第2話 不毛なやり取り

 

「おっ、来たな、少年!」


 青いコンパクトカーから降りたミコトたちに、開口一番そう言ってニカっと微笑むのは、従姉妹の奈緒だった。

 Tシャツとショートパンツから出ている華奢な腕と足は少し焼けていて、顎のあたりでざっくりと切られたショートカットがよく似合う。


「奈緒ちゃん、久しぶりねぇ!大きくなって!もう中学二年生だっけ?」


「叔母さんお久しぶりです!中学二です!まあ、身長は全然伸びてないんですけどね」


 奈緒は自分の頭をかきながら、ニコニコと微笑んでいる。ふっと、奈緒の視線とミコトの視線が絡み合った。嫌な予感がする。


「ミコト少年はまた身長が伸びたね!お姉さんはミコトの成長が嬉しいぞ」


 予感的中。奈緒は、ずいっと体をミコトに寄せ、ミコトの髪の毛をわしゃわしゃと撫でてきたのだ。ほのかに制汗剤の匂いがした。


「ああ、もうやめてよ!」


 手を払い除けながら、ミコトは後ずさる。


 奈緒のこの軽いテンションがどうも苦手だ。土足でずかずかとパーソナルスペースに踏み込んできて、お姉さんヅラをする。一年に一回か二回しか会わない従姉妹なのに、馴れ馴れしくしないでほしい。


「さてと、暑いし、じいちゃん、ばあちゃん待ってるから、早く家に入ろう」


 奈緒はミコト一家に笑顔を振りまくと、先頭を切って歩き出す。


 ミコトは辺りを見渡し、小さくため息をつく。相変わらず、自然ばかりだ。隣の家も見えるものの、一つ一つの建物が離れていて余裕がある。無駄に広い砂利の庭には、ミコトの乗ってきた車を含め、車が四台並んでおり、丁寧に手入れされた花壇があった。


 緑の青々とした匂いと元気な蝉の鳴き声、真夏の焼けるような日差し。これが旅行なら新鮮でワクワクするのかもしれない。


 だけど、ここは旅行先ではなく、お父さんの実家だ。楽しくもない親戚付き合いに、やりたくもない釣りやキャンプをさせられる。

 これからここで一週間も過ごさないといけないかと思うと、憂鬱でため息が出た。


 瓦屋根でできた大きな平家が、気分が落ち込んでいるミコトを、否応なしに迎え入れるのだった。


 引き戸の玄関から入ると、古い畳の匂いと古い木の匂いが鼻の奥にツンッときた。ミコトは思わず、顔を顰める。


 祖父母の家は無駄に広く、いつからあるのかもわからないくらい古い平家だった。部屋同士は壁ではなく、ほとんどが襖で仕切られており、八畳くらいの部屋が五つと、広い居間、ダイニングキッチン、囲炉裏が置いてある部屋がある。


 ダイニングキッチンなんて言うと、洒落て聞こえるが、キッチンとテーブルがあるただの板の間だ。廊下は庭が見える廊下と、中廊下があり、昼間はいいのだが、どっちの廊下も夜になると不気味で、できれば通りたくない。トイレなんて未だにボットン便所を使ってるのだから驚きだ。


 昔は大人数でこの家に住んでたらしいが、今はこの大きな家におじいちゃんとおばあちゃん二人だけで住んでいる。

 とはいっても、しょっちゅう奈緒一家が遊びに行くみたいで、おじいちゃんもおばあちゃんも寂しくはないらしい。


 ダイニングキッチンと廊下以外、全て和室で室内の換気が良くないからか、むわんっとして形容し難い独特の匂いが家中に充満している。ミコトはこの匂いが苦手だった。単に臭いから、というわけではなく、この家のこの匂いが人を飲み込みそうで気味が悪いのだ。そのうち、匂いに体が慣れてしまうのも、家に懐柔されたみたいで気持ちが悪くて仕方がなかった。


