第10話
戦闘が始まってすぐにライとウェストは二階へと上がっていた。ウェストの攻撃に押されて、ライは二階へと移動せざるを得ない状況に追い込まれているようだった。
「どうした?最初の威勢はどこに行った?」
「……っ!」
攻撃をかわしつつ、ライはじりじりと後退させられていた。そして遂に廊下の突き当たりに背を着けるまでに追い詰められてしまった。
「もう後がないなあ。」
相手を追い詰めた余裕からか、ウェストは嬲るような声を出した。一方のライは、追い詰められた状況だというのに、ちらりと階段へ目を向けた後、目の前のウェストに静かに訊ねた。
「貴様、既に黒魔術に手を出しているな?」
「ふん、それがどうした?」
「黒魔術は禁忌…。人が行う事を禁じられた魔術だ。」
諫める様に言うライをウェストは嘲った。
「ははは!禁忌など馬鹿馬鹿しい。魂の欠片を魔力に変換すれば、大量の魔力を手に出来るのだ!こんな素晴らしい魔術に手を出さない者はいないさ!」
「…魂の欠片を魔力に変換した分、心を失うとわかっていてもか。」
「善悪に悩むような弱い人の心など俺には不要だ。……欠片を全て魔力に変換して消えないように気をつけてさえいれば良い。」
ウェストは唇の両端をキュイッと吊り上げた。
「ブレイズを生贄にしようとしたのも、ロマニアの為でなく自分のためだろう?」
ライの言葉に、ウェストは笑みを引っ込めた。
「……何故、そう思う?」
「国の魔力庫として連れ帰るだけなら、わざわざ生贄にする必要は無い。それに、黒魔術に手を出す人間が自分以外のものの為に動く訳がないからな。大方、魂の欠片を使い果たさないように自分専用の魔力庫として使おうとしているのだろうと察しがつく。」
「くくく…。全くその通りだよ。」
ウェストは笑いながら言った。
「貴様も魔術師ならわかるだろう?あの魔力量、上位の魔物にも劣らないほどの量だ。あれを使えば多くの上級魔物を同時に使役する事も、高難度の魔術も自分の思いのままに行う事が出来る!あれを手に入れれば、俺は世界を支配することだって可能なのだ!」
うっとりとして言うウェストを見て、ライは目を細めて呟いた。
「下劣な…。」
「それは貴様もだろう?長髪。」
ウェストは見下すような目でライを見つめた。
「貴様に会った時から感じていたが、貴様の魔力も黒魔術で得たものではないのか?人の魔力からは程遠い感覚がするぞ。」
「……貴様に教える義理は無い。」
「どうせ同じ穴の狢なのだろう?貴様も、あのブレイズの魔力を狙ってこの森の奥まで来ていたのだろう?ブレイズ・イストラルの件は我がロマニア国でも極秘中の極秘なのに、どこであの少年の話を聞いた?」
敵愾心を露わにしてウェストは睨んだ。
「無粋な想像をしているようだが、オレは本当にブレイズを利用する気はない。」
「なら、何故ブレイズを助けた?あれを助ける理由など、魔力を利用する以外にあると思えん。」
「…お前みたいな馬鹿な魔術師や魔物から守るためだよ。」
「何だと?」
ライの馬鹿にした言い方にウェストは眉をしかめた。
「あのままブレイズを放っておけば、魔力の封印が解けてこの辺り一帯に魔物が集まってきただろうからな。そうなれば近くの街も魔物に襲われて、人死が多く出るだろう。もしくは魔力狙いの魔術師に攫われるか…。そうなるのは見過ごせなかっただけだ。」
「あの魔力を利用する気はないなど…。信じられないな。」
理解不能だと言わんばかりに鼻をならしたウェストに、ライは言った。
「人の心を失くしている貴様には、一生理解出来ないだろうな。」
そう言って皮肉気に笑った。ウェストは追い詰められているはずなのに何処か余裕のある態度のライを不審な目で見ていた。
「まあ良い。お喋りはここまでだ。どちらにせよ邪魔をした貴様はここで排除する。」
ウェストはそう言うと、マントの下から煙を漂わせた。気味の悪い紫色の煙が火の玉のように空中に幾つも浮かぶ。異様なにおいにライは鼻を覆った。
