第6話

 それで、家の前に着いた。お互いに顔を見合わせる。僕は満照が何か言うかなと思って。満照は多分、僕の顔色を心配してくれたんだろう。

「一人で大丈夫か? うち、寄って行くか?」

 難しい訊き方をされてしまった。「うち寄っていけよ」と言われたらそうするし、「一人で大丈夫か?」だけなら、黙って頷いて自分の家に帰るのに。選択肢を僕に委ねられてしまっては、何も言えずに困った顔を返すしかできない。

「やっぱり放っておけないな。来いよ」

 結局満照に促されるように誘導したような形で、僕は朝倉家の玄関にお邪魔した。そのままリビングに通される。勝手知ったる親友の家で、僕は適当に鞄を置いてソファに座らせてもらった。一応満照には断ってからだよ、もちろん。

「やっぱり何も食えないか?」

「うん。いいよ、満照は何か食べてて。匂いくらいで吐いたりはしないと思うし、気分悪くなったらトイレ借りる」

「そういうんじゃないだろ」

 呆れた声でそう言われたので、僕は何か気に障ることでも言ったかなと思って、満照の方を見た。顔も呆れて僕を見ていた。

「辛いなら辛いって言えって何度も言ってるだろ。お前のそれ知ってるの、俺だけなんだから」

 ああ、満照は僕を本当に心配してくれてたんだ。申し訳ないな。こんなつまらなくてくだらない僕なのに、一度お祖父さんの死を言い当ててしまっただけで、親友になってしまった満照。そりゃ、好きでなったのかどうかは僕には知りようがないけど、自発的に僕と仲良くしようとしてきたのは、今のところ後にも先にも満照だけだ。何か裏があるならどれだけ楽だろう。満照に裏表がないのは、僕が一番かどうかはわからないけど、それなりに上位ランクでよく知っているから、さらに困る。

「ごめん。今は一応、大丈夫だよ」

 頷いて、僕はまた満照から視線を外す。今度は満照も呼びかけなかった。そのうち何だかレトルトカレーのような匂いがしてきて、若干気分の悪さも収まりつつある僕は、空腹を感じた。

 カレーかぁ。なんでカレーってあんなに簡単にできるのに美味しいんだろうね? 野菜を煮込んでルゥを溶かすだけの超簡単クッキングじゃない? もちろんあれだけたくさんの会社がしのぎを削って、さんざん競い合ってさまざまな種類のルゥが製造販売されてるわけだから、あの塊に何らかの美味しさの秘密が凝縮されてるのはわかってるんだけど、それにしたってすごいよね。

 あー、カレー食べたい……と思っていたら、僕の座っているソファの前のテーブルに皿が置かれた。もちろんカレーだった。ご丁寧なことに、スプーンと冷水入りのコップ付き。

「あれ?」

 僕が顔を上げると、満照は自分の分の皿を持って隣に座ったところだった。

「食べれるだろ?」

「え? あ、うん。ありがとう」

 果たして、僕が食べたそうな顔をしていたのか、食べられそうだと満照が判断したのか、無理にでも食べさせるべきだと考えたのかは知らない。単純に二人分入りのレトルトパックの処理に困っただけかも知れないし、消費期限切れ寸前だったって説もないとは言えない。

 それでも結果的に、僕は満照にまた救われた。空腹という、ささやかな敵からではあるけれど、腹が減っては戦はできぬって言うし。

 多分どこの家庭にでもストックしてあるタイプの、何の変哲もない普通のレトルトカレーと、レンチンするだけのパウチのご飯だったんだけど、胃が空っぽだったせいか、例の瑞慶覧という女子がいなくなったせいか、僕は非常に美味しく一皿いただいた。

「ごちそうさま」

 その食べっぷりに満照は満足そうだったし、それなら僕も良かったなと思う。お互い手が二本しかないので、自分の食べた分の食器をシンクまで運んで、水に浸けておいた。あとは満照のお母さんが夕飯の片付けの時に一緒に洗ってくれるらしい。

