喰う

 翌日の昼休み、聖堂には既に雲上が待っていた。いや、こいつはいつも俺より先に聖堂にいて、いつも何かを祈っている。だから、俺を待って直立していたことが一番の驚きだった。

 そして何より、酷く獣臭い。昨日の野犬よりよっぽど鼻が苦しい。

「滝沢くん、来てくれてありがとう」

「別に、いつも来るじゃないか。何を改まって」

「明かりをつけても、いい?」

 翠色の左腕が、聖堂奥の壁に添えられる。てっきり、電灯なんてないものだとばかり思っていた。いつも、俺が来る前から、ここは真っ暗だったから。何をいまさらとは口にできず、頷く。

 雲上の瞳が今日も、いや今日までずっと、星のように輝いていたから。

 電灯が点くと、聖堂らしくステンドグラスが眼前に並んでいた。植物を思わす緑、海を模した青のガラスが丁寧に並んでいる。葉紋と慈愛の海が溶け合う、憎らしいほどに煌めく絵画が象られていた。

 最奥の祭壇へと雲上が昇っていく。その上には、袋?

 昨日、貸してくれたタオルが入っていた袋だ。そいつが、いや、その中身が、もぞもぞと動いている。

「肉食獣が好きだと言ってくれた人は、初めてだった」

 雲上が袋から取り出したのは、鼠だった。合成ペレットで飼育が可能だからペットとして人気な、ハツカネズミ。

「“食べ、食べられる循環”こそが生命のあるべき姿だって、言ってくれた」

 雲上が、暴れるハツカネズミを慣れた手つきで押さえつける。ひ弱な腕で、あの美しい翠色の左腕で、獣のごとき荒々しさで。

「僕もね、空腹で仕方がないんだ。翠紋って言ってね、菌糸を持たないから」

 握りしめた雲上の左手から、鈍い音がする。生命の潰えた音だ。

「タブレットじゃ物足りない。こうやって動物を食べないと、生きていけないんだ」

 雲上は、鼠の頭へと齧り付いた。骨身の砕ける音、背筋の凍る獣臭さと何より、鉄錆の、いや、濃い血の臭い。生命を食べている臭いだ。雲上は口の周りを罪深く赤色に染めて、あの、鋭い視線に宿る飢えた獣さながらに、鼠を貪っていく。毛皮を吐き捨てて、骨は噛み砕いて、滴る血の一滴も、舌で舐めとって。鼠は丁寧に、雲上の腹へと巡っていった。俺が、林檎を齧るように。

「だから、滝沢くんに出会えて本当に嬉しい」

 美しく微笑む口元は、鼠だったものがこびり付いていた。雲上の瞳が一等星のように輝いて、春を囀る小鳥のような声で、美しい、美しい翠色の腕で。真っ直ぐな瞳が、俺に問う。

 俺は、思わず逃げ出してしまった。

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