いただきます
多くの生徒が光合成を求めて屋外へと出歩く昼休み、俺は暗がりを求めて学内を探索していた。学年集会での見世物が効いたのか、俺を咎める者は誰もいない。教室での食事も考えたが、あの女生徒が同窓であったため躊躇われた。
人の波に逆らい逆らって、俺は暗い聖堂に辿り着いた。ノルシア教の信仰もすっかり薄れた今では、誰も寄りつかないのだろう。食事への嫌悪だけは一丁前なくせに。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
錆び付いた門戸を押し開くと、くぐもった煤け色の声がざらざらと聖堂を震わせていた。灯りも付けず、たった一人で。てっきり誰もいないかと思っていた。声の主は俺に気付こうともしない。葉紋を携えた腕に力を込めて、ひたすらに祈りを捧げていた。
近づけば、僅かな錆び鉄の臭い。そうして彼が繰り返し唱えていた煤け色の声は、祈りでなく懺悔だった。翠色の美しい葉紋、俺を凝視していたあの男子生徒だ。首には本物の青真珠をぶら下げている。相当熱心にノルシア教を信じているらしい。俺は、硝子玉すら持った事もない。
「邪魔をして悪いが、少しいいか?」
「え? あ、転校生の、ええと、滝沢くん」
「人気のない場所で食事がしたい。ここなら誰もいないと思ったんだが、他に場所を知らないか?」
食事用の落ち葉と果物を詰め込んだズタ袋を振るってみせる。流石に、彼の祈りを邪魔する事は忍びない。
「別に、ここで食べればいいですよ。僕は気にしない」
意外な彼の返答に、俺は思わず、まじまじと彼の瞳を覗いてしまった。宝石よりも美しい彼の葉紋にふさわしい、混じりけのない純粋な瞳。
「じゃ、ありがたく」
適当な椅子に腰掛けて、林檎へと齧り付く。これも観賞用の低木から拝借したものであるから、ぼそぼそと味気ない。最近流行の合成ガムなんかの方がよっぽど舌に楽しい。けれど、あんな娯楽品では、生命なきまがい物では、生きていけないのだ。
「隣のクラスだから初めまして、だよね。僕は雲上。よろしく」
「あんた、いつも一人でここに?」
「僕の葉緑素だと、わざわざ日光浴までしなくて充分なんだ。運動部でもないしね」
「へえ。でも、いいのか? 俺なんか招き入れて。あんた熱心に祈ってたじゃないか」
「別に、気にしないよ」
林檎のヘタを菌糸に喰わせて、落ち葉へと左腕を突っ込む。普通なら落ち葉をペースト状にした糊を葉紋へ塗る程度で事足りるが、葉緑素を持たない俺の場合そうはいかない。袋一杯の落ち葉へ菌糸を伸ばし、獲物を捕らえた蜘蛛のように縛り上げる。優しい朽葉色であった落ち葉は見る間に生命の名残を失い、砂同然の残骸へと成り果てていく。
その様子を、雲上は恐ろしいほどの鋭い瞳で凝視していた。
「見ていて、気分のいいもんでもないだろ」
「すみません、つい」
「見世物じゃないんだ」
「ご、ごめんなさい。どうしても、美しくって」
「美しい?」
俺は思わず、彼の葉紋を見てしまう。よっぽど美しいものを携えた彼が、俺を、美しいと。
「滝沢くんは、滝沢くんは食べることをどう思ってるんですか?」
「自己紹介の通りだ。必要なんだよ、生きるのに」
「す、すみません。失礼な事聞いて」
「慣れてるから、別に。雲上って言ったっけ? あんたは?」
「え?」
「あんたは、食べる事をどう思ってるんだ?」
「僕、僕は、その」
流石に、本人を前にして邪悪な獣の行いだなんて言えないか。ただ、俺の機嫌を伺うかのようにしどろもどろな態度が気にくわなかった。
「そもそも、ほとんどの生き物は喰って喰われてるんだ。“食べ、食べられる生命の循環”の中にいる獣こそ、生命のあるべき姿だろ? 食事を必要としない植物と人間だけが高尚な生き物だなんて考えは傲慢だ。そうだろ?」
返事はない。意地悪が過ぎたか。
「俺はノルシア教が嫌いなんだ。八つ当たりして悪かった。明日から他所で」
「僕も」
真っ直ぐに獲物を射貫く、獣の瞳。出て行こうとした俺は、身じろぎ一つできず彼の視線に捕らわれてしまった。
「僕も、ノルシア様が嫌いなんだ」
鈴を打ったように凜とした、澄み渡る声。聖堂の暗がりとは裏腹に晴れ晴れとした瞳で、雲上は青真珠を首から取り外す。青真珠を床へ放り捨て、雲上は転がる信仰の青を足で踏み潰した。真珠は食べ捨てた落ち葉のように鮮やかさを失い、砂煙として散っていく。
信仰を踏み潰した足で、軽やかに雲上は聖堂を出ていった。
こいつは俺でなく、祭壇に祀られたノルシア様に遠慮していたんだ。
「明日からも、ここに来てくださいよ。食事をするなら、きっとここが一番いい」
こうして、俺と雲上の奇妙な交流が始まった。
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