第8話

 僕にわかるのは病死だけのはずなのに、と最初は思ったけれど、満照が「聞きもしないのに一方的にかーちゃんがまくし立ててきた」という話を聞いて納得した。

 瑞慶覧霧江は、自分の病気がわかった途端に「金がかかるから面倒を見られない」という理由で離婚した父親を憎んでいたらしい。そして、そんな病気の娘を押し付けられて悲観に暮れるばかりで、ろくに病院にも行かせてくれなかった母親にも苛立ちを募らせていたという。

 まぁ、わからない話じゃない。自分がお荷物だと言われているようなものだし、どんなに手を尽くしてでも、どれだけの借金を抱えてでも、子供の病気を治療してやりたいと考えるのが、愛情ある親ってもんだろうと僕だって思うしね。一般的に、常識の範囲内で考えるなら。

 けれど、瑞慶覧の両親はどちらともそうではなかったんだろう。娘に金を使うのは嫌で、借金もしたくなくて、病院に行かせる余裕もない。だから、余命を聞いたのかどうかは知らないけど、ともかく「死ぬ」という確約だけをもらって、彼女は毎日不安に生きていたんだろうと思う。そして知ったんだろうね。自分が楽になれて、なおかつ親を不幸にする方法を。

 つまり、自殺。それも、轢死。親に膨大な請求が行くからやめておいた方がいい自殺方法の最たるものだと僕は思うんだけど、彼女はそれを逆手に取った。どうせ自分は死ぬんだし、だったら電車に飛び込んで華々しく──とは思えないけど、とりあえず派手ではあるし、インパクトも大きい。そんな死に方をして、最後には親をも絶望の淵に追いやる。

 なんだかとても悪魔的な考え方だけれど、自殺の方法やそれに伴う被害、保険金などについてはある程度調べたことがある僕なので、彼女の努力が見て取れた。

 どうしても、親を許せなかったんだろうなぁ。そりゃそうだよね。病気が見つかった矢先にお金がかかることを理由にどっか行っちゃった父親なんて、言い訳を聞く余地もないし、実際に見てないから様子はわからないけど、泣いて悲しんで許しを請うだけで役に立たない母親も、見ていて気持ちのいいものじゃないだろう。同情するなら病院行かせろ、って感じだろうし。

 その日は土曜日だったので(友引ではなかったんだろう)、僕が起きると、近所はいつもにはない賑やかさがあった。とは言え、決して喜びを含んだ賑やかさではない。気になって満照の家に行ったところ、僕はそういう話を聞かされたわけだ。

 近所が賑わっているように見えたのは、きっと野次馬が集まっていたんだと思う。瑞慶覧の両親が離婚した時も、実は知る人の間では娘が病気らしいと噂になったようなんだけど、さすがに満照はお母さんには聞かされていなかったようだ。まぁ、お母さんは知ってはいたんだろうけど、息子に同級生の不幸な話を聞かせるのを躊躇したのは、親として正しいことだと思う。

 僕が満照の家に行った頃にはもう、朝とは呼べない時間になっていたので、お母さんも灯理さんもいなかった。相変わらずデカい満照がボサーっとキッチンに立っていて、自分と僕のためにチャーハンを作りながら、そんな話を聞かせてくれたのだ。

「結局、何の病気だったんだろうね」

 少し気になった僕は言ってみたけれど、独り言のようなそれは炒め物の音にかき消されてしまったようで、満照からの反応はなかった。まぁいっか。別にたいした話でもないし。きっと、もうすぐ死ぬって本人がわかってたくらいだから、ガンとかそういう、確かな診断のできる病気だったんだろう。

 僕に訊いてくれれば、少なくとも一ヶ月以内には、っていう余命宣告くらいならしてあげられたんだけどね。でも結果的に、彼女はとても正しい時期に、遅すぎも早すぎもしないグッドなタイミングで、自分の欲を満たして両親への復讐を果たせたんだ。

 鉄道会社から彼女の親にどれくらいの請求が行くのかは不明だし、離婚した父親にもそれを背負う義務が発生するのかもわからない。母親にはそれを支払える能力があるとも思えないから、最終的に誰が貧乏くじを引くことになるのかは知らないけど。

 死んだ彼女は、多分幸せに死ねたんじゃないかなぁ? 幽霊にでもなってそこらへんを彷徨って、自分が死んだ後のもたもたした事後処理を見るハメになったりさえしていなければ、「してやったり!」って気分でホームの端を蹴ってそのまま昇天したはずだ。残念ながら幸いにも、僕には霊感も幽霊を見る能力も備わっていないので、死んだ後の瑞慶覧がどうなっているかまでは知る由もないんだけどね。