「正確に言うとさ」

 冷水の入っていたコップに、麦茶を注いで出してくれた満照は、他所の家のソファだというのに、相変わらず我が物顔でグダグダしていた僕の隣に腰掛けて言った。

「明日でちょうど三週間になると思うんだよな」

 何の話? なんて返すほど、僕は満照にだけは意地悪ではない。何せ唯一無二の親友なんだから。そして、多分たった一人の僕の変な能力の理解者なんだ。これまで死にたい死にたいと思いながらも死にきれずに、なんとか死ねるように努力を重ねながらも死ねなかった僕の、唯一の生きる希望なのかも知れないしね。どうだかわなんないけど。

 まぁもちろん、最悪どうしても死にたくなったなら、親友がいようと恋人がいようと親兄弟がいようとも、別に最終的にはそれさえ僕の死なない理由にはならないんだけど。こればっかりはホント、自分勝手で申し訳ないんだけどさ。あまりにひどい言い分だから、さすがに満照にも言えないや。

 で、その三週間っていうのはもちろんあの女子のことに違いなくて。

「確か木曜日だったと思う。だから、明日で三週間。見た感じ元気そうだし、制服も着てたから学校にも言ってるんだろうけど」

 うん、学校サボって早退してきた僕たちに会うくらいだから、ろくに勉強はしてないとは思うけどね。

「お前の話だと、三日から一ヶ月以内に死ぬって話だったから……一ヶ月は保たないって考えた方がいいんだよな?」

「そうだね。一ヶ月ちょうどで死んだ人もいないし、一ヶ月を越えた人もいないから」

「そうか……俺にはわからないけど、確かに人が死ぬのが事前にわかるっていうのは、何ていうか、キツいな」

「まぁ、そこそこね」

 強がってそう言ってみたけど、そりゃやっぱりキツいよ。それが見ず知らずの真っ赤な他人とか、もう死んでもいいんじゃないってくらいの高齢の人だったりとか、縁もゆかりもない芸能人なら、まだそこまでひどくもないんだけどね。僕みたいな精神構造の場合は。

 それでも、最新の顔も名前も知っていて(正確には名前はさっき知ったところだけど)、家も学校も友だちの顔もわかっていて、幼い頃の思い出もあったりする相手が、あと数日以内に死ぬ。多分これは変えられない事実で、そして偶然の例外もないんだろう。

 病院に行っていたということはやっぱり何かの病気なんだろうし、僕が感じたんだから病死に違いない。

 彼女の家は、僕たちのような一戸建てではなくて、もう少し小学校の校区の端にある小さなアパートだった。今でもそこに住んでいるのかどうかは知らないけど、今日駅前で会ったわけだし、両親が離婚してお金がないのなら、あそこ以上の物件を探すのも難しそうだなと思った。だったら多分、まだあそこに住んでいるんだろうし、じゃあお通夜とお葬式は町内の会館になるのかなぁ……なんて、身内でもないのに気が付けばそんな心配をしていた。

 僕の隣では満照が神妙な顔で僕を見ていた。自分がどんな表情になっていたのかはわからないけど、まぁ表情筋が死んでるから笑ってはいなかったはずだ。その辺はホッとする。

「お前もなぁ……いろいろ見てきたんだろうな」

 さまざまな人の死を、という意味だろうか。正確には、死ぬ直前の姿を、だけど。

「俺だったらとっくに心折れてるわ」

「僕はもともと折れてたんだよ」

 別にたいしたことではなかったので、僕は平坦に言ったんだけど、満照は小さく「ごめん」と言った。そんな、謝ることなんか何もないのに。僕も反射的に「いや」と返す。

「別に僕は、特別心が強いわけでもないし、むしろもう生まれた時から心が折れてる病気みたいな奴だったからさ、今更周囲の誰かが死んだからって、悲しんだり苦しんだり自分を責めたりはしないよ」

