第11話

 今頃妹は大喜びで満照の訪問を受け入れてるんだろうなぁって思うと、入院生活も悪くないんじゃないかって思ったりする。個室だから誰にも遠慮のいらない自分の部屋のようなものだし、食事は部屋まで運んできてくれるっていうじゃないか。エアコンの設定温度も自由だし、多分電気代までは入院費用として請求されることはないと思う。どうなのかな?

 入院しているという以上、自宅療養や通院では無理な治療や検査があるんだろうけど、死なないことが前提なら、一度はしてみるのも悪くないかも知れない。まぁこれは引きこもりと違って、自分の意志でできるものではないし、期間に比例して随分お金も掛かっちゃうんだけどね。さすがに遊びや興味本位で入院したら、うちの親でも怒るだろう。

 だけど、妹が僕のスマホから満照の情報を盗み見た、ってことくらいじゃ、僕は全然怒らない。満照の言うように、僕の危機管理意識がしっかりしていないせいなんだろうし、別に見られてヤバいものがあるわけでもない。

 でも確かに満照の言う通り、紛失した時に多少なりとも迷惑を掛けてしまう相手がいるということは失念してたよ。なるほど、スマホなんて個人情報の宝庫だもんね。今後注意します。落とさない方向で。相変わらずロックは掛けません。だって面倒だしさ。

 そんなことを考えながら、長らくゲーム以外していなかったスマホの連絡帳を少しだけ開けてみると、相変わらずまぁ恐ろしくさっぱりしていた。ほとんどスクロールもしないで全部見れる。当然、見出しのタブなんて不要。だって昔使ってたガラケーと違って、画面も随分大きいしさ。文字は小さめに設定してあるから、余計に情報がたくさん視界に入ってくる。

 そりゃ便利だけど、虚しさも感じるね。この小さな、電話とメールもできるゲーム機に、親が毎月支払っているお金を思うとさぁ。もちろん、通信も通話もほとんどしない僕なので、妹とは違う最低限の激安プランにはしてあるんだけど。それでもやっぱり、自分のバイト代を親に渡してる満照はすごいし偉いなぁって思う。あいつだって多分、バイトはしてても人間関係薄そうだから最低限のプランだろうと思うし、その辺は僕と変わらないと思うんだよ。

 ああそうだね。僕と満照は案外似てる。

 いや、昔は似てた、って言うべきなのかも知れないけど。

 お互いに友だちなんてほとんどいなくて、人付き合いにも不器用で、人見知りで、全然明るい子供じゃなかった。大人の言うことは一見きちんと聞いているフリをして、でも本当は全然脳には残っていなくて。

 それでも今より少しは上手に生きていたと思う。

 生まれた時からほとんど一緒に育ってきて、親同士も仲がよくて、いつも一緒に遊んでた僕と満照。

 じゃあ分岐点はどこだったんだろうなぁ?

 今の僕はおかしな能力を持て余した、ただの死にたがりの不審者で、満照は不器用なりにも生き方を学んで、周囲に上手に流されて生きている。

 結局お互いに他に親友と呼べるような友だちはできずじまいで、だからこそまだなんとなく親友という関係を続けていられる──続けてもらってるけど。もしも僕が死んだら、満照は困るかなぁ? 悲しんでくれるかなぁ? 忘れないでいてくれるかなぁ?

 家は向かい合わせだし、僕の妹は満照が好きだし、灯理さんも妹と仲良くしてくれてるし、だから僕が死んだところで、我が家と朝倉家のつながりがなくなるわけじゃない。でもきっと、僕が生きていた頃よりも死んでからの方が、その不在の存在を感じるのかも知れないね。僕っていう人間が、かつてここに生きていたことがあったなぁって、思い出すことがまったくないわけじゃないはずだ。

 ならいいや。

 別に悲しんで欲しいとか、一生忘れないでいて欲しいとか、いつまでも他人の人生につきまとうつもりはないし。ただ一時でも僕の存在があったことを、誰かが知っている。それだけでいいと思う。

 たとえいつか、一緒に過ごしたはずの懐かしい思い出を忘れてしまっても、僕の顔や声を正確に思い出せなくなっても、それは仕方のないことだ。僕だって、満照のお祖父さんの話し方が優しかったことは覚えているけど、その声も、掛けられたはずの思いやり深い言葉も覚えていないもん。

 人間の記憶なんてそんなものだ。

 かつてそこに存在していた、という事実を除けば、確かなことなんてどんどん消えていく。忘れ去られて、失われていく。まるで初めからなかったかのようにね。思い出なんていう不確かなものになんて、何も期待しない方がいい。自分の命日の度に思い出して泣いてくれたり、お墓に花を供えながら昔話に花を咲かせてくれる、なんて希望は持たない方がいい。

