第7話 化け出る者ども(1)
妖怪だらけの参道を、うさぎをTシャツの中に入れてミコトは歩く。
うさぎは、
「神である自分の姿を妖怪に見せたら、妖怪が逃げてしまうから」
などと言って、ミコトのTシャツの中に隠れてしまったのだ。明らかに胸の辺りがぽっこりとして怪しいのだが、人間には見えないし、妖怪もそこまでミコトを気にしているわけではないため、問題はないらしい。
うさぎの温もりが、直に体に伝わってくる。この真夏の暑い中、もこもこ毛のうさぎを胸に入れるなんて正気の沙汰じゃない。暑さで少し頭がクラクラする。
だから、うさぎの首根っこを掴み、Tシャツから出そうと引っ張る。
「ねぇ!うさぎ!暑いよ!耐えられない!」
「あ、ごめんごめん!人間は暑さがダメだったんだよね」
うさぎがそう言うと、うさぎの体温が急激に下がった。胸の辺りがひんやりとして心地がいい。じんわりと体から熱が引いていく。
「……なに、これ。すごく、気持ちいい」
「でしょ?神様だから、なんでもできるんだ」
顔は見えていないけれど、うさぎが得意げな顔をしているのが、なんとなくわかった。
冷えピタのように冷たいうさぎを胸に、ミコトは参道を歩いた。
境内はとても奇妙な空間だった。こんなにも妖怪がいるのに、人間たちはなにも気にしていないし、妖怪たちも人間が境内で何かしていても気にしていない様子だ。
まるで、二つの世界が、互いに干渉せず、交わっているみたいだった。
「……ねぇ、その場の流れでうさぎの言う通りにしたけどさ、これって本当に本当の現実?」
「ミコトくんくどいなぁ。本当に現実だよ。本当は現実だって信じてるんでしょ。そうじゃなきゃ、今、こうしてボクと話すのも、妖怪を見るのも無理だもの」
うさぎはもぞもぞと、Tシャツの中で動く。少しくすぐったい。
ミコトは、考えを巡らした。
頭では、これは夢に違いないと思っている。だけど、心では?
ミコトの心は、これが現実だ、と、妖怪が現実にいた方が面白い、と叫んでいる。大人になろうと抑え込んでいた子供心が、胸の中でざわつき始める。
ああ、妖怪を信じるなんて、子供っぽいから嫌なのに。
「でもさ、俺、今まで妖怪なんて見えたことなかったよ。なのになんで、いきなり妖怪が見えるようになったわけ?おかしいじゃん」
「それは、緊急事態だから、ボク……というか、神々の力でチョチョイとね……」
「チョチョイってなんだよ」
「チョチョイは、チョチョイだよ……。あのね、ミコトくん、いい加減、信じてよ。じゃないと、日本が妖怪たちに支配されるよ?」
ミコトは黙った。
もし、これが現実で本当に妖怪が今この場にいるとしたら?こうやって疑っている間に、日本が妖怪に支配されたら?
ミコトは意を決して、口を開いた。
「……ああ、もう!わかったよ!……とりあえず、うさぎの話を信じる。俺のせいで、日本が滅びた、なんて言われたら嫌だし」
「やっと信じてくれた?まったくもう、疑い深くて困っちゃったよ」
「とりあえず、だから!完璧に信じてるわけじゃないから!」
「はいはい」
「……でもさ、一つ疑問なんだけど、問題の妖怪たち、人間のこと全く気にしてないんだけど、人間が妖怪を見えないように、妖怪も人間が見えてないの?」
「見えてるよ。見えてるけど、ただ、今この辺を彷徨いている妖怪は、人間に興味がないものが多いみたいだね」
「興味がない?」
「そう。妖怪にも、いろんな性格の子たちがいる。人間に好意的なものもいれば、敵意むき出しなものもいる。全く興味ない奴らもいるんだよ」
「ふーん、そうなんだ。興味ない妖怪が多いのに、地獄に帰さないといけないの?」
「ああ、そうだね……。今は人間が妖怪を認識してないからいいけど、人間が妖怪を認識した瞬間、お互いにとって良くないことになると思うよ」
「よくないことって?だって、悪さをする奴らじゃないんでしょ?」
うさぎは、Tシャツの中でしゃべっているのが苦しかったのか、襟からひょっこりと顔を出した。首回りがひんやりとして、顔の熱が一気に冷めるのを感じる。