 玄関すぐ先の囲炉裏の部屋で、奈緒の両親と、おじいちゃんおばあちゃんが、屈託のない笑顔で出迎えてくれた。


「よくきたねぇ。ほらほら、お上がり。外は暑かっただろう」


「母さん、ただいま。いやぁ、ほんと暑いな。年々暑くなってるような気がするよ。……おぉ、姉さんも久しぶりだなぁ。ちょっと太ったんじゃないか?」


「正は相変わらず失礼ね。現状維持よ、現状維持。そういう正も、お腹あたりが大きくなったように見えるけど?」


「俺も現状維持だ、現状維持」


 木製の無駄に大きい下駄箱に靴をしまいながら、お父さんと伯母さんが軽口を叩き合っているのを横目で見る。毎年、恒例のやりとりだ。


 伯母さんの結子は大柄で、よく食べてよく笑う人物だった。伯母さんは人懐っこい笑みを浮かべ、どんな人とも友達になってしまうような明るい人だ。奈緒の気さくさは、伯母さん譲りなのかもしれない。


 ちなみに、正というのはミコトのお父さんの名前だ。伯母さんはミコトの両親を名前で呼ぶ。ミコトのお母さんのことも葉月さんと呼ぶのだ。


「ミコトくんも葉月さんもいらっしゃい。ミコトくん、また背が伸びたんじゃない?かっこよくなって。このスリムさ、やっぱり正じゃなくて葉月さん似ね」


「おいおい、失礼だな。どっからどう見てもミコトは俺似だろう?」


「あら、その体型でよく言うわよ。ずんぐりむっくりしてるくせに」


「えーっと……、皆さん、ご無沙汰しております。今年もお世話になります。ほら、ミコトも挨拶して」


「……どうも」


 靴をしまい終えたミコトは、貼りついたような偽物の笑顔を携えたお母さんに促されながら、小さくお辞儀をした。


「ばあさん、いつもの部屋使っていいんだよな?」


「もちろんよ。綺麗に掃除しといたからね。さ、早く荷物置いといで」


 おばあちゃんは、ほんの少し曲がった腰をさすりながら、ささっと居間への襖を開けた。

 ミコトたちの部屋は、居間を通り抜け、入縁側を通った先にある一番奥の部屋、奥座敷だ。広くて迷路みたいな家だと思う。


 チリンチリンと、風鈴の美しい音色が聞こえる。少し暑い入縁側に涼しさが吹き抜ける。


 部屋に着くと、既に布団が三つ敷かれていた。ミコトたち家族の布団だ。おじいちゃん家では、家族三人、入縁側から、お父さん、お母さん、ミコトの順で仲良く川の字で寝ている。両親と同じ部屋で寝るなんて、子供っぽくて嫌だけれど、別の部屋で一人で寝るにはこの家は怖すぎるため、この状況を甘んじて受け入れている。真ん中ではなく端っこで寝るのは、ミコトの小さな自尊心からだった。