 そう、少なくとも、僕のような奴は特にね。だってそんなこと、実際にあるわけないんだからさ。

 同じ道を辿ってきて、似た者同士だったはずの僕と満照に、いつしかハッキリとした違いが見えるようになったのは、多分きっと、成長という名の呪いなんだろうと思う。

 そこそこ普通の高校生なりの成長を果たした満照と、身体だけが大きくなって(というほどでもないけど)心は遥か遠いどこかに置き忘れてきてしまったような僕。考えていることはいつも、どうすればいろんな意味でうまく死ねるかとか、死んだ人はどんな気持ちでどこへ行くんだろうとか、この人が死んだ後の家族や友人はどう振る舞うのが普通なんだろうとか、そういうあまり日常的に役に立つとは思えないようなことばかりだ。

 家にお金がないわけでも、誰かに強制されたわけでもないのに、社会勉強を兼ねたかのようにバイトに励み、人の流れに身を委ねて適当ながらも前向きに生きている満照とは、どこで成長過程を間違えたのかはわからないけれど、決定的に違う。

 まぁ、同じ環境で同じような人間が育ったからといって、同じ人格を持って同じことを考えるようにはならないということが、科学的かどうかはわからないけど、実質的に証明されたってことなんだろう。同じ環境と言ってももちろん僕と満照は兄弟ではないし、違う家庭で育っているから、まったく同じ環境だとも言えないけどね。

 だからって、僕の両親の育て方が悪かったわけじゃないと思うんだ。だって妹はあんなに素直で自由奔放で協調性があって友だちも多くて人に好かれるように育ってるんだもん。純粋に個体差ってやつなんじゃないかな? 同じロットの製品の中にも不良品が混じることもあるように、同じ親から生まれて同じように愛情を注がれて育っても、もとの素材が違えば行き着く先も変わるんだ。僕はその不良品の方だったってだけで。

 両親に対して「産んでくれなんて頼んでない!」なんて生意気な口がきけるほどに僕は反抗的でもなければ、家族と仲が悪いわけでもないし、むしろこんなんだけどここまで放棄せずに育ててくれてありがとうございます、って気持ちの方が強い。だからこそ親に迷惑を掛けない、できれば保険金くらいは入るような死に方をしたいと考えてるんだから。

 ちらりと時計を見ると、満照の家でお昼を食べさせてもらってから、もう五時間くらい経っていた。そりゃお腹も空くわけだね。

 相変わらず自室の床で大の字で横になっていた僕は、とりあえず起き上がった。それから階下のキッチンに入って、適当に冷蔵庫を漁ってアイスを見つける。ラスト一本。まさか妹のために置いてあるとかいうわけじゃないだろうから、僕が食べても問題ないだろうと思って早速袋を開けた。

 今日は両親揃って妹の病院に行っているけど、別に大事な話があると言って呼び出された、とかではない。父親が休みだから、運転免許を持っていなくていつも自転車で病院の往復をしている母親の足になろうかと、気を遣っただけのようだ。

 あ、でも今は満照が行ってるんだっけな。妹のダダ漏れの「みっくん大好き」オーラは、当然ながら両親の知るところでもあるので、気を利かせてどこかで暇つぶしでもしているのかも知れない。下手をすると「今日はみっくんいるから帰っていいよ」とか言われてそうだ。そうなると満照は、面会時間が終了するまで解放されないだろうから、ちょっと気の毒かも。

 しかし両親がまだ帰って来ないところを見ると、病院かその周辺で時間を潰しているのか、車もあるし買い物にでも行ったのか、ってところかな。僕の存在を忘れてるとか、どうでもいい扱いを受けているとか、そういうのではまったくないので安心して欲しい。学校と違って、家庭内では僕も比較的話はするし、ある程度はまともを装っている。実の親をどの程度誤魔化せるものなのかはわからないけど、まぁ母親なんかは暢気なので、それはそれでいいと思っていそうだし、父親も僕が母親の手を煩わせているのでなければ何でもよさそうだ。

 暢気で明るく陽気な普通の家庭なんだよ、うちは。下手をすると、一般的というレベルから見てみれば、多少は幸せな方なのかも知れないとすら思う時もあるくらいだ。

 妹の長所はさっき言った通りだけど、母親も年齢の割に無邪気というかのほほんとしているので、あまり物事に動じない。暢気だとばかり言うと、ただ頭の弱い人のように聞こえるかも知れないけど、実は計算高くて頭がいいんだ。だから世渡り上手で人に嫌われることがない。僕も少しは似たかったなぁ。

 父親は普通に会社員をしているけど、どうやらそこそこのポストに就いているらしい。もちろん社長や専務なんかではないのは確かだけど、年齢の割に年収はあるみたいだ。だって、僕が生まれる前に既にこの一戸建て(当時は新築だった)を買って、僕だけでなく妹まで育て上げ、その妹は私立の高校を目指しているんだけど、特に問題ないようだし。僕もこれまでにお金で苦労した記憶はない。まぁ、昔からあまりものを欲しがらない子供ではあったけど。

 あらまぁ、なんて幸せ家族。僕みたいなのがいてもこれだけ素晴らしい家庭なんだから、僕がいなくなればもっと幸せになったりは──しないのが残念でならない。

 自殺にしろ事故にしろ、もしも僕が死んでしまったなら、うちは一気に「息子さんを亡くした可哀想なご家族」になってしまうじゃないか。これは不本意だ。なんとか家族に迷惑を掛けないように死のうと思ってるのに、僕が死ぬことでもう、うちが幸せ家族から陥落してしまうなんて。

 うーん、意外な盲点に気付いちゃったなぁ。生きる糧にはならないけど、死ぬ足枷ができてしまった。これは困った。困ったよ、どうしようね?