「毒ガスか…。」
「さあどうする?剣では防ぎきれまい!?」
獲物を嬲ろうとする血走った眼で、ウェストは言った。
ライは無言で手を横に動かした。すると、あっという間に煙に火が着いてウェストの方へと走っていく。
「何!」
ウェストは慌てて煙を消した。その隙にライが斬りかかる。
「貴様はさっきまで何を見ていたんだ?オレが炎を使うのは散々見ただろうに。」
馬鹿にしたライの台詞に、ウェストのプライドが傷ついた。
「貴様!」
ウェストは慌てて煙を硬化させて剣を防いだ。騎士並みの重い一撃によろめきそうになりながらもライに襲いかかろうと一歩踏み出した瞬間、後ろから大きな質量の物体がぶつかって来た。右腕に鋭い痛みが走る。
「ぐあっ!?」
ウェストが右腕に目をやると、そこには大きな黒犬が噛みついていた。闇に溶けてしまいそうなほどに黒い毛。一見普通の犬に見えるが、血のように赤い瞳と異様な存在感が、この世界の生き物でない事を示していた。犬のにおいをかいで、ウェストはこの犬が儀式をしようとした時に邪魔した生き物である事に気付いた。
「この、犬風情が!」
ウェストは煙をナイフ状に出現させると、その黒犬に向かって突き立てようとした。だが、黒犬はウェストが動いた瞬間に口を離し、距離を取った。今度はライが後ろからウェストに斬りかかってくる。
ライの攻撃を避け、一人と一匹を視界に収められる場所にウェストは移動した。思いのほか体力を消費し、少し上がった息を整えながらライを睨みつけた。
「使い魔を戦闘に使うなど、卑怯だとは思わないのか?」
「使い魔を魔力の供給源としてしか考えないお前にはそう思えるのかもしれないな。だが、オレにとってロベスは相棒だから、共に戦うのは当然の事だ。」
そう言ってライはロベスと呼んだ使い魔の体に触れる。ウェストは忌々しそうにロベスを見た。
「炎属性の上位の魔物だと…?貴様、一体何者だ?」
その問いに、ライではなくロベスが答えた。
〈魂を売った欠陥品の人間に教える義理など無い。〉
嘲るように言ったロベスの言葉を補うようにライが言った。
「ロマニアの執行官なら『オレ』の噂の一つや二つは知っているかもしれないな…。まあ、思い出さなくて結構だ。」
その態度に、ウェストは完全に頭に血が昇った。
「さっきからずっと俺の事を馬鹿にして…!貴様は絶対に許さない!殺してやる!!」
ヒステリックに叫ぶと、ウェストはマントを脱ぎ捨てた。マントの下に隠されていたウェストの体を見て、ライは顔をしかめた。
「醜悪だな…。」
ウェストの体は到底人と呼べるものではなかった。右胸の部分に黒い玉が埋め込まれ、そこから煙が噴き出していた。ただの物であるはずのその玉は、不気味に脈打っている。
ロベスも鼻づらをしかめた。
〈人体に無理矢理媒体を張り付けて魔物を宿しているのか…。〉
「何とでも言えばいい!この黒魔術で得られる魔力を考えれば人の姿など大したものではない!」
陶酔し高らかに語るウェストを他所に、ライは目を伏せた。
「可哀想に…。こんな奴に使役させられるとは……。」
ぽつりと呟いた。だが、興奮しているウェストには全く聞こえていない。
「お前には地獄を見せてやる!」
ウェストが手を玉の上にかざすと、ぼんやりと不思議な文字が玉に浮かびあがった。それを見て、ライが眉をひそめた。
「あれは、魂の欠片を魔力へ変換する式…。」
〈やはり彫っていたな。〉
「十中八九やるだろうとは思っていたが……。」
そう言ってライは溜息を吐いた。
「……ここまで来ると、まるで救いようがない。」
その時、ライの後ろで足音がした。
「うわ!何だそいつ!?」
ライが驚いて振り向くと、ブレイズが階段を上がって来ていた。
「ブレイズ!何故昇って来た!?」
「いや、下はもう片付いたから、こっちに加勢出来ないかと思って…。」
その言葉にライは安心したかのように溜息を吐いた。
