第47話

 一方、ブレイズはジャネットを攫っていった執行官を追って森の奥深くへと入っていた。


「放して!放してってば!」


 ジャネットは必死に執行官をぽかぽかと叩いているが、少女の非力な拳ではビクともしなかった。


「その子を放せ!」


 ブレイズがあと少しで執行官に追いつけそうになった時、不意に森の開けた場所に出た。不自然に樹が生えていないその場所には、他の執行官も複数いた。

 ブレイズが追っていた執行官はジャネットを放り出すと、その首にナイフを当てた。


「きゃ…!」

「動くな。動いたら殺すぞ。」


 ブレイズを見据えて放たれた言葉に、ブレイズはその場から動けなくなった。


「くそっ!」

「そのまま手を上げろ。」


 執行官に言われるまま、ブレイズは手を上げた。広場で待機していた執行官が近づいてきて、ブレイズに手錠を掛ける。後ろ手に手錠が掛けられた瞬間、ブレイズは体内の魔力を感じられなくなった。


「な、何だこれ?」

「魔力封じの手錠だ。これを嵌められると魔術が使えなくなる。」


 ニヤリと手錠を嵌めた執行官が言った。リーダーと思しき執行官が声を掛けてきた。


「ああ。武器と使い魔の器を回収しておけよ。」

「承知しました。クライン様。」

「…お前ら、単独行動が基本なんじゃなかったのかよ?」

「ブレイズ・イストラルの案件に関しては複数人の組織で当たるように上から指示が出たのさ。……っと、これか。」


 手錠を嵌めた執行官はブレイズの体をチェックした後、手首からブレスレットを抜き取った。さらに腰につけていたナイフや銃も回収される。回収された品はクラインと呼ばれたリーダーの執行官の元へと運ばれた。


「何だ、弱い魔物を使い魔にしていたんだな。まあ、魔術初心者じゃ強い魔物は契約してくれないか。」


 ブレイズを嘲笑うように言うと、クラインはブレスレットを握りしめた。フォン達の器を取られ、ブレイズは焦った。


「何をする気だ!?」

「何って、もちろんこうするのさ。」


 そう言うとクラインはブレスレットを握る手に炎を出現させた。フォン達の器が燃やされる。


〈うわあああああ!〉

〈ぐああああああ!〉

〈きゃあああああ!〉

「フォン!レスタ!トア!」


 三人の叫び声がブレスレットから聞こえてきて、ブレイズは叫んだ。


「やめろ!やめてくれ!」

「もう遅いよ。」


 ボウッと音を立てて、ブレスレットは燃え尽きた。灰になってしまったブレスレットに、ブレイズは呆然とした。


「魔術師と戦う時は魔物との契約の要となっている器を壊すことが定石だ。」


 さらさら、とクラインの手から灰が地面に落ちる。ブレイズにはもうフォン達の魔力を感じることはできなかった。


「そんな……。」

「さて、これで頼みの魔物はいなくなった。『炎獄の死神』も足止めを喰らっている頃だろうし、早速儀式を始めるぞ。」

「はい。」


 クラインが合図すると、他の執行官達は返事をして地面に魔法陣を書き込んでいった。異様な文字が書き連ねられていくのを見て、ブレイズは背筋が寒くなった。


「……何をする気だ?」

「君にはロマニア国の魔力源として奴隷になってもらう。」

「奴隷?」

「そうだ。主人であるロマニア国に絶対服従する奴隷。そうなるための奴隷紋を今から君に刻む。」

「!」


 クラインの言葉にブレイズは絶句した。ニタリ、とクラインは嗤う。


「ただの奴隷の証ではないぞ。黒魔術で刻む奴隷紋はその魂を縛り、奴隷となった者に強制的に命令を遂行させる強制力がある。万が一命令に逆らおうとすれば体を引き裂かれるような激痛が襲ってくる。」

