7.使命①

「女王陛下がお呼びです」


 司宰の一言で、少女のやや頼りない背中が、また怖じ気づいてわずかに跳ねるのをヤナギは視界の端でとらえた。それでも少女は、背筋をしゃんと伸ばしたまま「分かりました。参ります」と答える。


 先ほどよりも、迷いが見られなくなった。

 自分の立場を他者から突きつけられ、もう少し怯むものかと思っていたが、たった一言二言、言葉を交わしただけで彼女は腹を決めた。


(甘く見すぎていたかもな)

 自他共に認めるほどの彼女への過保護さにヤナギは自嘲する。


 森から出て一人で立ち回れるほどの図太さはないものの、ここまで来る間も、彼女はけっして引き下がらなかった。それだけでも十分な成果だろう。

 できれば今日は家に帰してやりたかったが、そうは上手くは運ばないということもヤナギは承知していた。だからこそ、連れて来たくはなかったのだ。


 司宰に促され、リファは王宮のほうへと固い動作で歩き出す。付き添おうと後に続いたヤナギを司宰がめつけた。

「カーディナル。貴様の同行は許可していない。自分の仕事に戻れ」

 先ほどとは打って変わって重く冷たい低音で言い放たれ、ヤナギは小さく眉を動かした。あからさまに顔をしかめると叱咤されかねないので、無表情を保ったまま口を開く。

「……失礼ながら申し上げますが、彼女をここまで警護してきたのは自分です。それに、姫様も王宮へ入るのは五年ぶりですし、慣れた者が同行したほうが――」

「黙れ」

 司宰がヤナギの言葉をさえぎる。

「意見できる立場か、貴様は。身の程をわきまえろ」


 有無を言わせぬ言葉の圧と眼光。ヤナギは胸の内で嘆息した。

(これは食い下がっても無駄だな)

 口にした意見は本心だ。今のリファは必死に肩肘を張っているが、この先もそうとは限らない。可能な限り、彼女を安心させる要素を残しておきたかった。


 さてどうしたものかと思案し始めたヤナギを、振り返ったリファが見やる。

 頭上で咲きほこる並木の花とよく似た薄紅うすくれない色の瞳は、未だに不安と困惑を滲ませているものの、まっすぐにヤナギを捉えていた。

 

 ――私は大丈夫。

 そう、彼女の唇が小さく動いた。

「……承知いたしました」

 ヤナギは口元をわずかに緩ませ、司宰ではなくリファのほうを見て呟くと、敬礼して引き下がった。


 司宰はそんなヤナギとリファのやりとりに気づいていたのか、呆れたような目でヤナギを一瞥いちべつしたが、「では参りましょう、姫様」とうやうやしい態度に切り替えてリファを連れて行く。近衛隊もその後に続いた。


 仰々ぎょうぎょうしい一団に囲まれて王宮へと向かう幼馴染の、緊張を隠しきれない背中を見送る。

 五年前、リファがこの王宮を出たときも、ヤナギは去り行く後ろ姿を見つめていることしかできなかった。向かう方向が逆になっても、自分は最後まで彼女とともに行くことはできないらしい。


 リファたちの姿が見えなくなったところで、肩の力を抜く。

 自分の仕事に戻れ、と上官に言われてしまったからには仕方がない。

「……本当に、人使いの荒い上司だ」

 これくらいの愚痴ぐちは許されるだろうと、苦笑まじりに独りごちた。


 リファたちは正面の門から入って行ったが、あくまで王宮のいち従者でしかないヤナギがそこを通ることはできない。

 リファたちが中に入って、正門が完全に閉じられたことを確認してから、ヤナギは外廷の裏門へと足を向けた。 


 正門は基本的に位の高い人間か、正式に招待された賓客しか通されない。が、裏門であれば、王宮の関係者であることを示す身分証明さえ持っていれば入ることができる。

 ヤナギは所属と名前が印字された木版の身分証を門番に提示して、いつも通り王宮の裏門をくぐった。


 と、そこで、出入り口の前に腕を組んで立っている男がいることに気がつく。つい先ほども目にした、白と金が煌びやかな衣裳を纏っている人物は、明らかに誰かを待っている様子だ。

 その顔を見て、ヤナギはまたぞろため息をつきたくなった。


 向こうがこちらを認識する前に通り過ぎようとしたが、さすがに無理があったらしく、「おいこら、待て!」と引き留められる。そのまま無視して立ち去ろうかと思ったが、追いかけられると面倒なので渋々と振り返り、作り笑いを浮かべた。


