第5話 不思議なうさぎ

 

「ねぇ、ミコトくん、起きて。ねぇ、ったら」


 皆が寝静まった深夜、耳元に声が届いた。


 誰?やっと寝れたのに。


 結局、昨日はヨウコに会うことはできなかった。奈緒に連れられながら、彼女の白い影を探すもどこにも見当たらなかったのだ。


 だから、昨日は一日中、つまり、寝る前もヨウコのことを考えてしまったし、次はいつ会えるのかと心がはやった。


 その上、おじいちゃん家は古く厳しいということもあって、恐怖であまり寝付けないのだ。幽霊なんてものは信じていないけれど、それでも、この田舎の家の雰囲気は怖い。


 そんな中、やっと寝れたと思ったのに、起こすのは誰?


「ほら、起きてって。聞こえてるでしょ?起きなさい」


 ふにっふにっ、という柔らかい感触がほっぺに伝わる。


 なんでこんな時間に起こすんだ……。


 心の中で不満をぼやきながら、重たい瞼をゆっくり、ゆっくり、と開ける。


 暗い上に、視界がぼやけて、よく見えない。ミコトは目をこすった。


「……誰?」


 次第に、目が慣れてくる。少しずつ目の焦点が、起こしてる者に合い始める。


 目の前にあったのは、もふもふした塊だった。上に高く伸びる耳に、くりっとしたお目目、ほっぺから生える長い髭と、口と鼻がつながっている、動物のような口。まるで、うさぎだ。


 ……うさぎ?


「うわっ!」


 ミコトは思わず、目の前の物体を手で突き飛ばし、飛び起きた。


「いててて……。ミコトくんってば、力が強いんだね……」


「う、ううう、うさぎ?うさぎがしゃべって……!」


「しーっ!ミコトくんのお父さんとお母さんが起きちゃうでしょ?」


 小さなうさぎが襖まで後退りをしたミコトの太ももの上にぴょんぴょんとやってきて、小さくもふもふした手でミコトの口を塞ぐ。


「もごっ……もごご……っ!」


 小さな手なのに、強い力で口を抑えられているようで、言葉を発することができない。


「はぁ……、また大きな声出す気でしょ?他の人にバレたらダメなんだよ?一旦、落ち着いて。一回深呼吸してみよう」


 ふっ、と口元が解放される。


 うさぎが目を合わせながら、


「吸って〜、吐いて〜」


 と、リズムをとる。ミコトはそれに合わせて深呼吸をしてみた。


 深呼吸をすればするほど、頭の中がクリアになって、余計にこの状況をうまく把握できない。うさぎがしゃべって、うさぎに指示されるまま、動いているこの状況は、一体なんなのだろうか。


 夢でない限りは、うさぎが喋るなんてあり得ない。


 ……ああ、そうか。夢なんだ。


 ミコトは小さく頷いた。


 それならば、全て合点がいく。この不可解な状況を説明することができる。


 夢の中で自分の意志を持って動ける夢を明晰夢というらしい。クラスのオカルト好きな雪ちゃんが、教室の後ろの方で興奮気味に話していたのをよく覚えている。

 訓練を積むと意識的に明晰夢を見ることができるんだ、とか言っていた。興味がなかったので聞き流していたが、まさか、自分が明晰夢を見ることになるとは思わなかった。


「……落ち着いたかな?」


「……まぁ、一応?」


「それならよかった!また叫ばれちゃったらどうしようかと思ったよ。ミコトくんが飲み込みが早い子でよかった。……でも、ここじゃあ君の両親が寝ていて、話しづらいから、場所を移そう」


 うさぎは両親の方を気にしながらそう言うと、ミコトの太ももからピョンっと降りて、入縁の方の障子の前に行き、小さな二つの前足で器用に障子を開けた。


「こっちこっち!」


 と、ささやくような声で開いた障子の隙間から、うさぎが手招きをしている。


 これは、夢だ。しかも自覚のある夢。この怪しいうさぎについていかない選択だって、できる。だけど、初めての明晰夢。初めての体験。全てが初めてで、面白い。


 たとえ、これが怖い夢だとしても、夢の中なのだから何が起こっても大丈夫なはずだ。


 ミコトは、根拠もない妙な自信を携えながら、縁側に出ることにした。


 念のため、お父さんとお母さんを起こさないように、忍足で縁側に出る。


 うさぎは縁側の中心あたりに二本足で立っていた。


 風が吹いているのか、ガラス戸から見える庭の木々の葉っぱが揺れている。


 月明かりに照らされ、うさぎはうっすらと白みがかった不思議な光に包まれていた。

 幻想的で、美しい。触れたらホロホロと崩れ去ってしまいそうだ。そういえば、昨日もこんな儚いものを見た気がする。


 その時、ぱっ、と頭の中に、肌の真っ白な透明感あふれる少女が思い浮かんだ。


 ……そうだ、ヨウコちゃんだ。もしかしたら、昨夜ヨウコちゃんのことを考えすぎて、こんな幻想的な夢を見ているのかもしれない。


「改めてまして、こんばんは、ミコトくん」


「こんばんは……」


「んー、思ってた反応と違うな……。『なんで僕の名前知ってるの?』とか『うさぎがしゃべってる!』とかなってもおかしくないのに」


「それは、まぁ……」


 夢だから、という言葉は飲み込んだ。夢の登場人物にそんなことを伝えても意味はない。


「飲み込みが早いことはいいことだけど、あまりにも物分りがいいと、悪い奴に騙されちゃうから、気をつけるんだよ。……さて、飲み込みの早いミコトくん。君はボクのことをなんだと思ってる?」