 平らげたアイスの木の棒をくわえて悶々としていたら、玄関で鍵の開く音がした。うん、やっぱりこれは怖くない。家族だってわかってるからだろう。もしも家の前で鍵を拾った赤の他人(しかも悪い奴)だったらという心配もないではないけど、そこまで気にしてたら死ねない。それならむしろ、家族が帰って来たと思って無防備に玄関に飛び出した僕を、鋭利な刃物か何かでざっくりやってくれる方を期待する。

 ああでも、家が汚れたら可愛そうで不幸な家庭感が増してしまうかも。それは嫌だなぁ。

 僕の想像をよそに、帰って来たのはやっぱり両親で、たくさんの荷物を持っているところを見ると、やっぱり僕の想像は外れてはいなかったらしい。

「おかえり」

「ただいまー。何か食べた?」

「アイス」

 くわえてる棒を見せたけど、母親は呆れた目で見返しただけだった。誰もおやつの話はしていないってことだろう。

「ごめんねー、お母さんたち、もう済ませてきちゃったのよ。だからお弁当買ってきたんだけど」

「それでいいよ」

 断っておくけど、こういうことは滅多にない。妹の病院に行く時も、温め直すだけで食べられる夕飯を用意してから出掛けるくらいだし、朝や昼は僕自身が結構どうでもいいと思ってるタイプなので、母親がそれに合わせてくれてるだけだ。今日にしても、満照にチャーハンを作ってもらって食べてるし。

 僕が母親から受け取った弁当はずっしりと重く、適当なチェーン店のお弁当ではなくて、ちょっと豪華な駅弁みたいな感じだった。多分寄ったデパートの催場で物産展か何かをやっていたのかも知れない。

「満照、来た?」

「来てくれたわよぉ。おかげでお母さんたち追い出されちゃって、こんなに買い物しちゃったわよ。みっくんにもお弁当おすそ分けしてきたんだけど、一緒に帰ってこなかったの。まだ面会時間終わってないって、あの子がうるさいんだもの。一緒に車に乗せてあげたかったんだけど、迷惑掛けちゃって申し訳ないわ」

「それはまた僕が謝っておくよ」

「そうねー、お願いね。何かお土産用意しなくっちゃ」

 持ちつ持たれつ、与えつもらいつ、って感じだな。どこまでも物々交換が続いていきそうだ。わらしべナントカってやつかな?

 僕は弁当を持ってリビングに戻り、麦茶を出してきて食べ始めた。両親は買ってきたものを収めるべきところに収め、それを眺めながら僕はなかなかに美味しい、おかず盛りだくさんの弁当をせっせと胃に収めた。

 美味しいものは、調子のいい時に食べるに限る。でないと吐いたらもったいないし、味もわからない。もう食べたくないとさえ思ってしまうかも知れないし、鉄は熱いうちに打てってやつかもね。え? 違う? まぁそう細かいことは気にしないでさ。

「ごちそうさま」

 別に洗い物も発生しなかったので、キレイに折りたためる仕様になっている紙箱をなんとかうまくまとめ、小さくしてゴミ箱に捨てた。麦茶を継ぎ足して、こっそりと両親の様子を盗み見る。なんとなく、満照に言われたことが気になったのかも知れない。

 でも大丈夫。やっぱり母親は元気そうだし、特に買い物を楽しんできた後だけあって、いつもより一層明るく見える。父親も一緒に母親を手伝ってるけど、これはどこに片付けるとか、あれはそこでいいのかとか、話題は普通だ。両親を邪魔者扱いするくらいなら妹も元気だったのだろうし、だから満照に預けてきたんだろう。あいつ、僕の親からの信頼高いからなぁ。僕なんかの面倒を見てくれてるんだから、嫌でも株は上がるか。

「あ、先にお風呂入っちゃってね」

「はーい」

 僕はひとまずバスタブに栓をしてお湯を溜める準備をしてから、自分の部屋に下着と部屋着を取りに上がり、それからまたリビングに戻って「お風呂が湧きました」って電子音声が知らせてくれるのをぼんやりと待った。だいたい十五分程度で準備ができる。そのうち、「お風呂に入りたい」ってこっちが言えば、栓をして湯を張ってくれる時代が来るだろうか?

 そんなどうでもいいことを考えながら湯船に浸かって、眠気とか襲ってこないかなぁなんて思ったりする。だって入浴中にウトウトして死んじゃう事故って、今や交通事故並に多いっていうじゃない? それなら僕にもチャンスがありそうな気になるんだけど、まぁその中でも確率が高いのは酔っぱらいか高齢者らしいので、そのどちらでもない未成年の僕はやっぱりただ普通に疲れた。

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