第3話 美しい誘い花(1)

 

 車が通れるように申し訳程度に舗装された畦道を、ミコトと奈緒は並んで歩いていた。


 田んぼの緑が光に照らされ青々と輝き、風が吹くたびに、キラキラと波打っていて美しい。遠くに目をやると、入道雲がもくもくと山から顔を出している。


 今、歩いている田んぼまっすぐ行くと、ちょっとした杉の森があり、そこを抜けると、稲荷神社を見下ろせる開けた場所に出る。


 毎年、お祭りに行く時に通る道だ。奈緒は、開けた場所を『丘』と呼び、祭りの夜、神社の道に降りる前に、しばらくそこで当たりの様子をじっと見つめることがよくあった。


「ここの場所が、非日常と日常の境界線みたいじゃない?この丘を降りれば、非日常につながるの。なんだか特別な感じがして、ワクワクしちゃう」


「そうかな。たしかに神社周辺はキラキラ輝いてるけど、スカイツリーから見る夜景の方が綺麗だよ」


「……ほんっと、ミコトって情緒がないよね」


 奈緒がまだ中学に上がっていない時のことだから、この会話が繰り広げられたのは一昨年のことだったと思う。


 非日常と日常の境界線。なんとなく、わかる気がした。


 祭りの空気感は異質だ。キラキラと赤色の提灯が輝き、人々のざわめきが聞こえる。それは、東京の雑踏とも違って、なんとも言えない高揚感がそこにはあった。


 真夏の熱気に包まれた、祭り特有の空気感は、嫌いじゃない。丘、といえるほど開けてはいないこの場所から、祭りの様子を眺めるのも嫌いではなかった。


 だけど、奈緒に同調するのが癪でついそっけない態度を取ってしまったのだ。


 ミコトはそんなことを思い出しながら、神社までの道を辿る。


 丘に出ると神社の参道を慌ただしく行き来している人々が目についた。祭りまで一週間もないからか、神社の境内は準備の人でそれなりに人が出ている。

 年に一度の村あげてのお祭りだから盛大に準備をするのだと、おじいちゃんも言っていた。


「ミコトは、夏祭りの準備してるところ見たことないでしょ?大工のおじさんとかうちのお父さんとか、お盆休みを使って、みんなで準備するんだよ。神輿ややぐらを作るの」


「せっかくのお休みなのに駆り出されて大変だね」


「いいのよ。町の人たちはこのお祭りに命を燃やしてるんだから」


「ふーん。そんなことに命燃やす意味がわからないや」


「ミコトには情熱ってモノがないわけ?いつもクール気取っちゃってさ」


 クールを気取っているわけではない。休みの日に、仕事をする意味が本当にわからないのだ。休みの日は、家でグータラしていたい。友達と一日中ゲームをして遊び呆けたい。


 だから、夏『休み』なのに、宿題を出す学校に腹が立つし、休みなのに、無理矢理外出させようとする両親の気持ちもわからなかった。


「外出て遊ぶのが大好きなじゃじゃ馬奈緒ねぇには、俺の気持ちはわからないよ」


「そういうこと言うのも気取ってるって思われちゃう原因なんだよ?わかってる?」


 奈緒はそう言うと、ミコトの髪の毛をワシャワシャと撫でた。


「わっ、何するんだよ!」


「素直じゃなくて、可愛いなと思って」


「可愛くないし!」


「はいはい。可愛くないね。ほら、境内に行こ!」


 そう言うと奈緒は駆け足でリズミカルに階段を降りる。


 丘から神社の鳥居の近くまで、丸太で区切られた長く歩きづらい階段が設置されている。手すりもないため、足場が不安定なのに、よくもあんなにスタスタと降りられるものだ。


 ミコトも奈緒に続いて階段を降りる。


 神社の境内に入ると、体格の良いおじさんたちが、提灯を取り付けたり、木製の何かを組み立てたりしていた。


「おーい、あの木材をこっちに持ってきてくれー!」


「あいよー!」


 おじさんたちの威勢のいい声があたり一面に充満し、活気に満ち溢れている。

 おばあちゃんたちがよく、「最近の若い人たちはみーんな、都会に出て、この辺もだんだん過疎になってきてるわね」なんて言っているけれど、ここの人たちを見ていると、嘘なんではないかと、疑ってしまう。


