第20話

「なー」

 二人してソファでぼーっとしてたら、隣から満照の呼び声が聞こえてきた。

「うん?」

「何考えてた?」

「満照には言えないこと」

「そっかー」

 それだけで、多分伝わるのが僕たちの関係だ。だから満照はそれ以上深く突っ込んでこないし、僕が「満照は?」と訊いたら「お前には言えないこと」と答えてくれるから。

「お前さー、大学とか行くの?」

 さっきは僕には言えないこととか言ってたくせに、やっぱり満照はそんなことを考えてたんだろう。声に張りはないけど、適当に言ってるわけじゃないことはわかる。

「んー、わかんないけど、多分就職はしなさそうだから、大学か引きこもりだろうね」

 受かればの話だけどね。またはこもれれば。

「だよなー。俺はなーんも考えられない」

「どうして?」

「やりたいことがないから」

「僕だってないよ。ただ、就職はしたくないから、消去法ってだけ」

「じゃあ俺は大学の方が面倒臭そうだから、就職を選ぶのかね」

 満照の基準はだいたいにおいて、「面倒臭いかそうでないか」だ。だからこの選択はきっと合ってる。

「そうなるのかなぁ?」

 あまりハッキリ言い切って、親友の将来を決定してしまいたくはないので、僕は曖昧に答える。満照ならどっちにしてもうまく流されて生きていけるだろうし、人間的に成長もするだろう。いつまでも〈こんな奴〉の僕と違って。

「かと言って、なりたい職業もないしなぁ。今のバイトで正社員にはなれないし、まぁなりたくもないしな」

 あまりいい職場環境でないのか、あまりいい人間関係を築けていないのかはわからないけど、どうやら今のバイト先には満照は満足してはいないみたいだ。確かに、スーパーの品出しを一生の仕事にはしたくないだろうし。

「僕だってよくわかんないよ。大学なんていっぱいナントカ学部とかあるけど、自分がどこを目指せばいいのかも見えないし」

「めんどくせぇ」

「だね」

 そこは本気で僕も同意した。生きてるって、面倒臭い。いろいろ選択しなきゃいけないことがあって、その都度誰かに配慮したり気を遣ったりしないといけないし。選択を放棄しても人生は続いていくし、だったら結局はやっぱり何かをどうにかしないといけない。それが自分のためでも、他の誰かのためでも、お構いなしに何かを選び取らないといけないんだ。

 何もかも捨てる、というのはだから最後の手段なのであって、今使うものじゃない。

 高二の今、僕たちの目の前に突き付けられている現実は〈受験〉というやつだ。まだ本格的に考える時期ではないけど、目標がある奴は既に専門的な勉強を始めてるし、来年のクラス分けでハッキリさせる理系か文系かくらいはだいたいみんな決めてるんだろう。さすがに僕も満照も、特に秀でた才能がないので有無を言わさずに文系なんだけど。

「なんで人間は何かにならないといけないんだろうね」

「何か?」

「そう、学生とか、職業とか、お父さんとか、何かと肩書きがいるでしょ?」

「そうだな」

「そんな制度、なくなればいいのになぁ」

「総理大臣とかもか?」

「そうだねぇ。実際そうなると困るけどねぇ」

「国じゃなくなるな」

「世の中って難しい」

「難しいのが世の中なんだよ」

 ああそうか。だから僕には生きづらいのかも知れないね。満照も少しは生きにくさを感じてるみたいだし、やっぱり僕たちみたいな人間には、今の世の中は荒波だ。本当はその中を生き抜いて成長していくんだろうけど、満照はともかく、僕はきっとどこかで脱落するんだろうなぁ。その時に〈最後の手段〉を使うことになるんだろう、多分。

「生きるのって、面倒臭いことばっかりだよな」

「?」

 まさか、満照の口からそんな言葉を聞くことになるとは思わなかったので、僕はとても驚いた。それはもちろん、必ずしも生きていたくないっていう意味には直結しないのかも知れないけど。

「だからって死んだりはしないけどさ」

 安心した。満照に先を越されたら、僕は本当に後追いをしてしまいかねない。

「満照でも、生きていたくないって思うことあるの?」

 あえて〈死にたい〉という言葉は使わないで訊いた。それはなんだか違う気がしたから。

「うーん、具体的には考えないけど、生きてるのはめんどくせぇなってよく思う。夜寝る時に、朝が来なかったらいいなって思う程度には」

「ふーん」

 僕はそんなの毎日だけどね、とはもちろん言わないけど。満照でもそう思う程度には歪んでるのかな? それともそれは普通の感情? 僕だけが規格外じゃない?

