聖女転倒


「だから、言ってるでしょ。イヤよ、戻らないわ」

「だから、そこを何とかお願いしているのだ」

「イヤです」

「お願い」



 こんな押し問答を続けている内に我々は森を抜け、ついには国境を越えて隣国イレーズの町にまで来ていた。


 アルカに戻ることをベルは頑なに嫌がった。曰く、『あの国の美味しいものはほぼ食べ尽くしたから』だそうで。


 で、アルカを出て何をするつもりだったのかと問うと『世界中を巡って食べ歩きたい』という答えが返ってきた。話せば話すほどこの女の頭には食べることしかないとわかり、おかげで私も畏まった言葉遣いをしなくなっていた。


 食堂が連なる通りを目敏く発見すると、ベルは店に入ろうとした。が、もっちりした肩を掴んで止める。



「金はあるか? 私は持ってないぞ」

「金? 何それ?」



 むにょんとベルが首を傾げる。途端に私は凍りついた。



「お前、お金を知らんのか?」

「だから何それ?」



 同じ仕草が返ってくる。限界だった。



「バカッ! 金もないのに飯が食えるか!」



 私の剣幕に圧されたのか、ベルの巨体が一回り小さくなった――ような気がした。




「何か食べるには、お金というものが必要なのね」



 心底しょげているらしく、ひどく足取りが重い。深く反省しているようだ。


 おかげであれからベルは大人しく後をついてきてくれた。これ幸いと再びアルカ方面へと向かっているが、今度は近道となる西側から進んでいる。アルカの北の森と繋がるイレーズ最西部の林道に入っても、ベルは気付いていない様子だった。


 金も知らないとは箱入りのご令嬢様か? と冗談半分で問うとベルはあっさりと肯定し、ぽつぽつと己のことを話してくれた。


 彼女は随分と位の高い親を持ち、可愛がられて育ったらしい。しかしある時、好き放題し過ぎたせいで外に出してもらえなくなった。最近になってやっと許しが下り、この地へ送られたのだとか。


 ベルの罰を解いた際、父親はこう告げたそうだ――『この世界を救え』と。


 愛娘が類稀なる力を持つと知って魔物退治に送り出したのだろうが、親としては苦渋の決断だったはずだ。


 なのにその愛娘ときたら。



「お父様はこちらでは何を食べてもいいと仰ったのよ? 騙された気分だわ」



 親の心子知らず、どこまでも食欲が原動力らしい。


 溜息をついたその時、


「むぎょおごんどぅふん」


 突然ベルの方から意味不明な音が鳴った。音源は、彼女の大きなお腹。



「お腹、空いた……」



 ふらりと揺れると、ベルは倒れてしまった。

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