「…胸糞悪いな。」


 ブレイズは顔を青くしながらも悪態を吐いた。


「『炎獄の死神』によって魔力に封印がなされたからな。本人の意思でしか魔力を使えないのなら、その意思を強制すれば良いだけだ。」

「絶対に逆らってやる。」

「どうぞ。出来るものならね。」


 ブレイズはクラインを睨みつけたが、相手はどこ吹く風という感じで嗤った。


「魔法陣、書き終わりました。」

「良し。なら、ブレイズ・イストラルを連れていけ。」

「はい。」


 ブレイズは強制的に立たせられたが、魔法陣の中央に連れて行かれそうになるのを必死で抵抗した。それにイライラした様子で執行官が言った。


「おい、いい加減にしろ。あの女がどうなっても良いのか?」


 はっとしてブレイズはジャネットを見た。ジャネットは酷く怯えた様子で泣きじゃくっていた。


「……くそっ!」


 ブレイズは悔しげに唇を噛むと、のろのろと魔法陣の中央へと歩いて行った。


「ここに座れ。」

「……っ。」


 力づくで肩を上から押され、ブレイズは魔法陣の空白になった真ん中に膝をつく。執行官たちが離れていき、魔法陣にはブレイズだけが取り残された。


「では、始めようか。」


 クラインのその言葉を合図に、儀式が始まった。ぶつぶつと執行官達は聞き覚えのない不思議な言葉で呪文を紡いでいく。呪文が唱えられるに従って、魔法陣は淡く光り出した。怪しげな紫の光が周囲を照らす。それと同時にブレイズは息苦しさを感じていた。儀式が進むほど、その息苦しさは増していく。


「かはっ…!」


 あまりの苦しさにブレイズは地面に倒れ込んだ。苦しくて涙が勝手に滲んでくる。


(もう、息が、持たない……!)


 ブレイズの意識が遠のきかけた時、儀式はようやく終わった。


「げほっ、ごほっ、はーっ、はーっ、はー…っ!」


 呼吸が出来るようになり、ブレイズは必死で息を吸った。肺に酸素が周り、呼吸が楽になる。だが、どこかまだ息苦しさが首周りにねっとりと絡みついているような感覚があった。


「成功だな。奴隷紋が定着したようだ。」


 クラインはブレイズの首を見て言った。ブレイズの首には、蛇のような模様がぐるりと一周していた。


「ブレイズ・イストラル、『こっちへ来い』。」

「うわっ!」


 クラインが命令した途端、ブレイズの体は勝手に立ち上がり、クラインの元へと歩き出した。


「か、体が勝手に動く!?」

「それが奴隷紋の効果だ。どうだ、素晴らしいだろう?」


 ニタリといやらしい笑みを浮かべてクラインが言った。ブレイズはその得意げな顔を睨みつけた。


「最悪だ…!!」

「さて、晴れてロマニアの奴隷になった君には、最初の仕事をしてもらおうか。」

「仕事?」

「『そこの少女が殺されるのを見ていろ』。」

「なっ!」

「ひっ!」


 ジャネットの口から悲鳴が出た。ブレイズは憤る。


「何でジャネットを殺さなきゃならないんだ!!」

「何でって、もちろん君の抵抗の意思を殺すためだよ。立派な奴隷に仕上げるには邪魔だからね。」

「そんなのジャネットには関係ないだろう!」

「だからこそだ。君のせいで関係のない少女が一人死ぬ、その事実が君を絶望に追いやり、私達に抵抗する意思を無くす。重要な工程だよ。」


 そう言うと、クラインは使い魔を呼び出した。熊の姿をしたその使い魔はのそのそとジャネットに近づいていく。


「さあ、食べて良いぞ。」

「助けて!誰か、助けて!」

「ジャネット!」


 ジャネットの悲痛な叫び声が森の中にこだまするが、執行官達はにやにやとその様を眺めているだけだ。ブレイズは必死で体を動かして助けようとしたが、指先一つ動かすことが出来なかった。


「あまり勝手に動こうとするなよ。」


 クラインがそう忠告した瞬間、体を引き裂くような痛みが全身を走った。あまりの激痛にブレイズの口から叫び声が出た。


「あああああああああああああああああ!」

「だから言っただろう。抵抗しようとすれば激痛が襲うと。」


 ブレイズは痛みのあまりのたうち回りたかったが、それすらも奴隷紋に制限されて動くことができない。目から勝手に涙がこぼれてきた。


(こんなに痛いと思ってなかった…!くそっ、奴隷紋の効果を甘く見てた…。)


 酷い痛みに弱気な心が顔を覗かせる。しかし、ジャネットの叫びが聞こえてきてはっとさせられた。


「いや、来ないで!いやだ!」

(ダメだ、俺がジャネットを助けないと、殺されてしまう!)

