第4話 美しい誘い花(2)

 

拝殿の真裏に少女はいた。拝殿裏は所々雑草が生えているものの、綺麗に手入れされていた。空気がピンッと張り詰め、澄んでいて、広場よりも三度くらい気温が低い気がする。


 ミコトと同じ年齢くらいだろうか。少なくとも、奈緒よりは年下のように見える。


 少女はミコトの方には目もくれず、じっと周りの木々を見つめていた。横顔の線がとても美しい。木漏れ日に照らされる彼女はまるで光を浴びて透ける花びらのように、可憐で美しかった。


 こんな綺麗な女の子を今まで見たことがない。土と神社の茶色と、周りの緑に囲まれ、少女の白だけが浮いている。


「ね、ねぇ……、君、この辺の子?」


 彼女は顔だけをこちらに向け、小さく頷く。


「え、えーっと、俺は前原ミコト。君は?」


「名前……?」


 鈴の音のような、小さく、か細い声だ。


「そう。名前」


「名前……?」


 少女は繰り返すと、また視線を外して空を見上げた。


「あ、えーっと……、その……、みんなからはなんて呼ばれてるの?」


 なんとか話をつなげなければ、と一生懸命言葉を絞り出す。再び彼女がこちらを向く。大きな目が、瞬いた。


「みんなから……?……えっと。……ヨウコ」


「ヨウコ……ヨウコちゃん、か……。可愛い名前だね」


「可愛い?」


 小鳥のように、小さく首を傾げる。不思議な子だ。捉えどころがなくて、不安になるのに、目が離せない。

 ミコトが今まで見てきた女の子の中で、一番可愛らしい容姿をしているからだろうか。


「うん、かわいい。ちょっと昔っぽい名前な気もするけど、それでも、可愛いと思う」


「……ありがとう」


 ヨウコはそう言うと、またミコトから視線を外してしまった。


 木々がそよそよと音を立て、額にはじんわりと汗が滲む。


 ヨウコの髪がサラサラとなびいた。黒髪なのに光が当たると、その髪が透けて銀色になったかのように見える。


「……ミコトくんは、この辺に住んでるの?」


「えっ、あっ、ううん。俺は東京から来たんだ。おじいちゃんとおばあちゃん家がこの辺にあって、毎年、この時期になると、ここに来るんだ」


「……そうなんだ」


「うん。だから、夏の間だけしかここにはいないんだけど……」


「ふーん……」


「あ、あのさ、俺、一週間だけしかいないんだけどさ、その……、ヨウコちゃんさえ良ければ、夏の間だけでも、仲良くしたいな」


 「仲良くしたい」という発言に、自分でも驚く。彼女とお近づきになりたいと思い、咄嗟に口から出てしまったのだ。


 口元がもごもごする。


 元々知らない人と喋るのは得意ではないけれど、今のこの感じは、人見知りのそれとは少し違う。上手く舌が回らなくなるみたいだった。仲良くなろうなんて、自分から言ったのだって初めての経験で、いつもと違う自分の言動が少し怖い。


「仲良く……?」


 ヨウコが、じっとミコトの瞳を見つめる。ミコトは気まずくなって、誤魔化すように俯いて頭をかいた。


「そう。つまり、えーっと、友達になりたいってことなんだけど……」


「……うん、いいよ」


「ほ、本当に!?」


「うん、本当に。よろしくね、ミコトくん」


 ヨウコはずっと無表情だった顔を少し緩めて、微笑んだ。


 胸がぎゅっと締め付けられる気がした。悲しいとも、苦しいとも違う。胸の奥が寂しくなる感じ。

 なんて、控えめで愛らしい微笑みなのだろうか。儚くて、優しくて、切なくて……。触れたら壊れてしまいそうだ。


 ミコトは、こんなにも品良く笑う女の子を見たことがなかった。彼女が笑う姿をもっと見たい。


「よ、よろしくね、ヨウコちゃん!」


 ミコトは握手を求めて、そっと手を差し出す。本当は彼女に触れてみたいだけなのだけれど。

 だけど、ヨウコはその手を不思議そうにじっと見つめるだけだった。ピクリとも動かない。


「あぁ、もう」


 痺れを切らしたミコトはヨウコのそばに行き、彼女の手を取った。彼女の真っ白な手は、暑い真夏だというのに、ひんやりと冷たい。


「握手!友達になった印!」


「握手……。友達……」


 ヨウコはミコトの顔と繋がれた手を交互に見ると、先ほどのように柔らかく微笑んで、


「……ありがとう」


 と言った。


 途端に心臓の鼓動が速くなる。ドッドッドッという音が身体中に鳴り響いて、うるさい。


「ちょっとー!ミコトー!どこにいるのー!」


 その時、突然、遠くの方で奈緒の声が聞こえた。握手をしていた手がパッと離される。手が宙ぶらりんになってしまった。


「……誰?」


「俺の従姉妹の奈緒ねぇだよ。ヨウコちゃんがこの辺の人なら知ってるかな?」


 ヨウコは小さく首を振る。


「そっか。奈緒ねぇって、お姉ちゃん面してくるし、おしゃべりだし、口うるさいけど、根はいい人だよ。きっと、ヨウコちゃん見たら『可愛い、妹みたーい』って言って、めちゃめちゃ可愛がってくると思うよ」


「ふーん……」


 つまらなそうに、そっぽを向く。気まぐれで、自由で、猫みたいな子だ。


「ミコトー!ホント、どこにいるのー!置いて帰っちゃうよー!」


「ここだよー!拝殿の裏ー!」


 力いっぱい叫ぶと、間もなく奈緒がやってきた。


「待ってて、って言ったでしょ?まったく、こんなとこで何してるの?」


「ごめん、奈緒ねぇ。でも、ほら!さっき女の子見たって言ったでしょ?その女の子がいたんだよ!」


「いたって、どこに?」


「ここだよ、ここ!ほら、この子!ヨウコちゃんって言うんだって」


 勢いよく、ばっと振り返る。だけど、そこには、誰も居なかった。


「誰もいないけど?」


「あ、あれ?おかしいな……さっきまでここにいたんだよ」


「……とうとうミコトも、自己の利益のために、嘘をつくようになっちゃったか……。奈緒お姉ちゃん悲しいよ……」


「嘘じゃないって!本当に、ここにいたんだって!」


「うんうん、いたんだね。ホント、一人でこんなところで何してたんだか……。ほらほら、広場の方に戻るよ」


「嘘じゃないのに……」


 消えるような声でつぶやく。奈緒には聞こえてなかったのだろう。


「ぼーっとしてないで、行くよ」


 奈緒の手が伸びてきて、ミコトをとらえる。奈緒の手は汗ばんでいて、ほんのりと温かかった。


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