第24話
学校なんていつも同じことの繰り返しで、受ける授業の内容は少しずつ進んではいっているものの、あまり面白味はない。今日はいろいろあるし、また昼からサボっちゃおうかなぁ、なんて思ってたら、満照も同じことを考えてたみたいだった。
お弁当を食べながら、僕が「もう帰っちゃおうか?」と軽く言ってみたら、「そうだな」と言われたので、なんとなく帰り支度を始めてしまう。僕と違って満照はそのルックスと体格で存在感はあるので、クラスメイトは帰り支度をする満照を盗み見たりしてたけど、満照の早退癖は別に昨日今日始まったものでもなかったので、誰も何も言ってこない。僕に至っては存在さえ確認されていないようなものなので、すぅっと教室の壁抜けでもするように廊下に出られた。
そのまま普通に学生鞄を持ってロッカーに行くけど、すれ違った先生でさえ何も言わなかった。こういうのを「いじめ」と受け取る人は多いんだろうけど、僕も満照も他人との距離感がわからないし、できれば放置しておいてくれた方が楽だと思っている方なので、こっちも何も感じない。こういう関係は〈良好〉と言ってもいいのか迷うところだけど、険悪とか対立とかよりはずっといいと思う。だって面倒臭くないからね。
誰にも何も言われずに正しいルートで正門を出て、駅に向かう。そこで満照はいつになく申し訳なさそうに僕に謝った。
「ごめんな。その、いろいろと」
僕は昨日妹からの手紙を読んだ時から予想していたことなので、そのまま驚きもせずに「いいんだよ」と返した。
「だって妹だって気付いてたんだしね。満照もハメられたみたいなもんでしょ? あいつも酷いなぁ」
「俺の注意が足りなかった。でもやっぱり兄妹だよな。頭から疑ってなかった」
「そんな信頼関係を築いてきた覚えはないんだけどねぇ」
「それが血のつながりってやつなんじゃないか?」
じゃあ満照と灯理さんとの間にも、僕たちには立ち入れない絆みたいなものがあるのかな? まぁ、生まれた時から一緒に同じ環境で育ってきて、いい面も悪い面も見てきたら、それなりの人間関係は築けるものなのかも知れない。いくらそれが不得意であっても、家族とのコミュニケーションすらできないなんていうのは特殊だ。まぁ、そういう人もいるのは知ってるけど。
「妹にはなんて連絡したの?」
「兄貴連れてお見舞いに行くからよろしくって。そしたら、人払いしとくって返ってきた」
「人払いねぇ……」
きっと、大好きなみっくんが来るから母親には来なくてもいいとか言ったんだろう。親より男か。妹もお年頃女子だね。
「あと、待ち合わせ場所は病院の裏手の池のある中庭だって。お前わかる? 昔通ってたんだろ?」
それが問題だった。僕はあんなに通った病院なのに、全然覚えてないんだ。病棟内の区割りなんかは当然のことながら、車椅子の男性がよくいた中庭が池に面してたかどうかも記憶にない。最初から覚える気がなかったんだろうし、もう何年も前のことだから忘れてるのかも知れない。それを正直に満照に話すと、おとなしく「やっぱりそうか」と言っただけだった。
最初から覚える気がない癖は、あまりよくないのかも知れないなぁ。やっぱり「いざという時」っていうのはあるもので、その時にまったく記憶にないのは困る。まぁ、これから行く病院はコの字型をした建物だから、その一番裏手のジメジメした辛気臭い場所に行けばいいって思ってたし、多分それでたどり着けるとは思うんだけど。どれだけ頭の中で反芻しても、何も思い出せないまま病院に着いた。
実際に玄関や建物を見ても、何の感慨も湧かない僕はやっぱり薄情者なんだろうか。ただ、出入りする患者さんの中にはやっぱり病死の気配をまとった人が何人かいて、これから中に入ればもっとたくさん感じることになるんだろうなぁっていう不安はあった。でも、妹の無事が確認されるなら構わない。そう、昨日決めたんだ。まだ決心は揺らいでない。
「病院の裏手で暗い場所っていうと、だいたいこっち側だろうな」
結局満照の感覚に頼って日陰を辿り、妹と約束した池のある、確かにあまり病人は寄り付きたくないような辛気臭い雰囲気を持った場所に着いた。ささやかな木製のベンチに、もう妹は薄緑色の病衣を着て座っていた。僕たちを見るなりパッと明るい表情になって、そんなに離れているわけでもないのに「おーい」と大きく手を振ってくる。
僕は瞬時に安心した。大丈夫だった。妹は、死なない。死の気配をまとってはいない。何も感じない。ただ──良かった。力いっぱいホッとして、膝がガクガクした。
隣でそんな僕の様子を窺っていた満照にも、妹が大丈夫だということが伝わったみたいで、ポン、と肩を叩かれた。それで僕はハッとして、妹に向かって軽く手を上げた。
「どうよ? 私の健康状態は」
僕が妹に近付くなり、自信満々にそう訊いてきた。それはきっと、自分は死なないだろう、と主張してるんだろう。
「いつも以上に健康そうで何よりだね」
