第18話

 普段から、休みの日でもつい癖で平日と同じくらいの時間に目が覚める僕なんだけど、昨日の夜に話し込みすぎて寝るのが遅くなったせいか、本当に安心して眠れたからなのか、目が覚めたら九時を過ぎていた。まだ朝だけど、午前中ではあるけど、なんだか僕は寝過ごしたような気分になってしまう。「今日はたくさん眠れたー、ラッキー!」と思えない残念な性格が恨めしい。

 隣を見ると満照はまだ熟睡していて、声を掛けるのは躊躇われた。別に何か用事があるわけでもないし、起こすのも忍びない。僕ももう少し横になっていようと思って、そのまま布団でじっとしていた。昨夜満照と話したいろんなことが頭の中をぐるぐると回る。

 僕は一人で抱えすぎ、か……。そうだろうとは思う。だから昨日はあんなに満照にたくさん話をしてしまったんだろうし、そもそも一人で寝るのが嫌で押しかけてきたんだ。気付かないうちにやっぱり僕は満照を頼りにしてるし、迷惑も掛けてるんだと思う。

 人が生きていく上で、誰一人にも迷惑を掛けずにいるなんて、絶対にできない。それがどんな完璧な人間であっても、必ず誰かに頼ったり、迷惑を掛けたりはしてるんだ。

 だってお店がないと食べ物は買えないし、店員さんがいるからこそ僕たちはコンビニで手軽に弁当を買ったり、温めてもらえたりするんだ。その弁当をコンビニに運んでくるトラックの運転手さんがいて、弁当を作る工場で働く人がいて、その材料を作る人がいる。そうやって、多分経済とかいろんなものが回ってるんだろう。

 だから人間はいつも誰かのおかげで今を生きてるんだし、これからもそうなんだと思う。自分はたった一人で生きている、もしくは誰の手も借りずに生きていける、なんて思っている奴は、ただの思い上がりだ。さすがの僕だってそこまでは思ってない。むしろ、世の中の無関係な人に感謝しながら生きてるよ。僕なんかが生きててごめんなさい、って気持ちも込めてね。

 その点、満照は偉いと思う。今は妹が入院していることもあって、僕の昼ご飯を作ったりまでしてくれてるけど、普段から僕のたどたどしい愚痴を聞いてくれたり、勇気付けたり励ましたりしてくれる。自分のしたいこともあるだろうに、バイトもあるのに僕の妹のお見舞いにまで行ってくれたり、夜中に押しかけた僕を受け入れてもくれる。なんて器の大きい奴なんだろう。

 満照は絶対に他人を悪く言わないから、誰に何を言われてもスルーする。それは幼い頃からそうだ。実のところ、僕のこのスルースキルは、満照を真似たものなんだから。本家がコピーに劣るわけがない。満照のスルースキルはそれほどに長けている。

 僕の場合は、あんまり他人の話を聞かないようにしている部分もあるんだけど、満照の場合は、ちゃんと聞いた上で、自分に必要ない、または関係ないと判断した後に無視する。そこで「あっ、そう」とか言っちゃうと相手を怒らせてしまうこともわかっているので、まるで何事もなかったかのように振る舞うんだ。

 見掛けが僕みたいにひ弱そうじゃないから、満照がそのスキルを発揮すると、相手はやや怯む。やがて「こいつに何言っても無駄だわ」になって、そのうち「もういい、ほっとこうぜ」となるらしい。そうやって満照は、自然と他人と関わらずに済むようになってきたんだ。

 僕にはそこまでの威圧感と威厳がないので、最初からあんまり相手にされないのが幸いなんだけどね。見掛けのいい満照なので、やっぱり初対面で同年代の同性にはあまり第一印象がよくないみたい。だから面倒事に巻き込まれることも少なくないようで、その度にこのスルースキルを発揮してるようだった。

 表情筋の死んでる僕だけど、満照も一見無表情だ。僕の前ではまだ呆れたり困ったりするけど、学校ではあまり表情を変えるようなことはないし、たまに困ったような顔になることがあるくらいだ。満照の困った顔の内心は大抵は「めんどくせぇ」なんだけどね。見知らぬ女子に言い寄られたり、見知らぬ男子に凄まれたりしても、とりあえず「めんどくせぇ」らしい。まぁそうなんだろうな。いちいち見知らぬ相手に呼び止められてたら、面倒臭くもなるよね。その点、僕は存在感がとても薄いので助かってる。

 けど、そんな面倒臭がってる満照のそばに僕が寄っていくと、何故か満照は解放される。多分「もっと面倒臭いのが来た」って思われてるのかもね。僕にはまったく自覚はないんだけど、解放された満照はいつも「助かった」と言ってくれるので、なまじ僕も役立たずではなさそうだ。ちょっと嬉しいけど、これは喜んでもいいところなのかは謎。