 部屋の隅に荷物を下ろし、ゲーム機を取り出しながら、お母さんに、


「ねぇ、ゲームしたい」


 と、言うとお母さんは呆れて首を振った。


「何言ってんの。久しぶりのおじいちゃんおばあちゃんと会ったんだから、ちゃんとお話ししなきゃでしょ?」


「でも、あと一週間もここにいるんだよ。別に今、話さなくてもいいじゃん」


「挨拶が大切なのよ」


「さっきしたけど」


「あんな控えめな『どうも』は挨拶じゃありません。ちゃんと顔を見せて挨拶しなきゃ。久しぶりに会うんだし、ミコトの最近の様子とか、おじいちゃん達聞きたいと思うよ?」


「……はぁ、わかったよ」


 ミコトはわざとらしく肩をすくめて、ゲーム機を畳の上に置いた。



 居間では既に、祖父母と奈緒の家族が座っており、冷たい緑茶とお茶菓子が大きな座卓に並べらていた。


 ミコト家族も空いている席に腰を下ろす。ありがた迷惑な計らいで、奈緒と席が隣だ。


「奈緒ったらね、ミコトくんがくるのずっと楽しみにしてたのよ?車の音が聞こえて、走って外に出てたんだから」


「ちょっと!お母さん!」


 奈緒の頬がポッと赤らむ。日頃の行いのせいで、可愛らしいような反応も可愛らしく思えない。むしろ、憎たらしいぐらいだ。


「いやぁ、みんな、東京からよく来てくれたね。ミコトくん、疲れたでしょう」


 バッチリと決めた白髪で、スラリとした体型を活かすような洗練された服に身を包むおじいちゃんが、ニコニコと微笑んでいる。


「それなりに。でも、毎年来てるし、慣れちゃったよ」


「そうかそうか。それならよかった。今日から一週間、ここを自分の家だと思って、くつろぐといい」


「うん、ありがとう、おじいちゃん」


 ミコトはキンキンに冷えた緑茶を口にする。少し渋くて顔を顰めた。


「そういえば、稲荷神社の夏祭りで、お義父さんたちは、今年も出店なさるんですか?」


「ああ、その予定だ。地域のみんなで頑張るから、ミコトくんも奈緒ちゃんも、お祭りにぜひ参加してほしいな」


 稲荷神社の夏祭りは、毎年、お盆の時期にやるお祭りだ。テレビに取り上げられるほど大きなお祭りではないが、この辺に住む町内の住民が一丸となって作り上げる、かなり気合の入った大掛かりなものになっている。


 鳥居から参道、神社までの道に夜店が出て、近所の子たちで賑わう。ガヤガヤとした祭り独特の熱気に包まれていて、非日常的な感覚を味わえる稲荷祭りは嫌いじゃない。


「たしか、奈緒ちゃんの中学校でも祭りの提灯に絵を描いたんだったっけか?」


「え、ああ、うん。でも、私、絵が下手だから、あんまり飾られたくないんだよね」


「そんなに言うならママ、奈緒の絵探さなくちゃね。どこにあるんだろう」


「ちょっと!やめてよ!見られたくないって言ってるのに!」


「あっはは、ごめんごめん。でも、母親っていうのはね、娘の作品は全て目を通したいものなのよ?」


「私はもう中学生なんだよ!ママはいい加減、子離れしてよ、もう」


 奈緒が腕を組んで、ぷいっと顔を背ける。


「子離れだって。そんなこと言われたら寂しいよね、パパ」


「え、ああ、そうだね」


「ちょっと、話聞いてるの?いつも上の空なんだから、まったく」


 奈緒の父である俊介伯父さんは、必要以上のことは話さず、いつも聞き役に徹しており、どこかふわふわしていて、何を考えているかよくわからない人だった。よく喋る伯母さんとは正反対で、しょっちゅう「ちゃんと話聞いてる?」とか「何か意見はないの?」とか、伯母さんに怒られている。