「そうか。こっちもすぐ終わるからそこで見ていろ。魔術師の戦いを見せてやる。」
ライの台詞を聞いて、ウェストが笑った。
「すぐ終わる?殺されるの間違いだろう?」
魂の欠片を魔力へと変換したウェストからは、さっきまでとは比べ物にならないほどに多い魔力が感じられる。魔術師でないブレイズにもはっきりと感じられた。胸の玉に宿っている魔物の活動もかなり活発になり、大きく膨らんでいた。あまりの気味の悪さに、ブレイズは青ざめた。
「まさか、そいつ、ウェストって魔術師…?」
「ああ。黒魔術に手を出した結果がこれだ。」
ライは冷静な顔で答えると、剣を構えた。それを見て、ウェストが嘲った。
「今の俺に挑むつもりか?この魔力に敵う訳がないだろう!どうせすぐに殺されるのが見えているのに!」
「やってみないとわからないさ。」
そう言って、ライはウェストの目を見つめた。青い目が細められ、深い色に輝く。
しばらくの静寂。
先に動いたのはウェストの方だった。
「死ねえええ!」
ライに向かって魔力が爆発的な質量をもって飛んできた。ライはそれに向かって剣を振り下ろした。
瞬間、ウェストの放った攻撃は四散し、館全体を揺らした。廊下は白い煙が立ち込め、辺りは全く見えなくなった。ウェストは必死に目を凝らした。
「くそ、何処だ!?何処に隠れた!」
魔物を使って辺りの煙を晴らしていく。その瞬間、正面から赤い炎と共にライが現れた。
「な!?」
白煙の中から現れた黒髪碧眼を見て、ウェストはある魔術師の噂を思い出した。
「貴様、まさか『炎獄の死神』!?」
ウェストが驚きに目を見開く間に、ライは炎を纏わせた剣でウェストを斬った。防御する暇もなくウェストは斬られ、あっという間に炎に包まれて行く。
「あああああああああああ!!」
ウェストは絶叫した。彼の体が完全に炎に包まれた途端、廊下に満ちていた煙も綺麗に消えた。
「熱い、痛い!助けてくれ!!」
喚き散らすウェストに、ロベスは静かに言った。
〈今貴様を包んでいるのは『裁きの炎』だ。罪を犯していない人間には痛くも痒くもないが、罪人が触れば想像を絶する痛みに襲われる。痛みは、罪の重さの分酷くなり、それを味わう時間も長くなる。炎が消えても、罪を反省するまでその痛みが消える事は無い。〉
魔物を宿していた玉が燃え尽きて、ウェストの体は元の人間の物に戻った。
「貴様の罪は、黒魔術に手を出した事。自分の魂はおろか、魔物を自分の体に強制的に宿し、苦痛を与えた……。貴様の使い魔が味わった苦しみを、しっかり覚えておけ。」
ライはそう言うと、剣を鞘に収めた。ブレイズが恐る恐る歩み寄って来た。
「なあ、コイツ大丈夫なのか?」
そう言って、ブレイズはウェストを指差した。ウェストはあまりの激痛に意識を失っている。
「大丈夫だ。最初の痛みは凄まじいが、耐えられないほどの痛みではないし、時間の経過と共に痛みはましになっていく。コイツが本気で悔い改めれば、痛みが治まるのも早くなる。」
説明しながら、ライはウェストを肩で支えて歩き始めた。ライの側に、さっき生贄にされかけた時に助けてくれた黒犬を見つけ、ブレイズは話しかけた。
「あ、さっきは助けてくれてありがとう。」
しかし、ロベスはそっぽを向いて言った。
〈俺はライの指示に従ったまでだ。礼ならこいつに言え。〉
その言葉に、ブレイズはライを見た。だが、ライはブレイズが礼を言う前にこう言った。
「まだ、礼を言うのは早いだろう。こいつらをちゃんと騎士団に引き渡すまで、気は抜けないと思うが。」
「そうかもしれないけど、街から騎士団がここまで来るのに時間かかるし。だから、先に言っとく。助けてくれてありがとう。本当に助かった。」
まっすぐに見つめてくるブレイズの目をライはしばらくの間黙って見た後、不意に言った。
「……どういたしまして。」
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