「でしょー?」
ベンチの中央に座っていた妹に、ここに座れと隣を叩かれる。多分本来なら、満照、僕、妹、っていうのが妥当じゃないかと思うんだけど、妹は両手に花を望んだというか、単純に満照の隣に座りたいだけなんだろうけど、満照、妹、僕、という並びになった。それでベンチの中央に座ってたのか。単純に場所取りかと思ってたんだけど。
僕としては、こんな状況で満照と離れて座るのは少し不安だった。別にいつも一緒じゃないと何もできないっていうわけじゃないんだけど、たとえばまた妹が具合が悪くなったり、難しい話になったりした時に、どうしたらいいかわからないからだ。満照は〈もっと頼れ〉って言ってくれてるけど、よく考えたら僕はもう相当満照には頼りまくっていて、依存しているのに近いのかも知れない。今まで気付かなかっただけで。無知は罪だね。
妹に言われるままに彼女の右側に座ったけど、僕はなんとなくもじもじしてしまう。家で食事をする時にも隣に座ってるのに、なんだか久しぶりっていうことと、場所が知らないとろこだっていうだけで、こんなにも居心地が悪くなるものなのかな。
「で、どうなの? お兄ちゃん。私は、死ぬの?」
めちゃくちゃ単刀直入に訊かれたので、僕ははぐらかす方法もわからずに、素直に答えた。
「お前は死なないよ。一ヶ月以上先の保証はできないけどね」
「やっぱり一ヶ月先はわかんないんだ? じゃあ明日になったら変わってるかもだね」
「怖いこと言わないでよ。お前は死なないよ」
妹は舌を出して笑った。ちょっとからかっただけのつもりなんだろうけど、そういうのは僕にとってはかなり負担になるからやめて欲しい。まぁ、死なないってわかっただけでもかなり肩の荷は降りたけど。
「今は? 隣の人とか、大丈夫?」
「大丈夫だよ。ここはいい場所だね」
嫌味を込めて言ったつもりだったんだけど、妹には素直に受け取られてしまって、「でしょ?」とない胸を張られてしまった。僕と違って素直だから、何でも言葉通りに受け止める。それが年齢的なものなのか性格的なものなのかはまだハッキリしないけど。
「みっくん、ありがとうね。お兄ちゃんを連れてきてくれて。バカ兄はみっくんがいないと何もできない子なんです」
「そんなことないよ。お見舞いに行くって言い出したのはこいつの方だから」
「ええっ? そうなんだ? 意外だねっ!」
自分で来いって手紙を書いておきながら、来たらこの対応って何なんだ。「みっくん」と「お兄ちゃん」の差がこんなに大きいとは思わなかったよ。
妹はひとしきり僕を無視して満照と会話を楽しんだ後、「あ、何かジュースでも買ってくればよかったね」と言った。話したから喉が渇いたんだろう。
「じゃ、俺が買ってくるよ。場所どこ?」
妹は「ごめんねぇ」と言いながらもその言葉に乗っかるようで、最寄りの自販機の場所を教えた。満照は鞄を置いて、ポケットの財布を確認して歩いて行く。
「まぁ、その、なんだな。ありがとうね、お兄ちゃん」
歩き出した満照の後ろ姿を見送りながら、妹が僕に向かって改まった口調で言った。
「何が?」
「わざわざ辛い思いをしてまで病院に来てくれたこと」
「別に辛くないよ。妹のお見舞いに行かない薄情な兄なんて言われたくないからね」
「ホントに薄情なんだから間違ってないじゃん」
「改めて言われると傷付くなぁ」
いつもの兄妹の会話だ。別に仲がよくも悪くもない、だけど幸せな家族の普通の会話。
「私が死んだら、哀しい?」
「そりゃ哀しいよ」
「でもそれ以上に?」
「それ以上?」
「もっと辛いのは?」
妹は僕の答えを知っているように訊いてきた。満照に聞いてるのかも知れないから、誤魔化さずに正直に言うことにする。
「お前が死ぬことが、事前にわかってしまうこと、かな」
そう。本当に死んでしまうことよりも、その前にもうすぐ死んでしまうってわかってしまうことが、僕にとって一番嫌な瞬間だ。人が死ぬのは仕方ない。病死なら尚更だし、不慮の事故よりは諦めがつくと僕は思ってる。弱っていく姿が目に見えるから、覚悟を決める猶予も多少はあるだろうし。
だけど、死ぬことがハッキリとわかっていながら何もできないのは、何よりも酷だ。それが大事な相手ならなんとかしたいと思うだろうし、それでもどうにもできないことがわかってるから、そんな無力な自分を呪うだろう。辛いと言えば、辛い。痛い。
「私が死ぬ時は、ハッキリ言ってね」
「お前は死なないって言ってるじゃない」
「それは今は、でしょ? これから先、私が何か重い病気に罹ったら教えてよ。やりたいことやってから死にたいからさ」
どんな時にも前向きな妹の言葉に、僕は少し救われた。
そうか、死ぬ人に死ぬことを教えても、そう捉えて頑張れる人もいるんだね。みんながお前みたいにまっすぐな奴だったらいいのに。
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