第10話

「満照の興味はどこにあるの?」

「それこそ今更訊くか? 昔から何度も言ってるのに、まだ聞きたいほど面白い話か?」

「面白くはあるね。満照の灯理さん大好きぶりは」

「はいはい、どうせ俺はいまだにシスコンは治ってませんよ」

「そっか。いいなぁ」

「何がだよ」

 シスコンを「いいなぁ」なんて言われたら、さすがの満照も少しは不機嫌になるみたいだ。そりゃそうなのかな?

「だっていいじゃない。何にしても、夢中になれるものとか、大事に思うものがあるっていうのはさ。そういうのが多分、生きる糧って言うんだと思うよ」

「そこまで依存してねぇよ」

「僕にはないから、うらやましいな」

 そう、僕にはないから。生きる糧と呼べるものが、まったくないから。

 なのに僕が今まだ生きているのは、実際単純に勇気がないだけで、惰性で生き延びているにすぎない。生きる意欲のある人には申し訳ないんだけど、僕にはそういうものが完全に欠落しているみたいなんだ。生きる意欲に満ち溢れていて、それでも死ぬ運命には抗えない人をたくさん見ていると、申し訳ないどころかこのくだらないちっぽけな命でよければ、喜んで差し出したい気分になるよ。

 肉体は魂を入れている器にすぎないってよく言うけど、それなら魂や命の交換や譲渡ができてもいいと思うんだけどな。だったら僕は真っ先に名乗りを上げてやる。「はいはーい、僕の命あげまーす!」ってね。まぁそんなにテンションの高い僕じゃないけど。でも、もし本当にそんなことができるなら、その程度にはテンションが上がるかも知れないなぁ。

「お前にも、あるだろ」

「何が?」

「妹ちゃんがいるじゃねぇか」

「僕はそこまでシスコンじゃないけど?」

 冗談とも本気ともつかない返事をしたら、満照は黙ってしまった。機嫌を損ねちゃったかな? まぁどうせすぐにもとに戻るだろうけど。

 僕に妹がいるからと言って、死なない理由にはならないって言ったよね? それは親でも親友でも恋人(もしできたなら)でも同じで、僕をこの世に留めておけるほどに強いこだわりや愛着のあるものにはなり得ないんだ。残念ながら、残酷ながら。


 だって、相手は人間だもの。


 人間は感情のある生き物だ。気が変わることなんかしょっちゅうあるし、約束は破るためにあるとか言うし、律儀に法律を守る奴なんかすぐに死ぬとも言う。こんなに法律を遵守している僕が生きてるんだから、そんなのはどうせ迷信に決まってるんだけど。

 どんなに僕を大事にしてくれてる親友がいても、ごく普通で暢気で天然に明るい家族がいても、頼もしくて勇ましくて手を焼く妹がいても、僕をこの世に引き止めてはおけない。

 今はまだ覚悟を持って死ぬ方法を見つけていないし、周囲に説明のつく、誰にも迷惑を掛けないような理由も思い付いていないので、なんとなく生き残っているだけだ。

 僕がもう少し(いやかなり)頭が良かったり、家庭が不幸だったり、友人に恵まれなかったり、学校でひどい目に遭っていたり、重い病気に冒されていたりしたなら、きっとあと少しのきっかけで〈あちら側〉に行けるだろうと思うんだ。瑞慶覧のいる方に。満照のお祖父さんのいる方に。多くの有名人がいる方に。

 もしかしたら、そういう生きる意志をしっかりと持っていた人たちとは違うところに行ってしまう場合もあるのかも知れないけれど、どちらにせよ、〈この世〉とはおさらばのはずなのにね。

 もちろん、人間でなくても、僕は愛着を持たない。どうせ先に死ぬことがわかっているようなペットは飼わないし、ものにもこだわりがないから使えればそれでいい。着ている服に穴が空いていても寒くなければ構わないし、枕が変わっても平気で眠れる。壊れたものは修理なんて面倒な真似はせずに買い換えるし、安くて機能的なら文句は言わない。

 お金があっても欲しいものはないし、そもそもお金の価値がわからないからバイトもしない。バイトさえしないから人間関係も広がらない。人間関係さえ広げられないのに、将来の展望が開かれるとも思えないし、そもそも僕に〈将来〉なんていうものがやってくるのかどうかすら疑問だった。

 現在は過去の積み重ねだし、未来は現在進行形でしかやって来ない。だから結果的に〈将来〉は実感のないままで、今は今でしかない。だったら〈将来〉は永遠に来ないとも言えるんじゃないのかなって、僕は思ってる。

 なんか意味のない話をしちゃったけど、要するに僕をこの世に引き止めてるのは結局、僕自身の勇気のないだらしなさであって、誰かのためとか、何かのために生きてるわけじゃないんだ。僕のために生きてくれてる人だっていないだろうから、ここは別に謝らなくてもいいよね?

