様いかような罰も甘んじて受け入れます」

「そういう言葉を聞きたいわけではないんだよ。わたしが問うているのは、君が倫理に沿わぬ行動をとった理由だ」


 少女にとってはかなり手痛い指摘だったようで、うつむいたまま言葉を詰まらせた。

 少女はガラスの鳥の問いには答えず、「申し訳ございません」と謝罪を重ねる。殻に閉じこもるかのように沈黙してしまったレイに、やれやれといった風にガラスの鳥は嘆息した。


「君は、昔から変なところで頑固だ。まぁいい、お説教は後にしよう」

 つるりとしたガラス玉の瞳が、リファとサラへ視線を移した。

「さて、うちの子が失礼をしてすまなかった。怪我はないかい?」

「は、はい。大丈夫です」

 リファは唐突に話を振られて驚く。サラも困惑しているはずだが、努めて平静に「おかげさまで無傷よ」と嫌味を返していた。


「怖い思いをさせてしまったね。彼のあるじとして、非礼をびよう」

 ガラスの鳥が小さな頭を下げる。

「……その鳥、遠隔操作の使い魔ね? 本体を隠して謝罪するのが、そちらの礼儀なのかしら」

 魔法で動かした木々を森の中に戻しながら、サラは皮肉を口にする。「ちょっとサラ」とリファはたしなめた。


 声の主は特に気にさわった様子もなく、声色に笑みを滲ませた。

「確かに、使い魔越しの謝罪では礼に欠ける。面と向かってきちんと謝罪を述べたいところだが……わたしは直接そちらに出向くことはできない立場だ。君たちがよければ、わたしの屋敷まで来てほしい。お詫びに、相応のもてなしをすると約束しよう」


 声に合わせ、歓迎するように鳥が羽を広げる。

 思ってもみなかった展開に、リファは目をぱちくりさせた。

「私たち、引き返さなくてもいいんですか?」

「そんな冷たいことは言わないさ。女の子二人を雪山に放り出すような無体はしないよ」

 あっけらかんと放たれた言葉に、レイがぎくりと固まる。この声の主、わざと痛いところを突いている。


「雪が降り始める前においで。あと、分かっているとは思うが、彼女たちの案内は君が責任もってやるんだよ、レイ」

「はっ? 俺がですか」

 レイは弾かれたように顔を上げる。

「当たり前だろう。そもそも、彼女たちを一方的に襲ったのは君だよ。きちんと落とし前はつけなさい」

「し、しかし……」

「いいね?」

 有無を言わせぬ声に釘を刺され、レイはぐっと言葉に詰まる。そして逡巡の後、「御意ぎょいに」と頭を下げた。つい先ほどまでの気迫はどこへやら、完全に押し負けている。レイは、あの鳥を操っている人物には逆らえない立場らしい。

 

 とにもかくにも、これで身の安全は確保された。リファはほっとして胸を撫でおろす。

 と、そこで、ある違和感に気がついた。

(――の主?)

 首をかしげて、レイのほうを見やる。先ほど顔を上げた弾みでフードが取れたようで、隠れていた相貌が露わになった。


 陶器でできたような白い肌。ぱっちりとした紫水晶の瞳。人形のごとく整った面立ち。風になびいてきらきらと輝く銀の髪。

 改めて見ても、認識をくつがえすのは難しかった。己の勘違いに気づかされたリファは、呆然として白い美貌を見つめる。


「では、わたしは屋敷で待っているよ。無理に急がなくともいいからね」

 ガラスの鳥は可愛らしく片目を閉じると、大きく翼を広げた。飛び立つのかと思いきや、透明な身体がぐにゃりと崩れて水へと姿を変える。水はぐるぐると渦巻いた後、ぱちんと弾けて霧散していった。


「なるほどねぇ。水の魔法で使い魔を作るなんて、器用なことするわ」

 サラにしては珍しく、感心した様子で呟く。

 確かに、あの使い魔はすごい。だが、リファにとって最大の驚きはそこではなかった。


「……ねえ、レイ」

「なんだ。気安く呼ぶな」

「確かめたいことがあるんだけど」

 リファはゆっくりとレイに近寄った。鬼気迫るまなざしに気圧されたのか、レイは後退ろうとする。


「レイって、男なの?」


 そのとき、リファは思い知った。

 逆鱗に触れるとはこういうことなんだな、と。

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