「……喋る変なうさぎ?」


「変な、とはひどいなぁ。まぁでもそうか。動物のうさぎは喋らないもんね。変なと形容されてもおかしくないか……」


 うさぎは一人で、いや、一匹で、うんうんと唸りながら続けた。


「ミコトくんは八百万の神を知ってるかな?」


「聞いたことあるけど、詳しくは知らない」


「森羅万象、つまり、木や花や海や、すべてのものに神様がいるっていう考え方だよ。日本では古来から八百万の神がいると信じられているんだ」


「ふーん……」


「最近の日本人は、無宗教だ、とか言って神様を信じない人たちもいるけれど、それでも日本には、八百万の神が存在している。……そして、何を隠そう、このボクは、」


 うさぎが勿体ぶるように一拍、間を開ける。


「八百万の神の一人、白兎の神なのだ!」


「……あ、そうなんだ」


「……あれ?反応が薄いな?もっと『えっ!神様?すごい!』、『もしかして、願いを叶えてくれるの?』とか、そういう反応はできないものかね?」


「そんなこと言われてもなぁ……。っていうか、白兎の神って、因幡の白兎みたいなうさぎってこと?」


 小学校低学年の頃、お母さんに『日本の神話集』なんていう仰々しい名前の、神話を簡略化した絵本を読み聞かせてもらっていた。絵本の内容なんてほとんど忘れてしまっているけれど、話集の中に、『因幡の白兎』という話があったはずだ。神話集、なんていうくらいだから、因幡の白兎も神様なのだろう。


「……因幡の白兎は、サメに噛まれて丸裸にされるし、神様の軍団に騙されるし、予言しかできないし、神様とはちょっと違うんだけど……。まぁ、今となっては神様として祀られてるし、似たようなもんだ、と思ってもらっていいよ」


「そうなんだ。……つまり、キミは、因幡の白兎とも違ううさぎの神様ってわけね。……そんな神様が俺に何の用なわけ?」


 ミコトは、おもむろに、ガラス戸を開ける。立て付けが悪いのか、ガタガタと小さく音を立てながら戸が開いた。夏のむわん、とした生暖かい風が入縁に吹き付ける。


 夢にしては妙にリアルな感覚だ。でも、夢なんてそんなもんだ。見ている時は夢であることを疑いもしない。それを現実だと思い込む。アニメやマンガなどで夢の中かどうかを確認するために、ほっぺを引っ張るという動作をよく見るが、あんなの全く意味をなさない。だって、夢の中にいるときは夢という世界でちゃんと五感がある。夢の中で転び、痛みを感じたこともあったし、今みたいに風を感じたりもする。


 それならば、夢と現実の境目はどこにあるのだろう。


 ミコトはそんなことを考えながら、縁側に腰を下ろし、ほのかに光っている、自称うさぎの神様を見つめた。


「……実は、ボクの役目は地獄の門番の監視なんだけど、ボクが用事で目を離してるとき、門番がドジをして地獄の門を開けっ放しにしちゃったんだ。そしたら案の定、妖怪やもののけの類が脱獄しちゃって。……妖怪やもののけってわかるよね?」


「わかるけど……。地獄や妖怪って……」


 思わず、苦笑してしまった。夢とはいえ、素っ頓狂にも程がある。


「お、やっと驚いてくれたかな?信じられないかもしれないけど、死後の世界には、天国と地獄が本当に存在していて、地獄では、妖怪やもののけ……、これからは便宜上、『妖怪』と一括りで呼ぶけれど、妖怪たちが地獄に堕ちた人間の看守を務めてるんだ」


「ちょっと待って。看守なのに、脱獄っておかしくない?」


「よく気づいてくれました!キミたち日本人は、妖怪っていう存在を知っているでしょ?実はね、元々妖怪たちは人間にバレないようにしながらも、人間たちの世界にうまく溶け込んみながら、日本に住んでいたんだ。だけど、ある時、妖怪たちが、『人間ばかり表で生きることができるのはおかしい』と声を上げるようになって、人間を脅かすようになっちゃってさ……。そのせいで、人間が妖怪たちを、ひどく怯えるようになってしまったんだよね。その様子を見兼ねた神々が、それならば妖怪たちの居場所を作ろうということで、妖怪たちを地獄の看守にしたんだけど……。やっぱり妖怪たちは人間の世界に未練があったらしくて、こうして『脱獄』しちゃったみたいなんだ」


