第19話

「もう一枚焼くか?」

「ううん、もういい」

 満照は僕の返事を聞いて、自分の分だけパンを焼きに行った。もう一度甲高い音が鳴って、今度はバターを塗ったパンを直接手に持って戻ってくる。

 僕はあんまり食に関心がないというか、何事においてもあればもらうしなければそれでいいっていう性格なので、食べ物にもこだわりがない。そのせいか貧弱な体型なんだけど、病弱ではない。〈骨と皮〉と言われるほどには痩せこけてないし、〈吹けば飛ぶほど〉にまで弱々しくもない。まぁ、普通に〈痩せ型〉って感じだ。余分な脂肪がない分、必要な筋肉もないから、あまり好きな身体じゃないんだけどね。それを言っちゃうと、僕は僕の好きな部分がなくなってしまうから、この話はこれでおしまいにしよう。

 いい身体をしてる満照は、けれど見かけほどはあまり食べない。その分、無駄なく身に付いてるんだろう。効率がよくてうらやましい。筋トレなんかするようなマメな性格じゃないから、二の腕の筋肉はバイトだけでできたものなんだろうと思う。すごいなぁ、肉体労働って。僕には一生縁がなさそうだ。その〈一生〉が長いか短いかはさておいて。

 リビングの壁の時計を見上げると、間もなく十一時だった。ああ、結構長く満照は寝てて、その間僕はぼんやりしてたんだなぁって思う。ていうか、昨日は結局何時に寝たんだろう?

「昨日はよく眠れたか?」

 そんな僕の考えを先回りしたように、満照が訊いた。いつもすごいなぁって思うけど、それほど僕の考えはわかりやすいんだろうか? 表情筋が死んでるから、顔に出ることはないと思うんだけど。

「うん、おかげさまで、変な夢も見ずに済んだよ。ありがとうね」

「ああ」

「満照はいつ寝たの?」

「さぁ? お前が寝息立て始めたのはすぐだったし、俺もやることなかったから、案外すぐに寝たけど」

「そう」

 ならよかった。僕がうなされないように、明け方までずっと眺めてくれてたらどうしようかと思ったけど、さすがにそんな恋人同士のようなことはしないよね。いろんな意味で安心した。

「お前は途中で目が覚めたりしなかったか?」

「全然。家よりぐっすり眠れたくらいだよ」

「そうか」

 少し苦笑いしながら、満照はパンかごにテーブルのゴミを集め始めたので、僕は二人分のマグカップを持ってキッチンへ行く。水を入れてシンクに置いた。その間に満照はゴミを捨てて、カゴを元に位置に収納する。それから二人してソファに戻って、何をするでもなく、話すでもなく、ぼーっとしていた。まるで一人の時みたいに安心した。満照がいてもいなくても同じっていう意味なんじゃなくて、満照がいても一人でいられることが安心するんだ。わかるかな、この安心感。誰かと一緒にいるのに、邪魔にならないし気にもならないっていう感覚。

 こういう時、満照は何を考えてるのかはわからないけど、僕と同じようにぼーっとしている。僕たちは昔から本当に〈ぼーっとする〉ことが好きで、そしてそれをするのが上手な子供だったから、もう慣れたものだった。無心な時もあれば、何か余計なことを考えてる時もあるけど、だいたいは本当にぼーっとしてる。多分、電話帳があればそれに無意味に目を通すかも知れないし、ここが和室だったら畳の目を数えてるかも知れない。そんな感じのぼーっと。

 何も話さないし、お互いに微動だにしないんだけど、寝てるんじゃないかとかは思わない。同じ空間と時間を共有してる感覚があるから、あまり相手のことが気にならないんだ。

 もちろん、この感覚が満照もまったく同じかどうかはわからない。これはあくまで僕の主観であって、満照に訊いたことがあるわけでもないし、訊く気もない。こういうのは、雰囲気で解釈してればいいと思うんだよ。だって、いちいち相手がどう思ってるか確認しなきゃ不安だなんて、恋人同士だって何度も言ってるのに信用してくれない重い女子みたいじゃないか。まぁ、恋愛経験のない僕だから、想像と漫画からの知識でしかないけど。

