第6話 そこかしこに妖怪が

 

 ミコトと奈緒は、神社へ向かう杉の森を歩いていた。


 昨日の夢を信じているわけではない。だけど、ただの夢で片付けるには、不可解なことがあった。

 夢ならば、自然と起きてもいいはずなのに、縁側でいくら待っていても一向に目が覚める気配がなかったのだ。

 時折鳴る、あまりに清らかすぎる風鈴の音と、じっとりとまとわりつく蒸し暑さが、薄暗い縁側の不気味さを冗長させる。


 ミコトは、居た堪れなくなり、部屋に戻って、布団に潜った。クーラーの効いている部屋なのにまだ汗が吹き出る。


 夢の中のはずなのに、ミコトはその夢の中でさえ、うまく寝付けず、いろいろな考え事をした。今まで見たことのないくらいの美しさを持っているヨウコのこと、得体の知れないうさぎのこと。そして、目に見えない生物たちのこと。


 明日、神社に行ったほうがいいのかな……。でも、夢を信じてるなんて子供っぽいかな。


 頭の中で自問する。考えても考えても答えは出ない。


 でも、うさぎや妖怪は夢だとしてもヨウコの存在は夢じゃない。だから、明日、神社に行くのは、この夢を信じているから、じゃなくて、ヨウコに会いたいから行くんだ。


 ミコトは、心の中でそんな言い訳をして、布団の中で、起きたら神社に行こうと決めたのだった。


「にしても、ミコトがまた神社に行きたいって言ったから、びっくりしちゃった。いつもは、出かける日以外、ずーっとゲームしてるのに」


 奈緒が手でパタパタと自分を仰ぎながら、口を開く。


「奈緒ねぇには、関係ないじゃん。そもそもなんでついてくるんだよ。一人でいいって言ってるのに」


「小学生の男の子には、保護者が必要でしょ」


「保護者って、奈緒ねぇも子供なのに、何言ってんの」


「わたしはもう大人なの。少なくとも、ミコトよりは大人だね。すいもあまいも知ってるんだから」


「よく言うよ。いまだに伯父さんと伯母さんと同じ部屋で寝てるくせに」


「それは関係ないでしょ!そういうミコトだって叔父さんたちと寝てるじゃない」


「東京の家では一人で寝てるし」


「こっちで一緒に寝てるんだから同じですぅ」


 奈緒と軽口を叩き合い、周囲では蝉が大合唱している。いつも通りの夏。おかしなところなんてなに一つない。妖怪だってどこにもいない。やはり、夢は夢でしかないのだ。


 丘が見えてきた。丘もいつも通りなはずなのに、ちょっとだけ違和感を覚える。


 なんだろう、この違和感。


 杉の森からいきなり道が開ける開放感、木々の隙間から見える神社の境内、太陽の光を反射して輝く草花。いつも通りのはずなのに、胸がざわつく。


「やっぱいいね、丘の上の景色は。自然の息吹を感じる」


 奈緒が大きく深呼吸をした。


「なに言ってんの。ここら辺、自然しかないじゃん。いつも自然の息吹でいっぱいだけど」


「そうだけど、ここはちょっと違うの。神社があるからかな?神聖な感じがしない?」


「しないしない。気のせいだって」


「ほんと、ミコトって情緒がないよね。……おっ、今日もみんなお祭りの準備頑張ってるよ。ほら、ミコトも見てみなよ」


 目線を下に移す。昨日もそれなりに人がいたが、今日は昨日とは比較にならないほど、人がたくさん出ていた。人が出てるっているレベルではない。ごった返している。それこそ、お祭りの時みたいだ。


「すごい、お祭りの時みたいに、人が出てるね。こんなに人が出てたら、逆に準備がしづらそう」


「なにミコト、目悪くなった?昨日と同じくらいしか人いないじゃない」


「え、嘘だよ。こんなに人がいるのに」


 ミコトは目を細めて、境内をよく見る。どこからどう見ても、たくさんの人がいる。これを昨日と同じと言うのは無理がある。


 ……人?


 ミコトは目を擦った。よく見ると、変な格好をしている人たちがたくさんいる。


 猫耳をつけたような人に、一本の傘や木の形をした着ぐるみを着たような人。そんな人たちがウジャウジャと境内を歩き回っていた。まるでハロウィーンのイベントのようだ。


 いつもの静かな神社とは違う。遠くから見ても、その異様さが見て取れる。


 違和感の正体は、これだ。昨日と違って、人々の熱気がある。ざわめきが聞こえる。奈緒の言葉を借りるなら、人の息吹を感じる。


「奈緒ねぇ、今日は仮装パーティーか何かなの?猫耳の人とか、変なお化けの格好してる人ばっかだけど……。こんなに人が集まって仮装するなら、町の名物にしちゃえばいいのに」