「よく、わからないけど、なるほど」


「ここで、『どうしてミコト君を訪ねてきたか』というところに戻るんだけど、『人間を脅かすような妖怪たちを、人間たちの住む世界にのさばらせるわけにはいかない。今すぐ、妖怪たちを地獄に連れ戻してこい』って、地獄の一番偉い人、つまり、閻魔大王様に言われちゃってさ……。それで、キミにその脱獄した妖怪たちを地獄に連れ戻す手伝いをしてほしいんだよね」


「え?いきなり何?っていうか、なんで俺?」


 うさぎが、縁側に座っているミコトの横にピョンピョンと跳ねてき、ちょこんと座った。

「それはね、ミコトくんが妖怪を見ることができる素質があるからだよ。妖怪が見える素質を持った人って、実は少ないんだ。妖怪が『人間に姿を見せたい』と願ったら、万人に姿が見えるんだけどね。そうじゃない時の妖怪を見ることができる人間はなかなかいない」


「は、はぁ……」


「妖怪を見える条件は三つ。一つ、妖怪がいると信じていること。二つ、感受性が豊かであること。三つ、注意深く物事を俯瞰して見ることができること。この三つだ」


「待って待って待って。俺は妖怪なんて非現実的なものは信じてないし、感動するって映画で泣いたことないし、お母さんに毎日『忘れ物が多いんだから、もっと注意深くなりなさい』って怒られるくらい不注意な人間だよ」


 ミコトは慌てて否定した。


 夢の中でもあまりにも真逆なことを言われるものだから、びっくりしてしまったのだ。夢というものは、これほどまでに、整合性に欠けるのだと再認識する。


「ミコトくんはどこかで信じてるんだよ。妖怪や幽霊、目に見えない者たちのことをね。それに、感受性というのは感動する映画に泣くことだけで計れるものではないし、ボクが言う注意深さというのは、周りのことをよく見て、観察して、把握できる人のことを言うんだよ。なにより、こうやって神であるボクを見ることができているのが一番の証拠さ」


 うさぎが、えへん、と腰に手を当てる。その動きを見ても神っぽくない。それに神様というには可愛らしすぎる。


 でも、実際のところ、どうなのだろう。俺は、妖怪やお化けを信じているのだろうか。


 うさぎに言われて、つい考えてしまった。


 ヨウコのことだって、最初は幽霊だと思ったほどだ。だけど、科学で証明されてないモノを信じてるなんてバカらしくないか?子供っぽくないか?


 ミコトは頭の中でぐるぐると考える。


 サンタだってもう信じていない。神様だっていない。かっこいいドラゴンも、スーパーヒーローも、幽霊や妖怪の類も、そんなものは存在しない。


 そうやってかつての幼い頃信じていた、信憑性がないくだらないモノを忘れて、常識で考える。それが、大人になることだ。非常識なことを信じるなんて、子供がすることで、俺は、もう大人なんだから、未確認物体を信じるなんてこと、絶対にしない。


 暖かい風にふかれ、そよそよという音を立てながら、庭に生えている木が揺れる。


「まぁ、夢だしな……」


 ミコトは小さな声でぼやいた。


「夢?……もしかして、だけど、ミコトくんは今のこの状況を夢だと思っているのかい?」


「夢だと思ってるっていうか、実際夢なんだよね。って、こんなこと、夢の住民の君に言っても仕方ないか」


 ミコトが鼻で笑うと、うさぎは盛大にため息を吐いた。


「はぁ〜。妙に物分かりがいいと思ったら、夢だと思ってたからなんだね。客観性が、疑い深さという悪い方に出ちゃったか……。……ミコトくん、残念だけど、これは夢じゃないよ。現実に起きてることなんだ。ほら、ボクを触ってみて?柔らかいでしょ?」


 うさぎは立ち上がり、ミコトの手にスリスリと自分の体を押し付けてきた。つやつやな毛並みだ。ふわっと柔らかくて、温かい。生気がある。優しい呼吸のリズムと、心臓の鼓動が、手のひら全体に伝わる。


「柔らかいけど、神様なのに、心臓があるの?あははっ、やっぱりおかしいよ」


「神でも心臓はあるの!一応うさぎがモデルだから、うさぎの体内にあるものはなんでもあるの」


 うさぎは押し付けるのをやめると、再び先ほどの場所に戻った。立ち上がったままだ。


「うーん、夢だと思ってる人に、何を言っても無駄だろうから、明日、近くの稲荷神社に来て。わかるかな?毎年この辺で大きなお祭りをする稲荷神社だよ。……そこで、今の出来事が夢じゃないと証明してみせるよ。ただ、忘れないで。妖怪や、もののけや、神様は、存在するってこと。目に見えないものも、『そこ』にあるということを、ね」


 うさぎは意味ありげに言うと、縁側から庭へ軽快にダイブし、キラキラと不思議な光を仄かに帯びながら、闇夜に消えていった。



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