「ほらよ」

 いい匂いがしてきて、換気扇の轟音が止んだと思ったら、目の前にチャーハンの皿が出てきた。何だか最近の僕は満照のヒモか何かのようだけど、妹の病院に行きっぱなしの母親が、満照のお母さんに僕のことをよろしく頼んでおいたらしく、そのとばっちりで満照が僕の世話をするハメになっているようだった。ああうん、悪いね。ホント。

「ありがとう」

 礼儀だけは正しい僕は、いつも満照にお礼ばかり言っている気もするけど、まぁそれだけのことをしてもらっているので、別に言い損だとは思っていない。むしろ、妹のとばっちりで僕の面倒を見てくれてる満照には感謝しきりだ。風が吹けば桶屋が儲かるって言うけど、僕の妹が入院すれば満照の手を煩わせることになるんだね。勉強になった。

「今日はもう、大丈夫なのか?」

 言葉少なで言葉足らずな満照なので、僕にはわかるけど、なかなか一般的には理解されないことも多いらしく、バイト先では無口を通しているらしい。確かに、少しぶっきらぼうな言い方をするし、ボソボソとハッキリ話さないことも多いので、誤解を招きやすいんだろうな。見た目がイケメンなだけに、特に同性への第一印象は良くないだろうし。

「まぁね。直接見たわけじゃないし、あれ以来忘れてたくらいだよ」

 忘れてはいなかったけど、取り立てて意識して思い出すわけでもなかったし、特に興味もなかったので、薄情だろうけどやっぱり別に気にはしていなかった。

 今日、満照に彼女の死を知らされていなくても、この野次馬の様子を見れば大方の予想はつくし、例の会館に行けばきっと、白黒の垂れ幕と彼女の名前が掲げられているんだろう。夕方まで待てば、満照のお母さんから噂を聞いた母親が夕飯のおかず代わりにそんな不味い話をするのだと思うし、どんな形にしろ、僕の耳には入ってきたはずだ。まぁ、今聞いた話が一番手っ取り早くて正確で詳細なんだと思うので、ここに来て正解だったってことには違いないけど。

「何ていうかさ」

「うん?」

 チャーハンをガツガツと平らげて、まだ半分は残っている僕の皿をチラ見して(欲しいのかな?)、満照は言った。

「あいつは思ったより利口で、不幸な奴だったのかも知れないな」

「そうなるのかな」

 他人の幸不幸にあまり興味のない僕だったので、少し反応が薄くなってしまう。それも満照は知っているから、目に見えて気分を害するような素振りは見せないけど、やっぱりいい気分ではないんだろうな、とは思う。

「でも最後は不幸じゃなかったと思うよ」

「なんでだ?」

「だって、憎んでた親を不幸にできたわけじゃない? まぁ、まだ結果はどうなるかはわからないけど、とりあえずは周囲の目もあるし、あのお母さんはもうここには住んでいられないよね? お父さんだって顔や名前も知られてるわけだし、無関係ではいられないでしょ? それが目的なら、ちゃんと果たせたと思うし、思い残すこともないんじゃないかなって」

 あーこれ、本当は人前で言っちゃいけなかった系のやつだったかなぁ?

 なんて少し反省したりしながら、僕は恐る恐る満照を見る。無表情なことが多いだけに、驚いたり呆れたりした時には結構顔に出るんだよね。

 だけどひとまず安心した。満照は相変わらず困った顔をしていて、「やっぱりお前なぁ」と言ったからだ。

「冷静過ぎるの、疲れないか? 無理してないか? メシの味わかって食えてるか?」

 僕の頭の心配をしてくれてるというか、心の心配というか、感覚的なものなのか、とりあえず気に掛けてくれているのはよくわかった。それにしても、これが僕の通常運転なのだということだけは、いまだにきちんと認識してもらえないのは何故だろう?