「そんなもんなのか?」

「さぁ? ただ僕は生まれた時から死にたかったし──あーごめん、これ言っちゃダメなやつだった」

 迂闊だった。満照の前で、実際に自殺願望を言葉に出してしまった。さすがに僕の無感情な棒読みのセリフにも感情を感じたようで、満照はスッと顔色を変えた。多分僕が死にたがっているのは薄々気付いていはいても、言葉にされたら認めざるを得なくなってしまったのだろう。それが嫌だから僕だって言わないようにしてたのに、ああまったく迂闊だった。

「もしもお前が単なる構ってちゃんでそういうこと言ってるんなら、俺も簡単に『じゃあ死ねば?』って言うと思うんだけど、今のお前に言ったら本当に死にそうだからやめとく」

 満照の返事はそこに凝縮されていた。ものすごく的確で、僕を思ってくれているのが伝わってきた。

「ごめんな。その──いろいろと」

「別に?」

 やけに神妙になる満照だったので、やっぱり普通は多少でも知り合いである相手の死期が近いと聞けば、こういうふうになるのが普通なんだろうなぁって僕は漠然と学んだだけだった。

「さっきさぁ」

 そんな恐縮した満照を放っておけなくて、珍しく僕の方から話を振ってみた。とは言え、何も特別面白いことは言えないので、現実に起こった話をするだけだ。

「駅前でさっきの女子──瑞慶覧? に会った時にね、なんでまだ満照とつるんでるんだって訊かれたんだよね」

 満照も顔を上げて僕を見た。あ、これは多分同じ事を自分も言われたんだ。

「俺も訊かれたけど」

「そう。それで僕はさぁ、満照の受け売りで申し訳ないんだけど、『親友だから』って答えたんだよ」

「俺もまた同じこと言ったわ」

 少し、笑った。

「そしたらやっぱり変な顔されちゃってねー。相手してられないって感じで、さっさと離れて行っちゃった。あれが多分最後の会話になるんだろうなって、今思った」

「だったら俺も同じだな」

 あれ? これじゃあ慰めるどころか追い打ちを掛けるだけになっちゃうんじゃないか?

 だけど満照は別に感傷的になるでもなく、普通に言った。

「多分あいつは、誰かに親友って言って欲しかったんだろうな」

「そうなのかな?」

「昔、お前の妹ちゃんがあいつに啖呵切っただろ? そんな友だちならいならい、とかって。ああいうのって、案外心に残るもんだからさ」

 要するに、うちは兄と妹揃って彼女を傷付けちゃったってことになるわけかな?

「うーん?」

 思わず声に出してしまって、満照に「違う違う」と修正される。助かった。

「多分あの時、あいつは俺とお前がうらやましかったんだろうな。あと、妹ちゃんのことも」

「うらやま?」

「だってそうだろ? あんなにたくさん取り巻きがいたのに、誰一人として妹ちゃんに言い返した奴いなかったじゃん。普通なら一人くらいいてもいいんじゃないか?『私がこの子の親友よ! 何か文句あるの?』って感じでさ」

「そんなもんなのかなぁ?」

「そんなもんなんじゃねぇの?」

 そうかぁ。じゃあ結局彼女は、瑞慶覧は、親友の一人も持てないままに死んでしまうことになるわけか。それはそれで、少し寂しいことなんだろうな。普通は。

「まぁ、俺たちがどうこうしてやれる問題でもないし、もちろんお前のせいでもないんだから、いつも通りに普通に飯食って寝てればいいんだよ」

「そうだね」

 どうせ、僕にできることなんて何もない。どうして他人の死の間際がわかるのかなんて知らないし、知ったからといって確かにどうこうできる問題でもないんだ。

 少年漫画のヒーローなら、きっと〈異能〉を持つことのハンデみたいな感じで、何か宿命を背負ってたりするもんなんだろうけど、僕には何も背負うものさえない。命の重み一つ背負えなくて、何がヒーローか。だからもちろん僕はヒーローではないわけで。

「俺はお前に何もしてやれないけどさ」

 ぼそりと満照が言った。

「お前が何かして欲しいことがあったら、言ってくれたらそれでいいんだよ」

 漠然としてて正直よく理解できなかった。何やら思いやり深い言葉だったのだろうけど、僕は単純に「ありがとう」と言ってそのセリフを耳の奥にしまった。

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