朝夢のアイドルとノースルック

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朝夢のアイドルとノースルック

 家に引きこもっていることが多かった。あたしの場合は……小学生のとき、いきなり指を刺されて、同級生の男の子から『ブス』……って言われたせいだ。

 人見知りするくせに、たまに喋ると口が悪くて、もともと友達がいなかった地味な子なのも理由ではあるけど……最後のきっかけは、そっかあたしって『ブス』なんだと、子どもながらに胃が痛くなるくらいにガクンと、落ち込んでしまったから……だ。


 それからはしばらく、学校に行くのを拒絶していた。いや拒絶というよりは、登校時間が迫るとお腹が痛くて、どう足掻いても遅刻決定な時間になると治る。いわゆる、仮病扱いされる現象だ。


 両親は共働きでいないから、夕方まではあたし一人。今で言う自宅警備員状態。だからよく家の冷蔵庫を物色して、有り合わせのお昼ごはんを作って、平日昼間からテレビを付けて番組を流し観ていた。ちなみに朝から観ないのは、子どもながらに親に迷惑を掛けている自覚と罪悪感から、電気代に配慮したものだったりする。


 その日もパジャマ姿のまま、消費期限ギリギリの食パンをトーストにしつつ、情報番組なんかに興味はないからバラエティー番組をテレビから垂れ流していた。

 すると。いつもはいい大人がわちゃわちゃやっているのに、この日はデビューしてまだ日が浅い女性アイドルグループがゲスト出演していて、司会者の人と軽妙なトークを繰り広げていた。


 それだけならば、別段珍しいことでもない。せいぜい、今のアイドルグループってこんなに人数居るんだって感じだった。


 けれどそのとき話題になっていたのは、アイドルグループの最年少の子がアタシと同い年で、小学校に行かなくても大丈夫なの? といった内容で……ついついトーストを疎かにして見入ったのを覚えている。確か……まだ結成して間も無く、上京したばかりで友達もいないから、学業より仕事を優先してるって答えていたかな?


 その子のことをあたしは、アイドルとしても、他のメンバーと比べても小っちゃいし幼し、おまけに話題から外れたら一番端っこでぼんやりとしてるし、そこそこ可愛らしいくらいでパッとしない地味系の子。って、年齢を加味すれば当然ではあるんだけれど、そう思っていた。なのになぜか、目を離せないでもいたんだ。


 やがて。新曲の番宣として、アイドルグループのライブパフォーマンスが始まる。全然聴いたことないなと所感しつつ、大体3分程度のパフォーマンスの最中、あたしはその子の行方ばかりを探して追い掛ける。

 結局3分のうち、その子がテレビに映ったのはトータルで10秒満たすかどうかくらいの、ちょっとあんまりな扱いだった。歌やダンスが上手いのかどうかも分からない有様だ。これはあとから知ったことだけど、当時その子はメンバーで一番人気が無かったらしい。


 そんな……その子にとっても、アイドルとしてあまり目立てなかったであろうライブで、あたしはその子……北見きたみ 莉瀬りせに目どころか、心を奪われてしまったんだ。

 そもそも同い年だし、理由が違えど学校に行っていない同士だし、友達いない地味めなキャラっていう共感を持っていたのもある。けれどあたしがもっとも惹かれたのは、彼女たちのライブから、いつもバラエティーに切り替わる直前。


 おそらくは1秒にも達しない程度の、一瞬ともいえる間。テレビのカメラがたまたま北見 莉瀬だけを捉えていて、その北見 莉瀬が何に反応したのか分からないけど、さっきまでの地味な印象はなんだったのかとツッコミたくなるくらいの、とびっきりの笑顔を浮かべていたからだ。


 ああ……人って、こんな瞬時に変われるんだって思った。こんな可愛い生き物、居ても良いのかって。テレビの向こうだから? それともアイドルだから? とにかく同い年で同性の子に、一回も現実でしたことのない、一目惚れのような感情が芽生えたんだ。あのときの衝撃を、あたしは生涯忘れることはないだろう。


 あれから10年……いやもう15年になるのか。今では国民的グループの最年長現役アイドルとなった北見 莉瀬をずっと推し続け、あたしはあたしで、ひっそりとアイドルに憧れ続けた。

 ただ。憧れるだけで、人は変わらない。学校に通えるようになったわけでもなくて、成人してもまともな職にも就けなくて……ちょっとだけ胸に湧き上がっていた、アイドルになってみたい夢も、『ブス』のあたしには無理だとすぐに諦めてしまう。


 人としてはもう終わっている、数いるうちの一人のアイドルファン。

 あたしは何者にもなれず、このまま年齢だけを重ねるのかなと、漠然と不安になっていた。惨めなルックスを言い訳にするせいで、一歩、二歩、踏み出す勇気も失せてしまうのに。



