聖女悪食


「ひぃ、ま、まだ?」

「まだ先のようだ」

「そんなぁん」



 威勢良く飛び出したベルだが、追いかける間もなくすぐに息切れしてこの通りだ。



「少し痩せたらどうだ? お前が倒れた時、支えるにも運ぶにも苦労したし、何より健康面が」

「イヤよ!」



 半死半生だったベルが鋭く声を放つ。



「この体はあたくしが好きなもので育てた集大成なの! 誰に何と言われようと、この体はあたくしの誇りよ! 減らしてなどやるものですか!」



 ベルの反論を聞いた私は、軽率な発言を心から反省した。



「すまん。お前の膝と内臓と寿命を心配したつもりだったが、何を大切にするかは価値観は人それぞれだよな。お前が誇りだと言うなら、私もその思いを尊重しよう。それに私もその、お前の体、結構好きだぞ?」

「本当? ありがとう、嬉しいわ!」



 ベルが満面の笑みで白く丸い顔を輝かせる。辺りは闇だというのに目が眩んだ。


 己に絶対的な誇りと自信を持つ者はこうも眩しいのか。まるで内面から光を放っているようだ。ベルの内なる輝きに打たれ、私もいつかこうなりたいと強く思った。


 漠然と抱いていた聖女への憧れが、幻滅を経て本物の憧れに昇華した瞬間だった。



「何故一般人など連れてきた!?」

「違う! この方は我々の探していた聖女様なのだ!」



 小洞窟に到着すると、私は息も絶え絶えなベルの背を支えながら団員達に手短に説明した。


 三人の団員達は、洞窟の前で立ち往生していた。見ると大人二人が並んで入れるかといった洞窟の入口に小型の魔物が湧いている。向かっては来ないが、近付くと襲いかかってくるらしい。


 恐らくこの奥には、奴らの発生源となる大型の魔物がいるのだろう。そいつが出てくる前に、何とかしなくてはならない。小型の魔物は農作物を食い荒らす程度だが大型は獣や家畜だけでなく人間も食らうのだから。



「これが聖女? ありえん!」

「いい加減なことを」

「ベル、いけるか?」



 私の問いかけにベルは小さく頷いた。



「なかなかの大物ね……」



 呟きながら彼女は私の手を離れ、洞窟の中に向かっていった。私も後に続く。ベルが通るだけで小型の魔物は彼女に吸い込まれて消えた。団員達もそれを見て信じる気になったようで、彼らと共にランタンの灯もついてきた。



「たくさん来たねぇ……美味しそうだねぇ……」



 最初は、洞窟奥に連なる深い闇だと思った。それが目前に鎮座する大型の魔物だとわかったのは、奴が言葉を発したせいだ。


 大型の魔物を見るのは初めてだった。そして魔物の中には人の言語を使うほどの知性を備えたものがいるだとも初めて知った。


 恐怖と緊張で、身じろぎするどころか息すらできない。他の団員達も同じだろう。足音も息遣いも消え、痛いほどの静寂が落ちる。



「ええ、美味しそう……」



 ただ一人、ベルだけが静寂の支配外にいた。言葉を返すや、彼女は暗黒の魔物へと一気に突進した。



「いただきまぁす……」



 それは自ら飛び込んできた餌に喜ぶ魔物の声――ではなかった。



「ギッ! 貴様、何をッアアア!」

「こんなに食べ応えがあるのは久々ねぇ、美味しいわぁ美味しいわぁ」



 ベルの声がする場所から暗黒が削れていく。小さなランタンの光では、大きくたわんで揺れる金の髪しか捉えられない。だから私達には何が起こっているのかわからなかった、なんて嘘だ。


 わかりたくないのにわかる。ベルが何をしているのかを!