おばあちゃんや伯母さんたちが首に冷たいタオルを巻く理由がわかった気がする。首を冷やすだけでこんなに涼しくなるなんて、なんでみんな教えてくれなかったんだ。
喋っているうちに、いつの間にか広場の階段の前まで来てしまった。
うさぎが、
「階段登って」
と、指示をするので、ミコトは、渋々、階段をゆっくりと登る。
「人間と妖怪の共存は難しいんだ。人間は、妖怪が何もしないといっても、必要以上に妖怪を恐れているし、妖怪を見つけたら、武力行使で、容赦なく排除しようとするだろう。妖怪も妖怪で、排他的な人間を恨んでいる子たちもいるし、人間にいじわるするのが好きな子たちもいる。それに、妖怪たちは、日本を追い出されてからと言うもの、地獄で、地獄に落ちた人間に拷問とかをしていたんだ。知能の低い妖怪は、地獄と日本を区別できず、日本に住む善良な人間に拷問をしてしまうかもしれないでしょ?そんな危険分子を野放しにすることはできないんだよ」
「……なるほど」
「……てなわけで、日本がめちゃくちゃにならないように、ミコトくんには妖怪の捕獲をして欲しいんだ」
階段を登り切った途端、うさぎが、Tシャツの襟からポンっと這い出る。
突然の開放感に少しだけ寂しさを覚える。体にはうさぎの冷たい温もりが残っていた。
「捕獲って、あの気味悪い連中を?無理無理!絶対無理!俺みたいな小学生が、あんな大きな連中を捕獲できるわけないじゃん!」
「大丈夫、大丈夫。捕獲って言っても、妖怪を手懐けて、この広場に連れてきてくれるだけでいいから。……実はね、この神社、本殿の裏手の竹林に古い井戸があるんだけど、その井戸が地獄の奥深くと繋がっているんだ。だから、この広場にさえ連れてきてくれれば、ボクがその井戸まで否応なしに放り投げるから大丈夫だよ」
「……そんなに小さな体で?」
「あ、その顔、信じてないな?わかった、実践してみせるよ。見てて」
うさぎはくるり、と軽快に体を右側へ向け、広場の隅っこで、ふわふわと漂っている小さな白い綿毛のようなものの方へと、跳ねていく。白い綿毛は、突然現れたうさぎを歓迎するように、うさぎをふわりふわりと取り囲んで、うさぎの周りを漂って回っている。
その時、うさぎが何か手で合図をした。綿毛がくるくる周り、一箇所に集まる。
綿毛たちが、あまりに優雅に舞うものだから、うさぎを指揮官として動く、何かのショーのように思えた。
ミコトはじっとその様子を見つめる。
うさぎがにこりと微笑んだ。口角しか上がっていない、優しげのない不気味な笑みだった。
「ミコトくん、見ててね」
うさぎが表情を崩さず、乾いた声で言う。
その声を合図とするかのように、可愛らしいうさぎの体が、ぐにゃぐにゃと歪み始める。無数の円が、体の内側からぼこぼこと四方八方に、膨張しては萎んで、膨張しては萎んでを繰り返し、うさぎの体を変形させていく。
ミコトは思わず、口を押さえ、後退りをした。
グロい。気持ちが悪い。
小さなうさぎの体は、止まることなく急激に変化する。
妖怪やら、神やら、地獄やら、ありえないことばかり起こっていることは、理解していた。だけど、こうして実際に、『ありえないこと』を目にすると、恐怖で身がすくんでしまう。
ただただ、怖い。なのに、目を逸らすことができない。
うさぎの体は、小さな円たちにより、破壊と再生を繰り返しながら、急激に大きくなっていった。
三十秒も立たないうちに、うさぎは本殿と同じくらい、いや、それ以上の大きさになる。うさぎの顔はそのままなのに、体は人間そのもので、歪で、気色が悪かった。
うさぎは、青白い光に包まれていた。その光が、うさぎをより不気味にさせる。
うさぎはあっという間に集まっていた白い綿毛を手の中に収めてしまった。あんなにたくさんいた綿毛たちが、もう、どこにもいない。
うさぎはミコトを一瞥すると、大きい体のまま本殿脇を通って、本殿の裏の竹林へと向かう。
うさぎの体が大きすぎて、通れるはずのない道なのに、うさぎは何も倒したりすることなく、いとも簡単に、するすると本殿とその周りにあるモノをすり抜ける。うさぎの巨体は、透けているのだ。
