第12話
ズズッ
「・・・ふぅ。」
これでよし。
マルは,できるだけ音が出ないように慎重に隠し通路の穴をふさぎ,遠目から不自然じゃないか確認した後,脇に挟んでいたハンカチで頭の傷を抑えながらトイレのカギを開ける。
ギッ
ドアを開けると,飲み水台の近くで,今しがた取り替えたであろう飲み水のバケツを腰に手を当てて眺めているスペクタが目に映った。
(・・・あの様子だと,気づかれては無さそうだな。まぁ扉も閉まってて距離もまぁまぁあるもんな。石ひきずって音出したときはヒヤヒヤしたけど,問題なさそうでよかったぜ。)
マルは心の中でホッと一息つく。
「・・・ん?おうマル。ちょうど新しい水の取り換えが終わったところだ。突っ立てないでこっちにこい。傷口を見てやる。」
スペクタはマルに気が付き,声をかけた。
「・・・ああ。」
マルは,素直にスペクタに近づいていく。
「どれどれ・・・。」
スペクタがマルの頭に手を当て,髪をかき分けて傷口を見る。
「・・・。」
スペクタの手はごつごつしている。そして冷たい。リザードマンは変温動物だから人間よりも体温が低いのだ。
ちょっぴりひんやりとした感触が頭に伝わる。その感覚が,不快であるわけがない。心地よささえ感じてしまっている。
(・・・ほんっとうに嫌になる。)
マルはそんな自分に嫌悪感を抱いている。スペクタに触れられることで安心感を覚え,できるだけ長い間触っていてほしいという欲求さえ生じてしまっている自分に。
さっきもだ。
さっき「傷口を見てやる」って言われたときも,いい気分になってる自分がいた。どれだけ奴隷根性が染みついているんだ俺は。こいつは敵なんだ。悪なんだ。さっさと嫌いになってしまえ。
「・・・血はまだ若干滲み出てるな。でも,このくらいの怪我なら包帯を巻く必要は無さそうだ。一応血が完全に止まるまではハンカチで抑えとけ。明日の朝まではそのハンカチ貸すからよ。」
「・・・うん,分かった。」
スペクタの手がマルの頭から離れる。
(・・・まぁ,もうすぐこういう思いも抱かなくてよくなるんだけどな。)
そんなことを思いながら,マルは言われた通りに左手に持ったハンカチで頭の傷を抑えた。
「さてと。そんじゃさっさと壺取り換えるかな。」
そうしてスペクタは翻り,彼の横にある二段台車の方を向く。
二段台車には,一段目にバケツが二つ,二段目に壺が一つ乗っている。一段目のバケツは,蛇口のついたバケツと水受けのバケツであり,先ほど取り替えた古いものだ。二段目の壺は蓋がかぶせてあって二つ耳がついている。壺といっても細長くはなく,どちらかと言えば四角形に近い。口が出っ張ったホームローリータンクのようなものだ。この壺が糞尿をためる容器である。
二段台車を押そうと取っ手に手を掛けたところで,
「あっ,そうそう。」
とマルの方に顔を向けた。
「少し気になったんだが,今日は一日中ここにいるつもりなのか?」
「・・・うん,そのつもりだけど。何だよ,何か問題でもあるのか?」
マルは少し不機嫌そうにそう返答する。
「いや,別に問題があるとかではないんだが。もし止血がおわって,身体も大丈夫そうならバツのところに行くのもいいんじゃないかと思ってな。ほら,バツはお前の分も採掘してくれてるわけだろ。」
「えっ,俺の分もっ!?」
思わずすっとんきょうな声を出すマル。
「あれっ,バツから何も聞いてないのか?」
「いやっ,あいつは俺の分は免除されるって・・・。」
「免除?いや,免除はされないぞ。熱が出たわけでもないんだから。」
「・・・。」
(あいつ,嘘つきやがった!!)
ほんっと変なところで気ぃ使いやがって。
マルはボソッとそんなことを呟きながら,出口に向かって歩いていく。
「えっ,マルお前どこ行くつもりなんだ。」
「バツのところだよ。手伝いに行く。」
(流石に身体を問題なく動かせるのに,バツに俺の分の仕事までやってもらうっていうのは嫌だからな。)
「もう行くのか?流石に身体は大丈夫でも,血が止まってから行った方が─」
「このくらい歩いてるうちに止まるよ。そんじゃ,行ってきます。」
そうして,マルは休息所から離れていった。
「まったく,マルのやつ・・・。」
スペクタは,そんなマルの背中を見えなくなるまで見送る。
「・・・さて,そんじゃ,さっさと確かめるか。」
マルの足音が完全にしなくなったところで,スペクタはそう呟いた。
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