第30話



 ――妖魔伏滅機関『八咫烏』。その治療棟ちりょうとうの一室にて。

 ギシギシと、寝台を軋ませている青年がいた。


「998ッ、999ッ……!」


 包帯まみれの男が、寝台の上でひたすら腹筋を繰り返す。


 彼の名は蘆屋鋼牙あしやこうが

 退魔の名門、蘆屋一族の末裔である。


「1000……ッ!」


 そして、ついに腹筋回数が四桁に達したところで、病室の入り口から溜め息が響いた。


「蘆屋ってばまたやってるよ……。ここは怪我を治すための場所なんだよー?」


「げっ……真緒マオ


 顔を覗かせた少女に、蘆屋は心底嫌そうな顔をした。


 彼女――否。彼の名は、真緒マオ厳白ゲンハク

 とある妖魔の奇怪な実験を受け、妹の死体へと脳移植を受けてしまった少年である。


「またお医者さんに怒られるよー?」


「チッ、うるせぇんだよメス野郎。つーかオメェも出歩いていいのかよ?」


「あぁ、僕はもう全快したからね。失血が酷かっただけで、外傷自体はすぐから」


 自嘲げに微笑む真緒。

 彼は妖魔『フランケン』による不死化実験の検体であり、人間離れした治癒力を身に秘めていた。

 包帯まみれの蘆屋と違い、もはや白い手足には一切の傷跡すらない有様である。


「ケッ、便利な体質してんなぁ。『継ぎ接ぎ死体』の身体はずいぶんと生きやすそうだ」


「あははっ、そっちもクチだけは元気だねぇ。お前も死体に変えてやろうか?」


「ンだとぉ……!?」


 激しく睨み合う二人。そのまま相手に殴りかからんとしたところで、通りがかった看護婦が「二人とも元気そうねぇぇぇー?」と笑みを向けてきた。

 ……それがあまりにも“圧”を感じる笑みだったので、仕方なく少年たちは拳を下げることにした。


「治療棟ではご安静に、ね?」


「「はい……」」


 かくして、大人しく看護婦を見送る二人。その背中が完全に遠くなったところで、蘆屋と真緒は揃って「チッ!」と舌打ちをする。


「フンッ、やる気が削げたぜ。つーか真緒、テメェ相変わらずいい根性してんなぁ。見た目は乳だけ突き出たメスなのによ」


「はぁ、そりゃ身体は十四歳の妹だけど、中身は十七のお兄ちゃんだからね。元いた中華街トウジンガイじゃ喧嘩なんて日常茶飯事だったし、お前みたいなチンピラ風情におくするわけがねェだろうがよ。殺すぞ」


「クチわっっる……。あのヤバザムライ――シオンの前じゃイイ子ちゃんなのによ」


「ああ、あの子シオンは人を傷付けるようなことは言わないからね。僕が罵るのはお前くらいだよ。嬉しい?」


「ンな趣味ねーよバァカ」


 殴り合いはやめつつも、罵り合いだけは続ける二人。陰陽師として同じ『清明班』にいながらも、まったく気の合わない二人である。


 だが、そんな彼らにも共通点が一つだけあった。


「……シオンと出会って、明確に思ったぜ。オレ様はもっと、強くなりてぇってな」


 蘆屋は虚空に拳を突き出した。

 妖魔と戦うために近年取り入れた戦闘法・拳闘術ボクシングのストレートである。

 反射神経を極限まで研くことで刹那の回避と反撃カウンターを強みとしたこの拳法は、防御すら致命傷になる強力な妖魔たちとの戦闘でとても有用だった。


「知ってるか? 元々蘆屋家ってのは、『敗北者』の一族なんだよ。蘆屋道満あしやどうまんってご先祖が、花形陰陽師の安倍晴明あべのせいめいに陰陽勝負で負けっぱなしでよ。最後は妖魔になってまで挑んだが、結局負けて滅ぼされたって話だよ」


 蘆屋家最強の開祖にして、一族最大の汚点と言われた男・道満。

 その血を引くのが、現代の末裔たる蘆屋鋼牙である。


「腹立つほどに強い男、四条シオン。アイツに出会って、オレ様はよく分かった。そんな化け物みたいな野郎にこそ、いつか気持ちよく勝ってみてぇってな」


 先祖の気持ちが今ならわかると、蘆屋は拳を握り締める。

 そんな彼の様子に真緒は苦笑した。


「あははっ。“妖魔を倒して世界平和を”……とかじゃなくて、シオンに勝ちたいから強くなりたいって?」


「おう、アイツには一度ボコられたからな。悪いかよ?」


「そりゃ悪いでしょ。……でもまぁ、男としては嫌いじゃないよ。何より僕も、私利私欲で倒したい相手がいるし」


「ンだと?」


 問いかける蘆屋のほうに、真緒は掌底を突き出した。

 幼い頃より路上戦闘ストリートファイトで磨き上げてきた戦闘法・八極拳の猛虎硬爬山もうここうはざんである。

 地を揺らすような踏み込みからの一撃必殺を得意とするこの拳法は、衝撃を増幅させる真緒の巫装ぶそう能力とよく噛み合っていた。


「僕だって男だ。僕と妹を殺して継ぎ合わせた妖魔、『フランケン』の野郎をいつか殺したいと思ってる。あくまで、自分のさを晴らすためにね」

 

 打ち出した手のひらを握り締める。白魚のような指に、熱き血潮の流れる血管が透けた。


「少し前までは、心の底で死にたいと思ってた。周囲から“継ぎ接ぎ死体”だの“怪物”だの言われて、僕自身もそんな自分の状態が嫌で嫌で堪らなかった。でも――そんな自分を、シオンが受け入れてくれたんだ」


 数日前の出来事を思い返す。

 突如としてやってきた異質な少年、四条シオン。

 彼は真緒の事情を全て聞いた上で、“お前は死体なんかじゃない。ただの優しい人間だ”“お前は何も悪くない”と言ってくれた。

 それは全て、真緒が何よりほしい言葉だった。

 

「清明さんに言われたんだ。“自分はお人よしじゃないからハッキリ言う。キミは生物として間違った状態だ。――そんなキミを認める言葉は、いつか現れるに言ってもらえ”と。それが、彼だったんだよ」


 胸を押さえて真緒は思い返す。

 四条シオン。彼が自分に送ってくれた、本心からの言葉の数々を。


「だから、僕はもう死にたいとは思わない。朋友シオンの言葉を支えにしていつまでも生きてやる。そして、生きると決めたからには、カタキのクソ野郎をブッ殺して気持ちよく生き抜いてやる……!」


 そのために強くなってやる。そう真緒は言い放ちながら、蘆屋に手を差し伸べた。


「蘆屋。お前の中身は嫌いだけど、お前の戦闘力カラダには用がある。せいぜい早く怪我を治して、僕の復讐をサポートできるようになるんだね?」


「ハッ!」


 あまりの真緒の言葉に、だが蘆屋はむしろ小気味よく鼻を鳴らした。

 そして差し伸べられた手を、潰すような勢いで掴む。


「上等だぜッ、孕み雌マオちゃんよォ……! これからは一緒に訓練したり、せいぜい仲良くしようやァ……!?」


「ああッ、よろしくねェ糞三下あしやくん……!」


 明るく朗らかに微笑む二人。言外に“役に立たなきゃ死ね”と思い合いながら、握り合う手に力を込める。

 かくして、四条シオンとの出会いをきっかけに強くなると決めた蘆屋と真緒。

 そんな二人の殺意混じりの友好が、ここに築かれたのだった。

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