 僕があまり他人と関わりたくないのは、他人に迷惑を掛けたくないからなんだけど、やっぱり誰とも関わらずに生きていくなんていうのは無理で、必要最低限でもかなりの人数と関わらないといけない。例えばコンビニの店員さんだったり、いるかいないかわからないようであってもクラスメイトだったり先生だったり、ご近所で挨拶くらいはするおばさんたちだったり、家族だったり親友だったり、だ。

 別に僕は存在だけで迷惑ってわけじゃないと思う。確かに誰にでも歓迎はされないけど、迷惑までは掛けてないつもり。だいたい一人で何でもできるようにしてるし、他人に頼ったりお願いしたりはほとんどしたことがない。満照は〈頼れ〉って言うけど、なかなか難しいもんなんだよね。意識するとつい、「あ、迷惑かも」って思っちゃうから、無意識に頼ってしまってから気付くくらいしかできない。

 家族に至っては、ちゃんと一員として認めてもらえてるし、妹との差別も区別もなく愛情を注いでもらってると思う。だいたいなんであんな幸せな家庭で僕みたいなのが育ったのかが不思議なんだけど、顔も性格も両親に少しずつ似てるので、血縁関係を疑ったことはないよ。その点は僕は不幸じゃない。おかげさまでね。

 満照はすごくお父さんに似てると思う。物静かなところもそうだけど、特に見た目が。お父さんも若い頃はイケメンで無愛想(失礼)だったのかなぁって思うし、今でも同じ歳の頃のおじさんたちの中では抜群にカッコイイ。自分の父親がダサいとは思わないけど、満照のお父さんを見ると「なんかこの人は違うな」って思うんだ。

 ちなみにお母さんに似てる部分はあんまり見つからない。でも姉の灯理さんがすごくお母さんに似てるし、不思議なことに満照と灯理さんもよく似ているので、やっぱりここも血縁関係を疑うような部分はないみたい。まぁ、普通はないか。

 よく考えると本当に僕は幸せで、なのにどうしていつもこんなに死にたいのかなって思う。自分でも不思議になるくらいに。僕が死んでしまうと家族が不幸になってしまう(対外的に)ことに気付いてしまったから、ますます死にづらくなってしまってるんだけど、それは勇気の出せない自分の言い訳なだけかも知れない。

 それでもなるべく家族には迷惑を掛けないような死に方をしたいので、歩道は道路際を歩くのに自転車にすら当たらないし、通学で駅のホームの先頭になんて立てた覚えがない。あれだけ人がいるんだから、先頭に立ってればついうっかり押し出されてもおかしくないのに、そんな事故ってなかなかないんだよね。それだけみんな気を付けてるってことなのかなぁ? それとも駅員さんの努力の賜物?

 学校の屋上は当然鍵が掛かっていて入れないし、三階の渡り廊下の手すりはどうにも頑丈なので、腐食してたせいで体重を掛けたら落ちました、っていう言い訳もできそうにない。

 あとはそうだなぁ、入浴中は眠気の前に気だるさに襲われて浸かってられないし、繁華街なんか行かないから喧嘩に巻き込まれたりもしない。多分行っても喧嘩に巻き込まれるようなシチュエーションになんかならないだろうし。ボールを追いかけて赤信号を飛び出した子供を助ける、なんて場面にも奇跡に近い確率だと思うくらい出会わないよね? 実際、奇跡的な確率だろうし。

 なかなか偶然死ぬのは難しいみたいだ。けど、自殺だって明らかにわかるのは絶対ダメなんだよ。真っ先に疑われるのは学校でのいじめや交友関係だからどうでもいいんだけど、そこで問題ないと判断されれば今度は家庭の問題じゃないかってことになってしまう。

 何度も言ってるけど、家族に迷惑を掛けるのは絶対ダメなんだ。そうでなきゃ、僕だってどっかの高いビルの縁を蹴って飛び降りるくらいの決意がある時があるんだから。特に〈来た〉時なんかは、なりふり構わず死にたくなるんだよ。そんな時に近くに高層マンションでもあれば、勢いで死ねるくらいの覚悟はある。逆にそれを抑えるのが難しい時があるくらいなんだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る