ミコトは、よろめき、倒れそうになっている足に、グッと力を入れ、うさぎの後を追う。
巨大うさぎの一歩は大きく、ミコトは走っても走っても、うさぎに追いつくことはできなかった。
追いついたとき、うさぎは、竹林の中にいた。うさぎの目の前には、いつ作られたかもわからない、苔むした井戸があった。
「ミコトくん、よく見ててね」
うさぎは、井戸の真上で、綿毛を包んでいる両の手のひらを離すと、綿毛たちがふわっと宙に舞う。
綺麗だ、と思ったのも束の間、掃除機が小さなゴミを吸い取るように、井戸が綿毛を一瞬で、井戸の闇の中へと吸い込んでしまった。
「ね?こうすることで、簡単に地獄に戻せるんだ」
うさぎが得意げに笑む。一瞬の出来事だった。
一仕事を終えたとばかりに、うさぎが大きく息を吐くと、風船の空気が穴から抜けていくように、しゅるしゅると元の大きさに萎んでいく。そこには先ほどのグロテスクさはなかった。
うさぎは元の大きさに戻ると、ミコトに視線に合わせるようにぷかぷかと浮かんでいた。
「な、なに今の……」
「神様だからね。大きくなるなんてお茶の子さいさいなんだよ」
「……そんなことができるなら、俺、いらないじゃん」
後ろで手を組み、ぎゅっと握る。震えているのだ。こんなことでビビってるなんて、この生意気なうさぎに悟られたくない。
「さっきみたいに大きくなるにはかなりの力を使うんだ。正直に言うと、さっきの広場からここまで歩くので精一杯。これ以上は無理。だから、ミコトくんに妖怪を広場まで誘き寄せてほしいって頼んでるんだよ。……それに、さっきの綿毛……、ケセランパサランたちは知能がなく、神様であるボクのことを警戒してなかったから自力で捉えることができたけど、知能がある妖怪たちはそうはいかない。以上の理由から、妖怪の見えるミコトくんに妖怪誘導を任せないといけないっていうわけ」
「理由はわかった。つまり、知能のある賢い妖怪は俺任せで、さっきの……、ケセラパ……?」
「ケセランパサラン、ね」
「そうそう、ケセラなんちゃら。そのケセラなんちゃらみたいなのは、うさぎが担当するってことね。……それって、俺がだいぶ大変じゃない?」
うさぎの説明を聞いているうちに、いつの間にか震えは止まっていた。それよりもこの理不尽なうさぎに、苛立ちを覚え始める。
「うーん、まぁ、そうなる、かな?」
「絶対嫌だよ!不公平じゃん!俺が知能ない方担当するよ」
「それだと、ミコトくんに頼む意味がないんだよ。……いいの?日本、妖怪に支配されちゃうよ?」
「それは、困るけど……」
「大丈夫。ミコトくんにもできるよ。妖怪たちをうまいこと丸め込んで、この広場に連れてきてくれるだけでいいんだから」
ミコトは境内にいた妖怪たちを思い出す。目が一つの妖怪、首の長い妖怪、顔がない妖怪、そもそも、人間の形をしていない妖怪。不気味だった。怖かった。思い出すだけで、体がぶるっと震える。そんな妖怪と仲良くなること、いや、会話をすることなんてできるのだろうか。
ミコトは小さく息を吐いた。
「そんな簡単にできるのかな……」
「できてもらわなきゃ、困るんだ。……あっ!いけない!そろそろ地獄に帰らないと!」
「え、なんで?」
「神様たちにも、定例地獄会議っていうものがあって、それに参加しないといけないんだ。特に今なんて、地獄から妖怪が脱獄するという大事件があったから、地獄もドタバタしてて大変なんだよ。じゃ、そういうことで、妖怪の手懐け、頼むよ!」
うさぎはにこやかに微笑むと、先ほどケセランパサランが吸い込まれていった井戸の中へと、身を投げる。
ミコトが井戸に駆け寄ったときには、もううさぎの姿を見ることはできなかった。
またうさぎが戻ってくるかも。
そう井戸の中を眺めるも、井戸は真っ黒のままなにも変化しない。ミコトは小さく息を吐き、肩を落とした。
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