翠に焦がれるギンリョウソウ

@HanakusaSele

翠色

「いただきます」

 秋風侘しい転校初日、自己紹介のために呼び出された学年集会へ、俺はひっそりと、トマトを持って参加した。観賞用のありふれた、小さなやつだ。滝沢くん、と担任に呼ばれて約二百人の前に立つ。ありふれた二百対の瞳、当たり前のように緑色をした、二百本の左腕。ここにいる誰もが葉緑素を持っていて、当たり前に光合成をしていやがる。こいつらはきっと、それが当然だと思っている。日なたぼっこで生きていける、優しい世界しか知らない奴らだ。

 だから、これが自己紹介には一番手っ取り早い。

 俺は、手中のトマトへとわざとらしく齧りついた。

 皮を食い破る犬歯の感触に、滴る真っ赤な果汁。鼻を突き刺す、真っ青な生命の苦み。ごくり、ごくりと飲み込めば、生命が喉を伝っていく。胸の奥に垂れ流される生命だったどろどろのトマトが、胃袋を優しく、憎らしいほどに優しく、温めていく。

既に俺の左手は、食べ散らかしたトマトで見るも無惨に汚れていた。真っ赤な、食事をした罪の色。そうしてこいつら葉紋持ちとは違う、菌糸のみがはびこる煤けた鼠色の左腕。

「転校してきました滝沢です。見ての通り、生まれつき葉緑素を持たない銀紋です。光合成ができないし、タブレットじゃ物足りなくて腹が空く。食事の必要があります。よろしくお願いします」

 形ばかりのお辞儀に、やや遅れて形ばかりの拍手。波のように葉紋持ちの腕が揺れて、揺れて。さざめく森のようだった。

信じられないものを見てしまった。森に転がる数多の瞳が、そう呟いて怯えている。こいつら、娯楽用のガムすら知らないのかよ。これじゃ、銀紋者用のタブレットを口に放っただけでも悲鳴を上げただろう。あんなまやかしじゃ、空腹は癒えないのに。光合成ができる彼らにとっては、何かを口にする事そのものが嫌悪の対象だ。

 ダメ押しにと、トマトのヘタへ菌糸を沿わせる。ヘタはたちまち瑞々しい緑を失い、煤けた亡骸へと姿を変えた。その残骸を握りつぶす。生命の吸い取られた、ざらつく砂の感触が宙を舞う。近くにいた女生徒が反射的に仰け反って、気まずそうに俺を見た。俺の、薄汚れた銀紋を。彼女の葉紋はありふれた緑色で、気弱そうな蔦の葉状の葉紋が腕にまとわりついていた。

 呆気に取れられていた担任が、どうにかその場を取り繕おうと俺に退場を促す。クラスの列へと背を押された。俺から目を反らす奴、嫌らしい好奇を向ける奴、怯えつつも横目で追う奴。この扱いで構わない。先ほどの女生徒だって、震えた涙目で、ちらちらと俺を監視している。ここでも変わらず、俺らしい生活が送れる事だろう。

 その時、鋭いただ一筋の視線が俺を突き刺した。飢えた獣が獲物を見つけた時の、涎を滴らせ、牙をギラつかせた情念が俺を捕らえていた。

 翠色の美しい視線。

 クラスの最後尾へ座り込んだ俺の二つ隣にいた彼は、透き通るほどに美しい葉紋を持っていた。見た目はひ弱な文学青年といった風情で、とてもあの、獰猛な視線には似つかわしくない。彼の葉紋は木漏れ日に透ける翡翠の宝石も、五月晴れに芽吹く新緑も叶わないほどの美しさで、花弁の儚ささえ感じられた。

 だというのに、彼の視線はギラつく獣そのものだった。




人間の左腕には蔦の葉が這ったような見た目の、葉紋と呼ばれる光合成を行う器官がある。葉紋には炭水化物の生成に必要な葉緑素と、窒化物の吸収に必要な菌糸が共生している。人間と植物だけが食事を必要とせず、生命を奪わずに生きていく事ができる。だから、ノルシア様がお救いくださる特別な生命なのだ。

ノルシア様はお優しい慈愛の女神様。空一面に広がる大海原から、溢れんばかりの慈愛を陽光として注いでくださっている。生命を奪う事のない清らかな生命だけが、死後にノルシア様の待つ優しい海へと帰る事ができる。その海は空に広げた模造の慈愛とは違う、本物の安らかなる海だ。死後に葉紋が芽を伸ばし、彼女の待つ地華へ花開くと信じられてきた。

ノルシア様の慈愛を近くに感じるため、青真珠かそれを模した硝子玉は、信仰心の薄れた現在でも多くの人が持ち歩いている。また、肉食獣への嫌悪も未だ根強い。生命を奪わない人間こそが正義であるならば、例えば犬なんかは生命を喰らう、悪しき獣の代表格だ。

だから、あの転校生には驚いた。彼は忌み嫌われる獣である事を自ら公言したのだ。

「ノルシア様、どうか僕をお救いください」

 僕を救わない神様に縋るしかない、醜い僕とは違って。彼の腕は美しい銀狼色だった。

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