「ベル……」



 声を絞り出して名を呼ぶとベルは振り向き、黒い影をまとわりつかせた唇を舐め上げた。



「これがあたくしの好物。魔物はね、とても美味しいの。興味本位で一口食べて以来、病みつきになったの」



 悪食の魔物喰らい――それが聖女の正体。



 この実態を知られれば、彼女は聖女ではなく化物だと呼ばれ、魔物以上に忌避されるだろう。しかし現状では頼らざるを得ない存在だ。

 だから上の連中は彼女に聖女という呼称を与えた。そうして神秘的で希望に溢れた印象を我々に植え付けたのだ。


 僅かな時間で、大型の魔物は跡形もなく消えた。全てを食べ尽くしたベルが私のもとへとやって来る。思わず体が竦んだ。



「あたくしが怖い?」



 素直に私は頷いた。



「怖い……ベル、お前は」



 顔を上げ、ベルを睨む。彼女が軽く怯んだ隙に、私はもっこり膨れた腹を思い切り掴んだ。



「あれだけ食べたのに、よくあんなでかいもんが入るな!? この胃袋はどうなっている!? 私はお前の底なしの食欲が心底恐ろしい!」

「痛い痛い! やめてぇん!」



 存分に腹肉を揉みしだいてから手を離すと、私はベルに笑いかけた。



「お疲れ様。デザートならまだ入るか? とっておきの甘味を作ってやるぞ」

「セラ……」



 赤い目を涙で潤ませベルが頷く。聖女でも魔物食いでも、何でもいい。ベルはベルだ。



「動くな」



 安堵したのも束の間、低い声と共に首筋に冷ややかな感触が走った。背後から剣の刃を向けられていると悟るも時既に遅し。

 辺りを見やれば、団員達が私とベルを取り囲んでいる。



「何をするの、離して!」

「痛い目に遭いたくなければ大人しく俺達についてきな」



 軽くベルをいなす口調も左右から乱暴に押さえ込む態度も、聖女に対するそれではない。嫌な予感がした。



「どういうつもりだ。その方は本物の聖女様だぞ。連れ帰れば、大手柄に」

「手柄を上げても横取りされるだけだ! お前も知っているだろう!」



 背後の団員が声を荒げる。



「搾取されるのはもうごめんだ。俺達はこいつを手土産にイレーズに渡る」

「イレーズの条件が悪ければ蹴って他の国に行くか、こいつを使って自分達で魔物を退治するさ。少なくとも今よりは稼げるし有難がってもらえる」



 ベルの豊満な身を両脇から捕らえた二人が言う。気持ちはわからなくもない、けれど!



「セラ、お前も連れてってやる。この化物女はお前に懐いているようだからな」



 背後の男が刃を少しずらし、私の耳元に口を寄せる。



「体は抱き心地悪そうだが、よく見りゃ綺麗な顔してるな。俺達で可愛がってやるよ。お前の仕事は、俺達への奉仕だ」

「ふざけるな!」



 振り向き様、私は男の横っ腹に膝蹴りを放った。刃が触れて横髪と頬を切り裂いたものの大した痛手ではない。すぐに剣を拾い上げ、倒れた男に突き付ける。



「聖騎士団のあり方に不満を抱くのは理解できる。だがベルを利用するな! 彼女はお前らのものではない!」


「け、剣を捨てろ! こいつがどうなってもいいのか!?」



 裏返った声の方向を見ると、ベルを押さえる片方の男が彼女に剣の切っ先を向けていた。



「お前こそベルを離せ。彼女を殺せば、世界はどうなる? 魔物を退治できる者がいなくなるのだぞ」


「そ、そんなこと知ったことか! こいつを殺してお前も殺してやる!」


「おい、落ち着け。さすがに聖女を殺すのは」


「うるせえ! 殺すといったら殺す! 皆殺す!」



 反対側にいた男の説得にも耳を貸そうとしない。激昂すると我を忘れるタイプだ。まずい、このままではベルが!



「お前達、何か勘違いしているのではなくて?」



 静かに問うたのは、これまで黙っていたベルだ。

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