「は?ミコト、さっきからなに言ってんの?本当に目おかしくなった?誰も仮装なんてしてないけど」


「え、いやだって……」


 ミコトはもう一度よく目を凝らす。やはり、変な格好をしている人で神社がいっぱいだ。


「ミコトくん、来てくれたんだ」


「うわっ!」


 突然、耳元で声がしてミコトは大きく尻もちをついた。


「ちょっと!ミコト大丈夫!?」


 奈緒が慌てて、ミコトに駆け寄る。奈緒の肩には、一匹のうさぎ。そう、昨日のしゃべるうさぎが乗っていたのだ。


「あ、あああ……!夢の、うさぎ……!」


「え?うさぎ?なに言ってんの?ミコト、今日変だよ?どうしちゃったの?」


「やぁ、ミコトくん!キミなら来てくれると思っていたよ!約束通り、昨日の出来事が夢じゃないってこと、証明してみせるよ。さぁ、こっちに来て」


 うさぎは奈緒の肩から、軽々と降りると、ミコトの腕を思いっきり引っ張った。


 その瞬間、体が宙に浮かんだ、気がした。


 うさぎの不思議な力なのだろうか。突然、目の前がキラキラと光ったかと思うと、重力の抵抗がなくなったかのように、体が軽くなり、うさぎの小さな力で、ふわりと、体が立ち上がったのだ。


 当のうさぎは、しっかりとミコトの手を掴んで、宙に浮いている。地に足をつけていない。


「走る準備はいい?いくよ!」


 手が強い力で引っ張られる。ミコトの意思に関係なく、足が素早く交互に動く。自分の体でなくなったみたいで気持ちが悪い。


 走る、走る、走る。


 走ってミコトは木の階段を駆け降りていた。


 遠くで、奈緒の、

「ちょっと!ミコト!一人で行かないの!」

 という、声が微かに聞こえる。風が耳に爆音を運び、よく聞き取れないのだ。


 喋ろうと口を開けても、口の中に空気が入り込み、うまく言葉を発することができない。


 足はもつれることなく、綺麗に階段を下っていく。


 あっという間の出来事だった。


 ミコトは、鳥居の前に着くなり、どっと安堵した。深呼吸を三度する。生きている。


「ミコトくん、境内を見てみて」


 耳元で声がして顔を横に向ける。うさぎはいつの間にか、ミコトの肩に乗っかっていた。


「夢の、うさぎ……!」


「いいから!ほら、前を向く!」


 うさぎはミコトのほっぺに手をかけると、顔を前に向けさせる。


 ……妖怪だ。


 目に飛び込んできたのは、アニメや漫画で目にしたことがある、奇妙な格好をした奇妙な生き物だった。

 猫みたいな女に、一つ目の子供、真っ赤な傘に一本足が伸びている気味の悪い生物に、顔がなにもないのっぺらぼうもいる。


 赤い真っ赤な鳥居を境目に、境内の中はたくさんの妖怪で埋め尽くされていた。


 ミコトは、この光景を前に、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。


 これは、昨日の夢の続きなの?


「これが、夢じゃない証明だよ。妖怪たちは、今、ここに、存在しているんだ」


「う、うそだ!今、ここが夢の続きの可能性だってある!」


 ミコトは肩に乗っているうさぎを振り落とす。うさぎは地面に叩きつけられるわけでもなく、宙にぷかぷかと浮かんでいた。


「わわわ、危ないなぁ。ボクが普通のうさぎだったら、怪我しちゃって、飼い主に損害賠償請求されるかもよ?」


 うさぎは能天気に、ぽんぽんっと身だしなみを整えるように、体をはたく。


「長すぎるよ、この夢!」


「……ミコトくん、キミはまだこれが夢だと思っているの?」


「当たり前じゃん!妖怪とか、そんなの現実にいるわけないんだから!」


「こんなに、リアルなのに?」


「夢を見てる時の夢の中は、いつだって『リアル』に感じるものだよ」


「……わかったよ。ミコトくん、夢だと思うなら夢だと思ってもいい。だけど、ミコトくんが夢だと思って生活したとしても、妖怪はここに存在し、ミコトくんが夢だと目を瞑っているうちに、日本は、人間より力のある妖怪たちに支配されるようになるだろうね。そうなって困るのは、ミコトくん自身だと思うよ。……ねぇ、キミが今、目にしているのは何?目に見えるものだけが真実ではないけれど、今、自分の目に見えているものを信じないで、ミコトくんは、なにを信じるの?」