「お前さぁ」

 あ、満照がもとに戻ったみたいだ。

「妹ちゃんの見舞い、行ってやれば?」

「なんで?」

「いや、自分の妹だろ」

「だって病院行くの嫌だし」

「それはわかるけどさ」

 理由さえわかれば、誰にだって僕の病院嫌いは理解されると思う。ただ、その理由がトンデモだから、結果的に満照しか知らないだけだ。親だって単純にありがちな病院嫌いだと思ってるだろうし、まさか注射が嫌で……みたいな子供じみた勘違いをされてなければいいんだけど。

 それに幸いなことに、母親にも妹の見舞いを強要されてはいない。むしろ来なくていいって言われているくらいだしね。でももしも僕が頼まれても見舞いに行かなかったら、やっぱりひどい兄って言われるんだろうなぁ。妹の病気が軽いもの(と言われてる)で本当に良かった。まぁ、病状が重いとしたら末期の姿を見に行くしかないだろうし、もうその時点で妹の姿を見るまでもなく死の予兆を知らされているわけだから、ショックを知らされる方法が違うだけで、結果は同じだ。

「そっちが行ってやればいいじゃん。妹、喜ぶし」

「んー、まぁ行く気ではいるけど」

 へぇ、そうなんだ? まさか満照がそう考えているとは思わなかったので、ちょっと意外だった。もしかしたら、僕の代わりに行ってくれるのかも知れない。「あいつも心配してたよ」なんて僕が言ってもいないことを勝手に言っちゃったりするんだろうか? ……いや、それはないな。嘘丸出しだし、さすがに妹だって胡散臭いと思うだろう。僕に心配されるより、満照に心配される方が百万倍嬉しいだろうし。むしろ僕の話題になんて触れないで欲しいくらいだと思う。思い出が穢れるとか言われそうだ。

「昨日、メールもらったからびっくりした」

「誰から?」

「この話の流れで行くなら、妹ちゃんしかいないだろ」

「え? なんであいつが満照のメール知ってるの?」

「だからびっくりしたって言ってるじゃん」

 それは僕もびっくりするなぁ。こっそり教え合ってたのかと思ったけど、驚いたくらいだからそれもなさそうだし。とか思っていたら、今度はさらに僕が驚かされる番だった。

「お前のケータイ見たんだってよ」

「え?」

「お前、セキュリティロックくらい掛けとけよ。まぁ、妹ちゃんくらいになら見られても構わないだろうけどさ。万一どっかで落としたり盗られたりしたらどうするんだよ。個人情報ダダ漏れだぞ? 登録されてる奴のだけど」

「じゃあ別にいいんじゃない? 僕にはほとんど被害はないし、登録してるのは親と妹と満照くらいだもん。あと、適当に歯医者とか図書館とか駅の失せ物保管室とかかなぁ?」

 そう思うとなんか僕って指紋認証式のスマホ持ってる意味ないよね。あー残念。ちょっと前までは骨董品みたいな年代物のガラケー持ってたのになぁ。ボタンを長押しするだけでロックできる便利モノ。誰にでも解除できる無意味なもの。えー、スマホ? あれってぼっち用のゲーム機じゃないの? みんなとつながるための機器? うーん、じゃあ僕の持ってるのとは機種が違うんじゃないかなぁ?

「僕のスマホ見て、満照のメールアドレス盗んだの?」

「自分の妹に〈盗んだ〉とか使うのやめろって。まぁ、ちょっと拝見させてもらって、俺のアドレスと電話番号を控えさせてもらいました、って書いてた」

「うわぁ。これって窃盗? 盗難?」

「どっちも違うだろ。お前の危機管理能力の欠落だ」

 そうですか。僕のせいですか。まぁ、あの妹ならそれくらいはやっててもおかしくないだろうし、案外自分で直接訊けてないところがなんだか笑える。これがお年頃女子の恋ってやつなのかな? それにしてもいつの間に見られてたんだ。適当にそこらへんに放り出しておく僕が油断しすぎなんだろうけど、家の中でしか使わないんだからそうなっちゃうもんなんだよ。

 本当は携帯電話なんて持ちたくないんだよね。どうせメールアプリのグループに入れてもらうほどの相手もいないし、一対一なら普通のメールで十分じゃない? 自分からメールなり電話なりをする可能性があるとすれば、そんな相手は満照しかいないし、下手したらスマホなんか使わずに家に行く。

 突然誰かから電話が掛かってくるわけもないし、そう思ってる分、本当に掛かってきたらものすごく心臓に悪い。マジで怖いじゃない。急に震えたら自分の方がビクってなるし、音が鳴る設定にしてあったらその音に殺されそう。方法で言うなら、そういう死に方もアリだけど。

 電話なんて突然掛かってくるに決まってるんだけど、家族に何かあったのかと思っちゃうし、知らない番号からだったら絶対出ないけど、いつまでもすっごい気になるよね。だからいろいろと面倒で好きになれない。

 だけど同じ突然鳴るにしても、玄関のチャイムだったら大丈夫なのはなんでだろう? 普段は一人じゃないから、案外怖くないのかな? それとも、コンクリートという強固な家の壁に囲まれているせいかな? ていうか僕、意外と怖がりなんだよね。だから死ねないでいるんだけど。

「それで一応、病室も教えてもらってる。聞くか?」

「いいよ。行く気になったら教えてもらう」

「そうか」

 結局僕はやっぱり満照と一緒だったとしても病院に近付く気分になれないし、妹の顔を見る決心もつかなかった。ただ一応、「よろしく」と言っておいた。決して妹に伝えてもらうための「よろしく」じゃなくて、満照に妹のことを頼んだよっていう意味の方で。

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