「おや、姫様に付いていなくてよろしいのですか? 近衛第一部隊隊長殿」

 微妙に強調された〝副〟の部分に含みを感じたらしいその男は、眉をひそめてヤナギをにらんだ。

「……仮にも目上相手にその態度はなんだ、ヤナギ。いつまでもそんな調子だから、父上にも厳しく当たられるのだぞ」

「父上、ではなく〈司宰様〉とお呼びするべきかと。王宮内で私情を挟んでいると噂されれば、職務評価に響きますよ。アスタルフ・クラーガ副隊長殿」

 ヤナギはわざとらしく丁寧な口調で述べた。


 アスタルフはヤナギの指摘に「ぐっ」と言葉を詰まらせ、苦々しい表情になる。

「お前というやつは……どうしてこうも生意気な口ばかりきくのか」

「嫌だな。ちゃんと敬意は払っているつもりですよ。近衛第一部隊の次期隊長と目される期待の出世株……そんな貴方に無礼をはたらこうだなんて、まったくこれっぽっちも」

「だから、そういう態度が不敬だと言っておるのだ!」

 あと少しで青筋が浮くかという怒りの面持ちでアスタルフが指をさしてくる。


(からかうのはここまでにしておくか。説教に入ると、絶対に長くなる)

 ヤナギは胸の内でうなずいてから、「まぁそれよりも」と笑顔のままで受け流した。

「先ほどもお訊ねしましたが、なぜ、貴方がこんなところにいらっしゃるのです? 姫様と一緒に女王陛下のもとへ向かったとばかり思っていたのですが」

 揶揄の色を消して問うと、アスタルフは自分の用事を思い出したのか、「ああ、そうだった」とあっさり怒りを鎮めた。コホンと咳払いをひとつして、居住いを正す。


「単純なことだ。王宮の中でまで警護をする必要はないからと、我々近衛隊は下げられた。あとは司宰様が女王陛下のもとへお連れするとのことだ」

「なるほど。早々にお役御免になって暇だったから、外に置いて行かれた哀れな身内をわざわざ慰めに来てくださった、と」

「誰もそこまでは言っていないだろう」

 ヤナギのひねくれた言い方に顔をしかめつつ、アスタルフは腰に手を当てる。

「お前を待っていたのは、司宰様から伝言を預かっていたからだ」

「伝言?」

「ああ。『仕事が済んだら、必ず報告に来い』だそうだ」

 ごく簡潔なその内容に、「このようなこと、伝えなくとも分かるだろうに」と、やや不服そうにアスタルフがぼやく。体よく使い走りにされたことが気に入らないのかもしれない。


「報告……ね。まぁ、身内といえども信用が薄いのはいつものことですから」

 ヤナギが笑って肩をすくめると、アスタルフは眉間の皺を深くした。そういう顔をすると、王宮内でも指折りといわれる目つきの悪さに拍車がかかる。

「司宰様は親戚筋の人間だからといって甘やかすような方ではない。ましてや、お前のように口の減らない生意気な部下では、風当たりが厳しくなるのも当然だろう」


 信用を得たいなら態度を改めるべきだ、と生真面目に説くアスタルフに、ヤナギは「やれやれ」とかぶりを振った。

「お説教は後でもよろしいですか? これから仕事なので。出遅れると叱られるのですよ」

「……ふん。まぁいいだろう。くれぐれも司宰様に失礼のないように。お前とて、いつまでも子ども扱いで赦してもらえるわけではないのだからな」

 鋭い双眸がヤナギを睨む。その目つきにしろお堅い態度にしろ、父親である司宰の面影がうかがえた。似ているというよりは、彼自身が似せようとしているのだろう。


 名誉ある近衛第一部隊、しかもその副隊長とはいえ、父親の権威による異例の早期出世で今の地位にいる彼はまだ若く、青臭さが抜けない。

 もちろん、親の七光りだけで得た名声ではないことも事実だ。剣と魔法どちらの腕にも優れ、実直かつ勤勉。部下からの信頼もそれなりに厚い。その反面、一部の人間から妬み嫉みを買いやすいことを本人はあまり自覚していないようだが。


 そんなアスタルフが尊敬する父――司宰サガントは、王家四族が一角・クラーガ家の現当主でもある。サガントの言葉はクラーガ家とその一派にとって絶対の旗印だ。逆らおうとする者などいない。


「……子ども扱い、か」

「うん? 何か言ったか」

 息をこぼす程度に留めたヤナギの呟きに、アスタルフが首を傾げる。ヤナギは「なんでもありませんよ。それでは」と素知らぬ顔でアスタルフに背を向け、その場を離れた。

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