「まぁ俺のはただのぐうたらだから、そういうのに限って長生きするんだろうな」

 はぁ、と深い溜め息を吐いて、満照はまた押し黙った。だから僕も別のことを考え始める。

 生きてるのは面倒臭い。辛いこともあるし、苦しいこともある。もちろん楽しいことも嬉しいこともあるからみんな生きてるんだろうけど、僕にはあまり執着するものがないから、本気で僕が僕をこの世に留めておくのは難しい。唯一助かってるのは、僕が怖がりなチキンだから、なかなか自殺する覚悟ができないことだろう。あとは、家族を不幸にしたくないからという思いがかすかにいつもどこかに引っかかってるからかなぁ?

 例えば高層マンションから飛び降りた場合、そのマンションは〈いわくつき〉になってしまって、住んでる人が困るだろう。あと、グシャグシャになった僕の死体を片付ける役目を負わされた公務員の人も気の毒だ。しばらくは肉なんか食べれないって聞くし。

 交通事故、っていうのもなかなか難しい。運転手が持病で意識不明になったりした車が、アクセル全開でうまく僕のところに突っ込んできてくれるといいんだけど、あまり出掛けもしない僕は、そうそう交通量の多い都会には出ない。せいぜい通学の往復で、駅と家の間にある少し幅の広い国道を一本渡るくらいだ。ある程度の交通量はあるけど、チャンスとしてはあまり期待できそうにない。

 で、自分から電車に飛び込むのは禁物として、うっかりホームから突き落とされてしまう確率に賭ける。これもなかなか期待薄で、僕は歩きスマホはしないけど、一人の時はボリュームを大きめにしたヘッドホン完備で歩く。ああ、ヘッドホンっていうのが目立っていけないのかなぁ? イヤホンだったら誰も気付かずに、うっかりぶつかってくれるんだろうか? これは今度試してみよう。それにしてもどうやったら朝のラッシュの中で、ホームの縁を歩けるんだろう。僕には無理難題だ。

 ひとまず僕にできそうな事故死を思い浮かべてみるけど、なかなかうまくそんな偶然に当たりそうにないものばかりで、自分の運のなさというか、不運のなさにがっかりする。どんなに不摂生をしても、母親が作ってくれている料理を食べてる限りはそんな大病を患いそうにないし、とにかく若すぎる。成人病にもまだ早いだろうし、若くして亡くなるような持病もない。何かないのか、何か。

 するとまた満照が何か言った。

「え?」

 うまく聞き取れずに僕は聞き返す。

「腹減らね?」

 もう一度時計を見上げると、もう午後二時を回っている。言われてみれば確かに空腹感はあるけど、僕は食べる物なんてあってもなくてもいいので、ここでは満照の意見を尊重して「そうだね」と堪えた。

「何か買いに行く?」

「いいよ」

 よっこらしょ、と二人して重くなった腰を上げて、靴を履きながら思い出した。

「あ、僕、財布も携帯も家だ」

「いいよ、俺が出しとく」

「ごめんね」

「また今度おごって」

 それで済むのが僕と満照の関係で、変な依存や遠慮がないから楽だ。

 近くのコンビニで僕たちは各々にカップ麺とおにぎりをカゴに入れて、ついでに少しお菓子とジュースも買う。満照が会計を済ませてくれたので、僕が袋を持った。別にここで変な譲り合いも発生しない。

 また満照の家に上がり込んで、ポットのお湯が沸騰するのを待ちながら、カップ麺を開けてかやくや粉のスープの素を入れたりしていると、一〇〇度に達したことを知らせる高音でポットが知らせてきた。

 どうして家電ってこう高音なんだろう。甲高い音は遠くまでよく聞こえるからだっていうのはわかるけど、それにしてもうるさい。僕が今近くにいるせいなのかも知れないけど。だけど、普通は自分がセットしたのをわかってて、そこまで距離を置いたりしないはずだから、もう少しおとなしめの音でも気付くと思うんだ。

「どうした?」

 僕の様子が不満そうに見えたのか、ぼさっとポットの前に立っていたからか、満照が声を掛けてくる。

「ううん、家電って賢いなぁって思って」

「最新の冷蔵庫やオーブンはしゃべるらしいからな」

「そうなんだ?」

「今晩のおかずの相談にも乗ってくれるらしいぞ」

 それは初耳。だって僕はテレビは見ないし、そんなことを話題にするような友人もいないから。満照、またはそのお母さんくらいが情報源だ。

 満照は嘘はつかないけど、家電が今晩のおかずの相談に乗ってくれるっていうのは本当なのかな? 見たところ冗談を言ってるふうでもないけど、にわかに想像がつかないから真偽がわからない。まぁ僕にはどっちでもいいことなんだけど。

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