 こんなに性格が真逆なのに、なぜ結婚したのかと常々疑問に思ってしまう。


「ていうか、正、斜め前に住んでたさっちゃん覚えてる?」


「ああ、『ウチは絶対大金持ちの男を捕まえて東京に行く』って言って、本当に有言実行したさっちゃんか?」


「そうそう。実はね、今年の三月に出戻りしたのよ」


「え、ほんとに?」


「ホントよ、ホント。前にね、元旦那さんが挨拶に来てくれたんだけど、とてもかっこよくていい人だったのよ。でも聞くところによると、家では暴力がひどかったんですって」


「DVってことですか?それは出戻って正解ですね」


「葉月さんもそう思うでしょ?……でも、実はね、その暴力の原因は、さっちゃんの浮気なんですって」


「えっ、さっちゃん、浮気したの?」


「らしいわよ。あんなイケメンで金持ちな旦那さん捕まえといて、浮気するなんて、ちょっと……ねぇ……?」


「ほんとだな。浮気は許せんだろ」


「暴力を正当化するのは今の時代よくないけど、さっちゃんも女なんだから慎ましやかに生きないとね」


「図々しい姉さんがそれ言うか?」


「ちょっと、なによそれ!これでもね、私だって男を立ててるのよ?パパが無口な人だから、私が代弁してあげてるんじゃない」


 大人たちが、何が楽しいのかわからない他人の噂話で盛り上がる。つまらない。


 ミコトは今、透明人間だ。


 おじいちゃん、おばあちゃんがミコトの近況を聞きたがっているって言うから、居間にいるのに、これじゃあ居ても居なくても変わらない。


 ミコトは手持ち無沙汰なのを誤魔化すために、緑茶が入った湯呑みをいじる。が、退屈さは紛れない。


「ねぇ、ミコトと神社、下見に行っていい?」


 突然、口を開いたのは奈緒だった。


「奈緒、いきなりなによ?」


「ちょっと考えてたんだけど、せっかくミコトが大分まできてくれたのに、一日目を家でじっとして過ごすのも、もったいないでしょ?今、神輿作ったり、提灯飾ったりで、神社も賑わってるだろうし、準備中の神社もミコトに見せたいの」


「んー……でも、ミコトくんは疲れて、家で休みたいんじゃない?」


 皆の視線がミコトに集まる。


「え、いや……。……そう、だね。せっかくだし……行こうかな?」


 このままここにいてもつまらないから早く抜け出したい、と思いながらも、皆の視線が気恥ずかしくて、言葉が少ししどろもどろになってしまう。


「そうこなくっちゃ!ミコトも行きたいって言ってるんだし、お母さん、いいでしょ?」


「まぁ、ミコトくんがいいならいいんだけど。気をつけて行ってくるのよ?」


「はーい。ほら、ミコト、いこ!」


 奈緒がサッと立ち上がると、ミコトの手首をぎゅっと掴み、引っ張る。


「わっ!」


「善は急げだよ!ホラ、早く!」


「痛いよ、奈緒ねぇ!そんなに引っ張らなくても行くってば」


 ミコトは奈緒に腕を引かれながら、親戚一同にペコリとお辞儀をして、居間を出る。


 外に出るまでの道で、居間の方から、


「うちの奈緒が強引でごめんね」


「いいんですよ!ミコトなんて、いつも家に篭ってるんで、奈緒ちゃんに連れ出してもらえるのありがたいです」


 というやりとりが聞こえた。



 外に出ると、むわりとした熱気がミコトの体を包み、日差しがジリジリと遅効性の毒のように肌を焼く。


 そのとき、ふっと手首が解放された。


「うわー、やっぱり外は暑いねー……。……大人の話って退屈だよね。噂話に、愚痴に、希望のない話ばっか。……って、これも愚痴だね」


 奈緒は、手のひらで自分の顔をパタパタと仰ぎながら、少し、呆れたように微笑む。

 真夏の日差しに照らされたその表情が、どこか大人っぽくて、胸がどきりと跳ねた。


「ミコトも退屈だったでしょ?ふふん、お姉さんが助けてあげたんだからね」


 前言撤回。大人っぽいと思ったのは嘘だ。


「さてと、早速お祭りの下見に行きますか!」


「えっ、本当に行くの?」


「当たり前でしょ?さっきママたちに言った準備中の神社も見せたいって話は本心だもん。ミコトも行きたいって言ってたじゃない」


「そうだけど。……暑いから、やっぱり行きたくない……」


「これだから東京の軟弱者は。木々の日陰歩いてれば涼しいよ」


「何言ってんの。神社までの道は、ほとんど田んぼ道で日陰なんてないじゃん。騙されないから」


「バレたか……。とにかく、祭りじゃない時の神社も新鮮で楽しいと思うから、いこ?ほら、お姉さんが手を繋いで行ってあげるよ?」


 奈緒はニマニマと笑いながら、右手を差し出した。


「手なんて繋がないよ!わかったよ、行けばいいんでしょ行けば」


 ミコトは奈緒の手を無視して、ジャリジャリとを音を立てながら、大袈裟に歩く。「あ、ちょっと!待ってよ!」という奈緒の声も無視しながら、祖父母の家を後にしたのだった。


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