         ▽


 あたしの引きこもり生活はアラサーに突入してもそんなに変わらず、登校拒否からニートになっただけ。一度躓いた人間は、いつまでも躓き続けるんだと知る。


 よく両親は、こんなあたしを見捨てないよなと思った矢先……26歳の誕生日に突然、一人暮らしを命じられる。流石にニートで実家暮らしの箱入り娘状態を、改善しないといけないと踏み切ったらしい。


 そんなこんなで、一人暮らしが始まってもうすぐ一年。ハローワークに通う根性はなくて、バイトするにも、恥だらけの履歴書を書くのが億劫おっくうで、お金は親の仕送りを頼る。変わらずの自堕落さ加減だった。


「はぁ!? なんだようるせぇな。一人でも大丈夫だっつってんだろ。はいはい、もう切るからなっ……〔口が悪い〕? 元からだろそんなの。〔すぐキレる〕? はぁっ、キレてないって! 電話を切るって言ってんだよっ! またなっ、ふんっ! ……ったく」


 母親からの電話を、ブチっと切る。

 そのままポイっと、スマホをベッドに投げて一息付く。


「まったく。何回も何回も電話掛けてきやがって。一人暮らしくらいできるっての。ずっと学校もろくに行かず、職にも就かず、26まで実家暮らしの引きニートだっただけで、家のことは大抵できるんだって……なんせ、家にこもってたんだからな」


 昼頃に起きたら、いつも誰も居なかったんだ。だから最低限の生活用品の扱いは熟知しているつもり。洗濯は回せるし、炊飯器は炊けるし、掃除は……今は服が散らかってるけど、やろうと思えばいつでもやれる。


「……心配するとしたら、お金を稼げないことくらいだって」


 だけど、肝心の方がどうにもならない。

 離れ続けた人間関係を、今さら築き上げようったって上手くは行かない。

 たまに行くコンビニの店員とも、声が上擦ったりして、吃ったりして、まともに話せないレベルだ。親とか、家で歌を歌うくらいなら普通なのにな。

 そんな他人ひとの顔を見てまともに話せない、内弁慶のスキルパラメーターをカンストさせたようなあたしが、面接なんか受けても受かるわけがない。まあボロクソに、ボロクソな過去を突かれる怖くて、受けたこともないんだけど。


「……このままじゃダメ。そんなのは分かってんだよ、あたしも」


 分かっていても、劇的に改善するわけじゃない。変わるわけじゃない。地味なヤツはどんどん地味になって行き、ブスは歳を重ねるごとにブスになる。これはきっと、必然なんだ。


「あたしもせめて、アイドルの子みたいに可愛く生まれてたら、違った人生だったのかな……」


 あたしが座っている手前のテーブルには、コミュニケーション用にと、かなり前に買ってくれた高性能のパソコンを繋いだモニター。それと通販で購入した、最推し北見 莉瀬のマウスパッドが目立ちに目立っていて、それを取り囲むように、マイクを含めた周辺機器たちが雑に並ぶ。そこに紛れるように、研鑽用にしかなっていない化粧品類と、スタンド可能の手鏡があって、あたしは不意に鏡を覗き込む。


 今一度。『ブス』と言われた、あたし自身の顔を見る。


「……まあ。微妙だけど、まだそんなに老けてなさそうなのだけが、救いかな?」


 この歳になってくると、流石に『ブス』と言わせたことを、トラウマのように気にすることは無くなっていた。

 もう名前も覚えてないけど、男の子だってあんまり深く考えずに言ったんだろうなって、そもそも小学生の話だしなって、慣れてもくるものだ。


 だからあくまで皮肉というか、みっともない人生を送るあたしへの自虐というか、なにかをできない言い訳に使うくらい。ただ当時のあたしが、希望を失いそうになるくらいに落ち込んだのも事実で、その感情をずっと覚えているから、記憶から抹消しようにも……できない。


 そして、忘れられないことは他にもある。

 子どもの頃と……最推しの影響ほど執念深く、末恐ろしいものはないということだ。


「パソコンを開いてっ……と。諸々セッティングをして………………マイクをこっちに持って来て、音声を少し調整。これでよしっと」


 パソコンを開いてからテキパキと、もはやルーティーンのように、あたしは瞬く間に宅録スタイルを構築していく。


「あーあー……これくらいか」


 反響して来るあたし自身の声の確認。

 地声は特別良くもないけど、悪くもない。

 可もなく不可もなく……いつも通りだ。


「じゃあ……今日も始めますか」


 セッティング中に開いたアプリの、映像配信を開始するためのキーを入力する。すると、数秒ほどの諸注意画面を映し出されたのち、一人の二次元キャラクターがセンターに立つ。