 祭りの熱気とはまた違う雰囲気の中、その熱気に圧倒されながら参道を歩いていると、ふいに声をかけられた。


「おー、奈緒ちゃん!手伝いに来たんか?」


「あっ、マモルおじさん!今日はね、手伝いに来たんじゃないの。従兄弟のミコトとお祭りの下見に来ただけ」


 マモル、と呼ばれた四、五十歳くらいのガタイの良いおじさんが、よく日に焼けた顔を綻ばせ、人が良さそうな笑顔を向ける。頭に巻いている白いタオルがとてもよく似合う。


「おー、下見か。いいな。楽しめよ!」


「はーい!マモルおじさんも準備に張り切りすぎて怪我とかしないようにね!」


「はっはっはっ。気をつけるよ、ありがとな」


 マモルは手をひらりと振ると、ミコトたちに背を向け、祭りの準備に戻った。


「マモルおじさんはね、私の友達のお父さんなの。ゴツくてちょっと怖いよね」


 奈緒がこっそりとミコトに耳打ちし、目を細めて悪戯っぽい笑みを浮かべる。マモルはきっと良い人なのだろう。奈緒の仕草がそれを物語っていた。


 ミコトと奈緒はあたりを見渡しつつ、参道をまっすぐ行き、灯籠が左右に置かれた石段を登った。石段を登り切ると、拝殿のあるちょっとした広場に出る。


 拝殿前の広場には屋台が出たり、櫓を建てたりしないため、祭りの日当日でも比較的閑散としていていて落ち着ける場所だ。そのせいか、今日も広場には人があまりいなかった。


 奈緒は両手を上げてぐっと伸びると、石段に腰をかけた。


「これだけ愛が詰まったお祭りを毎年してるんだもん。きっとあのお稲荷さんも喜ぶね」


 左を見遣る。そこには、赤い小さな鳥居と小さな祠があり、鳥居の中にも外にも小さな狐の像が飾られている。


 祭りの夜になると、華やかな装いの境内の中で、祠周辺の空間だけが異様に質素で、不気味に感じられるため、ミコトはその祠が好きではない。


 祠をぼんやりと見ていると、突然、背筋に悪寒が走る。


「えっ?」


 ミコトが振り向く。後ろに視線を感じたのだ。


 白。白だ。白い影がゆらゆらと拝殿の木の柵の横で揺れている。


「あれは……?」


 目を擦る。女の子だった。白いワンピースを身にまとった女の子。サラサラと彼女の長い黒髪が風になびいて揺れている。


「ミコト、どうしたの?」


 奈緒も様子を見るように、振り返る。


「あ、いや、あそこに女の子が……」


「女の子……?人一人いないけど……?」


 もう一度、視線を拝殿の方に向ける。確かにそこには誰もいない。


 だけど、確かにそこに女の子がいたんだ。


「さっきはあそこにいたんだって」


「この暑さにやられて、幻覚でも見たんじゃない?」


 目を細めて拝殿をじっと見つめるものの、やはり白い影はどこにも見えなかった。


「おーい!奈緒ちゃーん!休んでるところ悪いんだけど、提灯のセッティングを少し手伝ってくれないかー?」


 参道の方から声をかけられた。この声は、マモルだ。


「えー!私じゃないとダメー?」


 奈緒もマモルに負けじと大声を出す。


「人手が足りないんだよー。屋台で出すたこ焼き、一つタダにするからさ」


「え、ほんとに?んー、それならやってあげないこともないかな。……どうする?ミコトも一緒に手伝う?」


「いや、いいよ。俺はここで待ってる」


「言うと思った。でも、たこ焼きタダにしてもらえるんだし、一緒にやらない?」


「絶対やらない。もし、無理矢理やらせようとしたら、この一週間、何があってもおじいちゃん家から一歩も出ないから」


「なにそれ、脅し?」


「そうとってもらっても結構。俺は絶対手伝わないからね」


「はいはい、わかったわかった。じゃあ、大人な奈緒お姉ちゃんはおじさんを手伝ってくるから、子供のミコトは大人しく待っててね」


 嫌味ったらしく言うと、奈緒は軽い足取りで、石段を降りていった。


 参道の中心で、

「うちの従兄弟は、ちょっと疲れちゃったみたい。東京から出てきたから体があんまり強くないの」

 と、奈緒がマモルに言ってる声が聞こえる。


 なんでもかんでも東京を引き合いに出すのは、奈緒が東京にコンプレックスを持っているからなのだろうか。東京出身のミコトよりも、田舎育ちの自分の方が優れていると思いたいのだろうか。『東京出身だから、体が弱い』なんて、ただの偏見でしかないのに。


 ぞくり。


 その時、背筋に一本の線が走った。また誰かに見られている。


 ミコトは辺りを見回した。すると、再び拝殿横の木の柵のところで、白い影がふわりと揺らいだ。さっきの女の子だ。白い女の子がじっとこちらを見つめている。


 幽霊のようだ、と思った。突然現れては、突然消える。黒い髪に色白の肌、そして、白いワンピースから覗く、今にも折れてしまいそうなほどの細い腕。典型的な幽霊の特徴だ。


 黒く長い髪がキラキラと輝き、風に揺れている。遠くから見てもわかるくらい美しい顔立ちなのに……、いや、美しい顔立ちだからこそ、今にも消えそうな儚く危なげな雰囲気を醸し出しているのかもしれない。


「でも、きっと地元の子だろうし……」


 ミコトはボソリと自分に言い聞かせるように呟いた。


 そう。幽霊なんて、いるわけがない。そんな非科学的なことなんて信じない。


 ミコトは、幽霊だと思ってしまう自分の考えを消し去るために、数度首を振った。


 再び少女の方を見る。しっかりと同じ場所にいた。


 きちんと足もある。幽霊ならば足はないはずだ。だから、きっと、絶対、人間なんだ。


 ミコトがごくりと唾を飲み込むと、美しい少女は、こっちこっち、と言わんばかりに手招きをし始めた。手のひらが、風にそよぐ花のようにゆらゆらと揺れ、優雅だ。


「何……?」


 ミコトが訝しげに動かないでいると、少女は、手招くのをやめ、踵を返して、拝殿の奥に消えていってしまった。


「あっ」


 ミコトは、思わず石段から、立ち上がる。


 追いたい衝動に駆られたのだ。奇妙な感覚だった。怖いと思っているのに、彼女と話してみたいという思いが、身体中に駆け巡る。今まで生きてきた十二年間、突発的に何かをしたい、と思ったことはなかったのに、今、無性に、彼女を追いかけたいのだ。


 まるで、食虫植物に誘き寄せられる虫になった気分だ。美しい花には棘がある、そんな言葉を思い出す。


 突然、強い風が吹いた。彼女と話したい、そんな気持ちが胸の底から、湧き上がる。理屈ではなく、その純粋な思いに突き動かされ、ミコトは彼女を追いかけた。


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