第10話

ずるっ,ずるっ




「・・・やっと」




(やっと,やっと,やっとっ!やっと開通できたっ!今日中には逃げられるっ!あの場所にはリザードマンが近くを通ってる形跡はなかった。穴はそのままだけど,流石に今日バレることはない筈だっ!今夜逃げる。バツに知らせて,バツと一緒に逃げる!)




マルはウキウキな気分で,狭い隠し通路の中,休息所のトイレへ向かって匍匐前進していた。


不意に,不安がマルを襲う。




(逃げたあとはどうしよう?・・・とりあえず情報収集しなきゃだよな。バツの聞いた話が正しければ,俺たちの元居た世界に通じる時空の裂け目がどこかにあるはずだからな。とにかくまずは森に入って,できるだけ遠くまで逃げたあと,時空の裂け目がどこにあるのか探さねぇと。・・・うーん,そう考えると結構不安だなぁ。逃げた後,どうやって情報収集すんのかも決めてねぇし,そもそも外のことあんま知らないのに逃亡生活なんてできるんだろうか?・・・いや,弱気になるな俺。逃げた後のことなんて今は考えなくていい。どんなに自信がなかろうと,今日開通させた時点で今夜バツと一緒に逃げるってのは決定事項だからな。さっさと行動に移さねぇとその分隠し通路の存在がばれる可能性が上がっちまうし,もたもたしている内に卒業なんてことになったら,俺の今までの苦労は何だったんだってなるしな。それに,バツと二人なら何とかなるだろ。)




そんな謎の前向きさで不安を振り払ったマル。前を向いて黙々と這い進んでいく。




(・・・おっ,やっと出口が見えてきた。トイレの匂いもしてきたぜ。うーん,くっせぇ。ようやくこの狭い隠し通路から出られる。・・・さて,出た後はそうだな。とりあえず大広間でバツがどの辺にいるのか聞いて,バツの採掘の助太刀に行くか。バツに隠し通路のこと知らせて,そんでもって・・・いや,だめだ。採掘中は他の奴らに聞かれるかもしれないからな。そうなったらめんどい。最後の最後でスペクタ達にばれて処刑,なんてことにもなりたくねぇしな。とりあえず,夕食のときとかにそれとなく匂わせて,みんなが眠ったころに伝えてやるかな。そのまま二人で一緒に逃亡しよう。・・・うん,その方がいいな。そんじゃ,とりあえず休息所でじっとしとくか。・・・いやぁ,なんだかうずうずしてきたぜ。あいつ,ぜってぇびっくりするだろうな。大声出しそうになったら手で口抑えてやらねぇとなぁ。)




ごろごろ




(!!?)




妄想にニヤニヤしていたマルは,台車の音が聞こえてきて総毛立つ。手足の動きを止め,耳に全神経を集中させる。




ごろごろごろ




聞き間違いであって欲しかったが,聞き間違いではない。マルはすぐさま手を伸ばし,隠し通路の出口へと急ぐ。音は右側,休息所の方から聞こえてくる。




こんな時間に誰がっ?




「マルぅー。」




その瞬間,そのスペクタの声を聞いた瞬間,マルは合点がいき,「しまった。」と,とてつもない焦燥感に駆られた。




(そうかっ!取り換えかッ!)




マルは,大事なことを失念していた自分になんてバカなんだろうと思いながら,必死に前へ前へと這い進んでいた。










監督官の仕事には,休息所の水の取り換えと便器の取り換えが含まれている。子供たちのいない午前中に行われる作業であり,監督官の一人が二段台車で休息所にやってくる。したがって,子供たちは普段この業務があることを意識することはなく,そのような業務が行われていることを知らない子供すらいる。マルもすっかり失念していた。取り換えの作業があることを全く考慮せずに,意気揚々と隠し通路の開通に挑んでしまったのだ。








ズッ,ズッ




(クソっ!狭くて早く進めねぇっ!無理に進もうとするとゴツゴツした部分に服が引っかかるっ!ちきしょう,なんだって今取り換えに来るんだよ!もうちょっと遅くに来てくれよっ!せっかく隠し通路を開通させたってのに,こんなところでバレるなんて,そんなこと・・・。いや,ちょっと待て。台車の音が聞こえなくなってる。最初に聞こえた音はちょっと遠かったし,トイレの近くで止めたってわけでもなさそうだ。・・・そうか!先に,飲み水の取り換えをしてくれてるんだ!やった!助かった!この距離ならあと30秒あれば出れる。飲み水の取り換えにどれだけ時間がかかるかは分からねぇが,少なくとも30秒以上はかかるはずだ。出た後は隠し通路の穴に石を戻してふさぐまで,「今大便してる」とか何とか言って適当に時間を稼げばいい。よっしゃ希望が見えてき─






コンコンコンッ




(dkぁんぐぃおpjkぁ!!?)




何の前触れもなく響いてきたトイレのドアをノックする音に,マルはビクッとする。




「おいマル。返事ぐらいしろ。聞こえてるんだろ?」




「・・・。」




ズッ,ズッ




スペクタがトイレのドア越しにマルに呼びかけている。しかし,マルは返事を返さない。それどころか息をひそめてひたすら這い進んでいる。




今ここで返事をすれば,声の方向やくぐもり方で相手に違和感を抱かせてしまう可能性があるからだ。


隠し通路を開通させた今,隠し通路がばれるような事態は何が何でも避けなければならない。




(水の取り換えしてるんじゃなかったのかよっ!来るんなら台車と一緒に来いよ!なんで台車だけ途中で止めて来るんだよっ!めちゃくちゃびっくりしたじゃねぇかっ!・・・はぁ,まぁいいや。さっきまでテンパってて忘れてたけど,そもそもドアにはカギがかけてあるんだ。スペクタは入ってこれない。返事がなくて怪しまれちゃうだろうけど,適当に「さっきまで寝てた」とか「踏ん張ってて返事する余裕がなかった」とかなんとか言って言い訳すりゃあいい。・・・そうだ,その通りじゃねぇか。そう考えるとぜんぜんピンチじゃねぇっ!トイレにカギがかかってる以上,スペクタは入れないんだから。)




カチャカチャ




「へっ?」




安心しきっていたマルの耳が,トイレのカギをいじる音をキャッチする。




(はっ?この音・・・あいつっ,もしかして!?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る