 赤色と黄色とちょっぴり白色を織り交ぜ、朝焼けをイメージした色合いのくせっ毛ショートヘアの暖かさ際立つ、お目目がぱっちりで、鼻は小さくて、小顔で……あたしが絶対着ても似合わないであろう、可愛い子に限るフリルフリフリのドレスを躊躇いもなく着る……あたしの憧れの分身が、イラストマイクの前にニッコリとしたまま据わっていた。


 よし、今日もがんばろ。

 これもコミュニケーションの一環になる……はずだしね。


『……付いたよね? はいっ、いま突発で歌枠撮ってます。インターネットアイドルのあさ比奈ひな 朝夢あさゆめです。よろしくっ』


 そう。あたしは顔や体型に自信がなくて、北見 莉瀬のようなアイドルは無理だと諦めていた。けれどあるとき……リアルの顔出しをしていない、アバターというか、バーチャルのキャラクターがアイドルを名乗って、しかもヌルヌルと歌って踊ってるのを観て……これだっ! と強く思った。


 名前はあさ比奈ひな 朝夢あさゆめ。身バレしないように苗字だけを変えて、あたしの意思は残そうと下の名前はそのまま。つまり朝夢は本名だ。


ほら……もしかしたらこんなあたしもお嫁に行くかもしれなくて、苗字は変わるかもしれないわけだ。けど、下の名前は死ぬまで必ずあたしと一緒だから。ほんとうは変えたほうが安心なんだが……ぶっちゃけ元々芸名っぽい名前だし、あたしだって自己顕示欲は気持ち悪いくらいたんまりとある……だからこれでいっかって感じだ。


『突発でみんなを待たせるのも悪いか。じゃあさっそく——』


 なにはともあれ。こうして始めたのが、朝比奈 朝夢としての、インターネット上のみの自称アイドル活動。あまりSNSで宣伝もしてないし、ほとんど視聴されてもいないし、収益化を満たすわけもなく一銭にもならない活動だけど、モチベだけはすこぶる高い。


 だって外見を気にして、アイドルなんて無理だと決め付けていたんだから。それがまさかこういう形で叶えられるなんて……テンションが上がらないわけがない。


 あたしの最推し北見 莉瀬のような、正攻法のアイドルとは言い難いかもしれない。でもこのやり方は、地味でコミュ障で引きこもりニートのブス女でも……煌びやかなアイドルなれる。このときだけでも、あたしは可愛くなれるんだ。


『——今日の曲はそうだな……アイドルソング縛りでもやろうかな? あっ、どうせまた北見 莉瀬のソロ曲を歌うと思っただろ? 残念、大正解っ! ははははははっ』


 まあ……口調はあたしの趣味趣向と素が出過ぎて、清廉清楚で潔白可憐なアイドル像と、随分とかけ離れてしまったけど。


『はぁ〜? 〔毎回歌ってる〕? 〔どんたけ好きなんだ〕? 〔もはやキモオタレベル笑〕? べ、別にいいだろ。あたしの憧れのアイドルなんだ。例えばこれがアイドル縛りじゃなくて、演歌や洋楽縛りだとしても、強引にねじ込むからな? 覚悟しろ』


 最初はいつも北見 莉瀬のソロ曲か、所属グループの曲を選んでいる。もちろん好きなのが理由だけど……カラオケとか行けないから、フルで間違えずに歌える自信があるのがこの辺しかないからだ。


 やっぱり初っ端からふにゃふにゃ歌うのは良くないし、馴染んだ選曲がいい。みんなが飽きても、あたしは朝比奈 朝夢として歌い続けてやるんだ。アイドルになるためにも。


『ちょ、〔仕方ない、今日も聴いてやるか〕? 聴いてくれるのは嬉しいけど、なんで上からなんだよ。全裸待機してんのか〔歌声はいいし〕……っと思ったら褒めてくれんのか。そこはありがと……はぁ!? 〔中身おじさんの変声〕!? アホか〜!! ちょっとエコー強めなだけだってのっ! もしくは地声が女にしては低めなだけだっバカ!」


 ……振る舞いは、いずれ変えないといえないけど。いやでもな……アイドルはアイドルでも、ぶりっ子女はあたし嫌いだもんな。素を曝け出してもなお魅力的なのが、真のアイドルだと思う。それこそ北見 莉瀬のように。


 素顔を曝け出せないブス引きニートが何言ってんだって感じだけど。そう、感じるんだから仕方ない。


『はぁ……歌う前なのに疲れた。もういいか? もういいよな? よしっ! じゃあいくぞ……北見 莉瀬ソロ曲より、北見直訳っ! ソロデビュー曲!【ノースルック】っ!』


 みんなが飽きても、疲れても、あたしは朝比奈 朝夢として歌い続けてやるっ。北見 莉瀬にはなれなくても、『ブス』と言われた見た目でも、どうしようもない性格のせいでメディアに向かなくても、人前に出る勇気はなくても、アイドルになれるんだって証明するんだっ! あたしなりのやり方で。

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