「それは……、数式とか、常識とか、そういう『当たり前』のものだよ!」


「数式や、常識も、『実際』には目にすることができないのに?」


 ミコトは黙った。悔しくもウサギの言う通りだと思ってしまったからだ。反論したいのに、どう反論したらいいか、わからない。


 目の前の境内では、気味の悪い妖怪たちがウヨウヨしている。


 もし、これが夢じゃなくて、本当に起こってることで、この妖怪たちが、人間たちに悪さをしたらどうしよう。


「そういえば、お祭りの準備をしている人たちは?こんなに妖怪がいて、おじさんたちは平気なの!?」


 ミコトは、慌てて境内を見渡す。サーッと、全身の血の気が引き、汗が吹き出る。


 だけれど、ミコトの予想に反して、準備をしている人たちは真剣な顔で、時には笑顔で、妖怪なんて気にする由もなく、行動していた。


「見えないんだよ」


 うさぎが口を挟む。


「妖怪が望まなければ、人間には、見えないんだ。注意深く見ないとね」


「注意深く……」


「そう。実はこの神社、地獄の門の入り口なんだ。だから、注意深いミコトくんには妖怪が見えやすいんじゃないかな。ただ、今こうしてミコトくんは妖怪を認識したから、他の場所でも見えるようになると思うよ」


 ミコトは再び黙った。


 これから、もっと妖怪が見えるって?冗談じゃない。こんな気持ち悪い生物、恐ろしくて見たくないのに。


「ちょっと、ミコトー……っ!」


 少し上の方から奈緒の声が降ってくる。奈緒が丘から走って、ここまで降りてきたのだ。


「あんた、はぁ……、どこにそんな……はぁ、力を……、隠し持ってたの……。はぁ……、お姉ちゃん、ミコトがあんなに足速いなんて……、はぁ……、知らなかった……。あんな……、スピードで階段を、……はぁ……、降りたら……、危ない、じゃない……」


 奈緒は、盛大に息を切らしながら、ミコトのそばに駆け寄る。膝に手をつき、背中をゼェハァと揺らしている。


「あ……ごめん……」


「まったく……、なんでいきなり、走り出したの……。はぁ……つかれた……」


「……ねぇ、奈緒ねぇ、境内見てさ、何か思うことない?」


 奈緒は膝から手を離し、大きく息を吐くと、境内を見渡した。


「思うことって、例年通り、おじさんたちががんばって働いてるなーって感じ」


「……それだけ?」


「それだけって、他になにを思えばいいのよ。やぐらができてきてすごいなー、とか?」


 やはり、他の人と同様、奈緒にはこの奇妙な妖怪たちが見えていないようだ。ぷかぷかと浮いているウサギも、見えていないらしい。


 ミコトはグッと拳を握った。


 なんで、俺だけなんだよ。


 心の中で文句をこぼす。


 もし、奈緒にも見えていたら、対応策を一緒に考えられたかもしれないのに。


「ミコト、今日どうしちゃったの?なんか変だよ」


「いや……、なんでもない」


 『妖怪が見えるようになったんだ』、なんて口が裂けても言えない。そんなことを言ったら、どれほど奈緒に馬鹿にされるか。


 ミコトは口をつぐんだ。


 今日は口を閉じてばっかりだ。


「あれ?奈緒ちゃん?」


 境内の方から、奈緒と同じくらいの歳の少しふっくらとしている少女が、小走りでやってくる。大柄の花がたくさん描かれた、黄色いワンピースを着ている。


「おっ、美波!こんなとこで会えるなんて!マモルおじさんの手伝い?」


「うん、そう!奈緒ちゃんは?」


「わたしは従兄弟のおもり。神社行きたいって言うから連れてきたの。……ほら、ミコト、マモルおじさんの娘の美波だよ。挨拶して」


「あ……、どうも……。ミコトです……」


 奈緒に肘で小突かれ、ミコトは小さく頭を下げた。


「ごめんねー、うちの従兄弟、あんまり愛想なくて」


「いいのいいの!突然年上の女の子から話しかけられたらびっくりしちゃうよね!わたし、美波って言います。よろしくお願いします」


 美波はにっこりと優しく微笑むと、深々とお辞儀をした。美波の二つに結った髪がぱさりと落ちる。


「ミコトなんかに、そんな頭下げなくていいよ!てか、美波、髪の毛ちょっと切った?」


「あ、わかる?今年の夏、あまりにも暑すぎて切っちゃったよ。奈緒ちゃんみたいにバッサリは切れないけど……。さっぱりしたでしょ」


「したした!だって前まで、腰のあたりまで髪の毛あったもんね。いい感じ、似合ってる」


「ありがとう。奈緒ちゃんに言われたら、これからも、髪の長さは胸の辺りくらいまでで維持しようかな」


「いいと思う!ほんと、美波はかわいいわ」


 奈緒と美波は、ミコトのことなどそっちのけで、盛り上がる。


 女子の話は退屈だ。どこのブランドの服が可愛いだとか、髪型が似合うだとか、このスイーツが食べたいだとか、生産性のない話ばかり。まぁ、男子の話に生産性があるかと言われれば、ないのだけれど。


「ミコトくん、こっち」


 不意に、履いていたズボンの裾を引っ張られる。うさぎだ。


 うさぎがぴょんぴょんと、鳥居をくぐり、境内の中へと入る。


「今のうちに、行っちゃおう!」


 ミコトは頷いて、奈緒にバレないよう、こっそりとうさぎの後を追った。


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