 そうなんだけど、満照は以前僕のことを「頼りにしてる」って言ってくれたことがある。なんだったかな、ものすごく些細なことだったからもう忘れちゃったんだけど、その言葉だけはちゃんと覚えてるよ。多分僕は無意識に何かをしたようで、「お前には本当に感謝してるよ、ありがとな」と言ってくれた。それから、「俺はいつでもお前のことを頼りにしてるよ」って言ってくれたんだ。きっと子供の頃だったんだと思う。純粋に嬉しかったから。今だったらきっと、申し訳なさもあって、素直に受け取れなかっただろうしね。

「……おー、もう起きてるのか?」

 隣で満照がもぞもぞと動いたと思ったら、まだ眠そうな声でそう訊かれた。

「起きてるよ。おはよう」

「おー」

 おはようも言えないくらいにまだ眠いのか、それが「おはよう」の代わりだったのかは知らないけど、満照はその後も布団の中でもぞもぞするばかりでなかなか起き上がらなかった。だから僕も起き上がるのをやめて、仰向けになって天井を眺めた。

 僕の部屋とあまり変わらない。まぁ、同じ時期に同じ区画に建てられた当時の新興住宅地だったから、向かい同士の家でそう変化があるわけでもない。あるとすれば住人の生活感やセンスなどでしかなく、その点ではお互いの母親はキレイ好きなようで、特別どちらが居心地がいいとか悪いとかはない。

 強いて言うなら、満照は自分の家の方が好きなんだろうな、やっぱり灯理さんがいるから。僕は別にどっちが好きとか嫌いとかはないし、自分の部屋が一番落ち着くからそりゃ自宅なんだけど、満照と一緒にいても同じくらいに落ち着くから、この部屋も嫌いじゃない。一人になれるなら──または一人になったような気分になれるなら、僕は公園の一角でも教室の片隅でも構わない。みんなが僕を視界に入れてくれないおかげで、僕はいつでも好きな時に一人になれるんだ。便利だよね。

「腹減ってるか?」

 突然ハッキリした声で満照が言ったので、ちょっと僕は驚いた。なんとなく、また一人でいる気分になってたからかな。

「んー、まぁそれなりに? あってもなくてもいい感じ」

「パンでよかったら食うか?」

「満照が食べるなら」

「おっけー」

 よっ、と勢いをつけて、腹筋で満照は起き上がる。僕は普通に手を付いて起きた。朝からそんなに元気ないよ。昼も夜も同じようにテンションは低いけどさ。

「かーちゃん、もう出掛けただろうなぁ」

「満照のおばさん、いつもいないけど、何してるの?」

「諜報活動」

「え?」

「という名のパートだよ」

「ああ、そっか」

 一瞬本気にするほど、満照のお母さんの情報収集力はすごい。多分満照のバイトと同じで、お金が目的でしてるパートじゃないんだろうな。ちなみに、満照のお父さんは土日も関係ない仕事の人だから、時々水曜日に休みだったりするけど、だいたい会社にいるみたいだ。以前「いっそ住み込みすりゃいいのに」って満照が本気とも冗談ともつかないことを言っていた。もちろん、朝倉家も家族仲は良好なので、悪意があるわけじゃないと思う。

 食パンが焼けるまでの間、満照はドリップコーヒーを入れてくれて、もちろんコーヒーなんて言う大人な飲み物には無縁の僕の分には、たっぷりの砂糖と牛乳を入れてくれる。ドリップする意味がなくて申し訳ないんだけど、朝倉家にはインスタントコーヒーがないので、手間は掛かるけどこの入れ方しかないんだ。ごめんね、満照。

 チン、と甲高い音が鳴ったので、僕がパンをカゴに移す。それくらいはするんだよ、勝手知ったる親友の家だからね。それをテーブルに運ぶと、ちょうど満照がコーヒーを両手に持ってくるところだった。

「マーマレード、ピーナッツバター、マーガリン、どれがいい?」

「ピーナッツバターがいいな」

「はいよ」

 冷蔵庫からピーナッツバターを出して、バターナイフも持ってきてくれる。満照も同じものにするみたいだったので、たまにはと思って僕が二枚分のパンにピーナッツバターを塗った。

「さんきゅ」

 そう言って満照はパンに齧りついた。僕も隣で同じようにする。パンくずをうまくカゴに入るようにしながら、他所の家のリビングを汚さないように気を付ける。さすがに僕だってそれくらいは気にするんだよ。案外キレイ好きなもんでね。神経質なくらいってよく言われるけど。

 久々に食べるピーナッツバターの味は甘くて濃くて、脳に糖分が行くなぁって感じがした。なんだか頭がよくなったような気になるけど、もちろんそんな気分になるだけだ。こんなことで本当に頭がよくなるなら、今頃一億総天才時代じゃないか。それでもきっと僕は、そのど真ん中辺りにいるんだろうけどね。平々凡々、いいことだよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る