「大丈夫だよ。チャーハン美味しいよ。満照料理うまいよね」

「冷ご飯にチャーハンの素をぶっ掛けて強火でぐちゃぐちゃにかき混ぜただけだよ」

 そう言われるとなんとなく食欲なくなるからやめて欲しい……まぁ僕の方がメシマズな話をしてるんだけど、満照はもう完食してるからいいだろう。

「前にも言ったけどさぁ、きっと僕はどっか壊れてると思うんだよ。折れる心もないし、無理してるって感じる気持ちも、疲れてる気がする脳も、多分ないんだよ。だから心配しなくていいんだよ? こんな僕だからこそ多分、こんな意味のない能力があっても力尽きないんだろうし」

 うん、宿命は背負ってないけど、この能力を持つのに見合うだけの強さというか冷酷さというかどうでもよさというか、そういう才能みたいなのは案外あるのかも知れない。だってきっと、満照だったら心折れてるって言ってたくらいだし。それは僕にはないものだけど、満照にあって僕はないものがきっと、今は必要なんじゃないのかな。

「それでお前は、しんどくないのか?」

「まぁ、あんまり気持ちのいいものじゃないのは確かだけど、知り合いが死なない限りはまだ平気だと思うよ」

「俺が死ぬ時は、ハッキリ言ってくれていいからな」

「ははは、黙っててもバレそうだしね」

 死んだ表情筋で声だけで笑って、僕は満照の本気とも冗談ともつかない戯言をかわした。

 もしも満照がもうすぐ死ぬとわかってしまったら。僕は吐き気だけで耐えられるだろうか? 死にたいと思う気持ちは強まるだろうけれど、自分の意志でホームの端を蹴った時の瑞慶覧みたいな勇気は出せるだろうか?

 誰かを不幸にしたい一心で自殺を決行した瑞慶覧。ある意味僕は、彼女を崇拝したくなるほど高く評価してしまう。自分の命が尽きることがわかっていたということも、彼女を早々に死へと駆り立てたのだろうけれど、他人(まぁ親ではあるけれど、あんな存在なら彼女は他人以下に見ていたはずだ)を不幸にするために自分の命を捨てるというのは、悪魔に魂を売るのと同等のような気がする。

 そして、彼女の親は多分、確実に不幸になるだろう。最愛の娘を失ったことからではなく、周囲からの非難の目に晒されることや、あることないこと(だいたいはあることなんだろうけど)噂されること、持っているお金をすべて没収されることや、今後の生活の見通しの立たない中でなんとか食いつないで生きていかなければならないことなどに、もしもきちんと向き合うだけの神経があれば、きっと絶望するだろう。

 後悔は……するだろうか? もっと娘を大事にしてやればよかったとか、離婚などせずに誠心誠意、病気の治療に専念させてやればよかったとか、考えたりはするんだろうか?

 なんとなく僕は、満照から聞いたさっきの話からイメージを膨らませてみると、とてもそうは思えなかった。むしろ死んだ娘を恨み、あの娘のせいで自分たちは不幸のどん底に突き落とされたと、死んだ愛娘に逆恨みさえしかねないと感じた。

 まぁこれは僕の勝手な想像でしかないんだけどね。

 実際に彼女の両親に会う機会もなければ、会いに行こうっていう気持ちもないし、昨夜のお通夜はもちろん知らない間に執り行われていて、今日の葬儀にも行くつもりはない。行ってみて、あまりにも参列者が少なかったりしたら、余計に吐き気がぶり返しそうだし、僕もまた死にたくなりそうだ。

 土曜日なのに、お葬式に顔も出してくれない友だち。妹なら言うだろう。『そんなのは友だちだなんて言わない』と。さすがの僕だってそう思う。学校が休みの土曜日で、しかも学校は地元なのに、手を合わせにも来てくれないのはさすがに友だちとは呼べないだろう。学校の教員くらいは来ているのだろうか? まぁ見てもわからないだろうから、確認に行くわけでもないけどね。

「満照はお葬式に行ったりしないの?」

 あわよくば噂だけでも仕入れられたら面白いかな、なんて思ったりしたんだけど、悪趣味過ぎたようで、さすがの満照もうんざりした顔をして否定した。

「行くわけないだろ。理由もないし」

「知り合いじゃない?」

「じゃあお前もだろ」

「僕はちょっと前まで名前も知らなかったけど」

「俺もお前と同レベルだよ。かーちゃんの話がなかったら、普通に知らない奴だ」

「そっか」

 残念、とは思わなかったけど、まぁちょっとがっかり感はあるかな。でも逆にイケメンの満照が行ったら絶対目を惹くし、あらぬ誤解を受けたまま黙って帰ってきそうだから、行かなくて正解だと思う。

「でもやっぱりお前のアレは、外れないんだな」

「残念ながらね」

 今回見事に瑞慶覧が生き延びたり、病気などではまったくない普通の自殺だったなら、僕の能力は劣化してきていることになると思っていた。だけどやっぱり、また当ててしまった。それはまだまだこの変な能力は失いそうにないということだろうか。それともある日突然、なくなってしまう魔法のようなものなのだろうか。

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