「うがあああああああ!」


 ブレイズは再び体を動かそうとした。激痛が体中を駆け巡り、思わず叫び声をあげてしまうが、今度はそれでも動かそうとするのを止めなかった。その様子を見て、クラインが呆れた様子で言った。


「無駄だと言うのに、随分足掻くな。痛みも酷いだろうに。」

「あああああああああ!」

「うるさいな、『黙れ』。」

「………!……!………!」


 ブレイズは声も封じられ、びくびくと震えることしかできなくなった。それでも、抵抗を止めようとしない。


(俺が助けないと!動け、体、動けよ!)


 ブレイズが必死に抵抗している間も、熊の使い魔はジャネットに一歩ずつ近づいていく。

 遂にジャネットの目の前まで熊が来てしまった。ジャネットは恐怖のあまり、叫ぶことも出来なくなっていた。


「いや……、助けて…!」

「………!」

(危ない!!)


 ブレイズにジャネットの助けを求める声が届いた瞬間。ブレイズの体から魔力があふれ出て、ゴウッと激しい突風となり辺りを駆け巡った。


「な、何だこれは!」


 クラインが叫ぶが、激しい風に遮られて誰も答えることができない。皆、吹き飛ばされないようにその場に止まるので精一杯だった。ジャネットを襲おうとしていた熊の使い魔も突然のことに驚き、動きを止めていた。

 クラインが突風の発生源であるブレイズの体に目を凝らすと、嵌められていたはずの手錠が壊れてしまっていた。ブレイズは奴隷紋の効果に苦しめられながらも、声にならない叫び声を上げ続けている。

その様子を見て、クラインははっとした。


「まさか、魔力暴走か!?」


 クラインはぎり、と奥歯を噛み締めた。


「奴隷紋に抵抗するあまり、魔力暴走を引き起こすとは、見通しが甘かったか!しかし、魔力封じの手錠も壊すほどの魔力とは想定以上だな。何としてもロマニアのために連れて帰らなければ……!」


 そう言って、クラインはブレイズを捕まえようと、手を伸ばした。その瞬間、風がかまいたちとなって襲い掛かって来た。


「なっ!」


 伸ばした手がずたずたに切り裂かれ、あっという間に腕が血塗れになった。慌てて腕を引くが、かまいたちは止まることなく次々と襲い掛かってくる。腕が、足が、胴体が、次々と切り裂かれていった。


「ぎゃあああああああああああ!」


 必死になってクラインは逃れようとするが、それでも風の凶刃が収まることはなかった。気づけば他の執行官や使い魔の熊にもかまいたちは襲い掛かっていて、あちこちで血しぶきと悲鳴が上がる。それは恐怖におびえていたジャネットにも平等に襲い掛かっていた。


「きゃあああああああああ!」

「ぐわあああああああああ!」

「助けて!誰か、助けてくれ!」


 何人かの執行官は何とか魔術で防御しようとするが、防御を築く端から風が切り裂いていってしまう。クラインはブレイズから距離を取り、何とか大きな樹の陰に隠れてかまいたちから逃れることが出来た。


「くそっ!『止まれ』!」


 奴隷紋を利用して魔力暴走を止めようと命令を叫ぶが、轟々とうなる風にかき消されて声はブレイズまで届かない。それでもクラインは必死になって命令を叫んだ。


「『止まれ』!『止まれ』!聞こえないのか、『止まれ』!」

「……騒がしいから何かと思えば、魔力暴走を引き起こしたのか。」

「!」


 クラインがぎょっとして後ろを振り向くと、そこにはライがリアを肩に乗せて立っていた。

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