第23話

 満照のお祖父さんがいた。でも声を覚えてないから何を言ってるのかわからなかった。

 瑞慶覧が遠くに見えた。相変わらず腕を組んで、斜めに僕の方を見ているけど、何を言うでもなかった。

 名前は知らないけど、テレビでよく見たことのある芸能人がいっぱいいた。誰が末期ガンで誰が多臓器不全だったかなんて覚えてないけど、今にも死にそうな顔をした元気のない人はいなかった。

 知らない人がたくさんいた。でもそれは多分一度は出会ったことのある人で、たとえば駅のホームだとかコンビニだとかですれ違った程度の関係なんだろうけど、その時に僕が「ああ、この人も死んじゃうな」って感じた人なんだと思う。誰も僕を見なかった。

 僕は誰も救えなかったし、運命も変えられなかった。そこまでしてあげる筋合いはないし、そんな手段もないから仕方がないんだけど、それでも僕の残り少ない良心は痛んだ。僕の命が誰かの代わりになれれば、一人だけでも救えたのに。死にたがりながら無駄に生きてる僕の命より、ここにいる人の将来の方がよっぽど明るくて役に立つだろうに。

 それでも生きているのは僕で、ここにいる人たちはもうみんな死んでいる。死んだ人はもう戻ってこない。万一転生なんていうことができても、同じ人にはなれないし、同じ人生も送れない。それはもう、ただの他人だ。僕だって、僕になる前は何だったのかは知らないけど、今は僕として生きてるだけで、その前の何かとは違う。

 人間の一生は、一度きりだ。世の中では、どんな死に方をするかじゃなくて、どんな生き方をしてきたかが重視される。でも、死んでからようやく評価される芸術家もいれば、忘れ去られていくだけの人気アーティストもいるから、実際のところどうだかわからない。生きている間に、どれだけ多くの人に、どれだけ深く愛されたか。どんな社会的影響を与えたり貢献したりしたか。

 でも最終的に、個人の心の問題になるんだろう、結局のところは。

 たった一人にでも、これ以上ないくらい愛されればそれで本望だろうし、遺された作品が社会的に評価されなくても、子供たちが大事に保存して受け継いでくれればそれでいいのかも知れない。人の価値観なんてそれぞれで、死ぬ間際にその人が幸せだったかどうかなんて誰にもわからないんだ。「苦しまずに済んでよかったね」なんて言われても、本人はもっと生きたかったかも知れないし、「まだ若いのに……」と言われても、実は死ねてせいせいしてる人だっているだろう。

 僕は今、どうしたい?

 ──死にたい。

 本当に?

 ──多分。

 どれくらい?

 ──夕飯はなくてもいいやってくらい。

 あんまり本気じゃないね。

 ──そうかな?

 そうだよ。そうだね。そうなんだ。

 僕が今一番したいことは、妹のお見舞いに行くことなんだろうな。


 閉じこもっていた殻が砕けて生まれたてのように汗まみれになった僕は、ひとまずシャワーを浴びてスッキリした。土曜日に母親が買って来てくれたプリンが一つだけ残されていて、賞味期限が今日までだったから、食べることにする。まだ父親が帰宅してないので、夕飯は鍋の中にあるけど後回し。別に夕飯はなくてもいいやってくらいだし。

 それから自分の部屋に戻って、パソコンで「肺気胸」について調べてみた。まぁ、〈肺炎をこじらせた〉とはちょっと違うみたいだったけど、確かに死ぬような病気ではないらしい。死亡率は一%らしいから、逆に妹がそこに入る方が奇跡だろう。まぁあいつは時々ミラクルを起こすから、心配はしてるけど。ただし、癖になりやすい、とあったので、今後もまたこんな心配をしないといけないのかと思うと少し気が重くなった。

 大丈夫だ。少なくとも今の段階で、妹が死ぬことはない。病院に行けばきっとまたたくさんの病死予備軍の人を見ることになるんだろうけど、妹からその気配が感じられなければいい、と心を鬼にしよう。

 赤の他人の生死で一喜一憂してたら、こんな体質じゃ身が持たないし、精神的にも疲れる。哀しいとか辛いとかいう感覚は薄れてきてるけど、それでも見ず知らずの人に「ざまぁみろ」なんて思えるほど僕は酷い人間じゃないし、そこまで他人に思い入れもない。せいぜい「残念ですね」くらいだ。

 決心したならそれが揺るがないうちに行動したいところだったけど、残念ながらもう結構日が暮れてきてしまった。間もなく父親が帰ってくるだろうから夕飯になるし、そのうち母親も帰宅するだろう。今日決めたお見舞いは明日に延ばすしかない。しかし果たして明日まで僕の決意が揺らがないでいられるだろうか? 自分でもかなり自信がないので、妹に倣って満照に誓うことにした。

 電話するのも照れくさかったので、メールで手短に用件だけを送る。明日妹のお見舞いに行くことにしたから、って。

 返信はすぐに返ってきて、〈病室わかる?〉だった。僕は病室じゃなくて中庭で会うという旨を知らせて、少し迷ってから、やっぱり満照もついてきてくれると助かる、と正直に書いた。何の躊躇もなくOKの返事が戻ってきて、学校帰りにそのまま病院に寄ることになった。

 うん、これで明日は行くしかなくなった。満照になら、明日になってから「やっぱり無理かも」って言えば無理強いはしないのはわかってるけど、妹はそれを許さないだろう。妹には満照から連絡しておいてくれるらしい。まぁ僕からメールするより嬉しいだろうし、僕にしてもなんだか妙に気恥ずかしいから助かった。

 やがて父親と母親が少し時間をずらして帰ってきたので、一緒に夕飯を食べることにする。やっぱり母親は妹が手紙を書いていたことなど知らない様子だったし、その態度が演技とも思えなかったので、妹は策士だなと思った。

 明日か。寝て起きたら、もう明日だよね。眠らなくても、時間が経てば明日は必ず来るものなんだけどさ。

 だったらやっぱり、寝よう。

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