他世界戦争集
床豚毒頭召諮問
生きても地獄。死しても地獄。
「身を隠せ!」
「対戦車ミサイル用意!」
「塹壕の中にいるのは数人で良い!他は退避壕の中にいろ!」
ドォン!ピュピュゥ……!ピュゥ!
砲撃と銃火が飛び交う中、退避壕の中で一人の兵士が震える手で日記を書いていた。
2045年、8月1日
西部戦線では敵軍の攻撃が激しい。毎日塹壕に迫ってくる歩兵相手に引き金を引く。
戦車が来た場合は、定石通り退避壕の中へ身を隠し、撃破されるまで待つ。
今日は戦車がかなり近づいてきて、機銃掃射をしてきた。塹壕には少数の味方がいて、戦車に目を付けられない程度に近づいてくる敵兵を射撃している。
自分は気弱だと思っていたが、実はそうではないらしい。
たった三日の戦闘訓練の後、実戦に投入されてからもう四ヶ月がたとうとしているのに、俺はまだPTSDになっていない。それだけ、精神が今の状況に適応し、それを受け止めることが出来ていると言うことだ。
今いる退避壕の中にもPTSDを患っていると思われるやつがいる。こっちを見てひきつった笑いを見せるそいつは、可哀想なことに戦線を離脱することは出来ない。
そんな余裕は日本にない。病人を逃がすことも出来ず、みすみす民間人を戦場に置いてけぼりにした国だ。最も、現地を防衛していた自衛隊が壊滅し、民間人の退避を担当する部隊が間に合わず、敵の後ろに民間人を残す結果となったそうだ。
敵の進軍を食い止めるために、第一次世界大戦を思わせるような塹壕を築きあげ、徴収した民間人に武器を持たせて戦わせている時点で、この国は滅亡する運命から逃れることは出来ないだろう。
ドシュー!…………バァン!
「もう一発………」
戦車の装甲がミサイルの爆発で破壊される。そこにもう一発叩き込むことが出来れば、戦車は破壊することが出来るだろう。
「喰らえ!」
ドシュー!………バァァァァン!
「戦車破壊!」
「良くやった!全員外へ出ろ!歩兵を撃て!」
士官の命令に、兵士たちが立ち上がって退避壕から出ていく。
ババババババババババババッ!
バンッ!………バンッ!
バババッ!………バババババッ!
機関銃の音、狙撃銃の音、突撃銃の音。
戦場が死の戦慄が奏で始めた。
バラバラバラバラバラバラ……………
新たな兵器が一定のリズムを戦場に刻み込む。
「攻撃ヘリだ!ミサイル用意!その他は退避!」
ドシュドシュドシュドシュ!
ミサイルの発射音に心臓の鼓動は高鳴った。
バァン!バァン!バァン!バァァァン!
塹壕の壁にめがけてミサイルが直撃し、まるで隕石が落ちたみたいにクレーターような大穴が出来ている。
2045年、8月5日
攻撃ヘリで同じ小学校だったやつが死んだ。
兵士として優秀だったと思う。訓練ではかなりの評価を受けていたように思うし、ここに来てからも他のやつと良く話すやつだった。自分とは一切交流がなかったが。おそらく、俺のことなど忘れているんだろう。
そんなやつが死んだ。俺はやつのことはどうにも思ってなかった。死んだやつは他にもいる。
こいつだ。とわかる死体が残れば良い方だ。
ほとんどは肉片になって血が飛び散る。
死体はヘリのミサイルを喰らったにも関わらず、顔はそこまで破損してはいなかったし、身体中飛び散った破片とこびりついた血で汚れていたがやつだと俺でもわかった。
だが、やつと親交のある者はやつを見ても言葉一つ発することはなかった。
しょせん、やつも今まで死んだやつと同じ。
死んだらそこまでだ。
どんなに良いやつでも、悪いやつでも、死んだら忘れ去られていく。
そう言うものだ。
俺達は人の死に慣れすぎてしまった。
自分が死んでも、最早どうとも思わないのかもしれない。
俺が死んだら、誰が悲しんでくれるのだろう。
親兄弟も生き死にもわからないというのに。
誰も、俺に涙を流してはくれないだろう。
そんなに良い人生を送ってはこなかった。惜しまれるような人柄でもない。
死ぬ時は誰でも死ぬ。だからこそ、惜しまれて死にたいものなのだろうか。
一人で寂しく死ぬのとどちらが幸せであるのだろうか。
そんなことを考えても答えがでないのは分かっている。戦場でそんなことを考えれば、死期が早くなるのも何となくわかる。
俺だけは死なない。なんてことは最初から思いはしなかったが、今でも思わない。思いたくない。
死んだやつと生きてるやつ。そこに何の差があるのか。
俺は考えたくない。考えられない。
遅いか、早いかだけ。人の生き死にはそれだけで良い。ただ、それだけで良いんだ。
ヒュー…………ドォォォン!
つかの間、塹壕の中に、退避壕の中に、何か油のような、燃えるものの匂いがした。
鼻をつくその匂いに寝ている者も不意に顔を上げた。
その刹那。
バァァァァン!
熱気が、炎が、爆風が、全てを包み、全てを焼いた。
2045年、8月7日
気がついた時、俺はベットの上に居た。
だが、体は思うように動くことはなく、また、石炭のように黒かった。
俺が目を覚まして、自分の体を驚きをもって見つめていたのを気がついた若すぎる看護師が近づいてきて、俺にマニュアル通りにどこが痛いとか、息がしにくいとか聞いてきた。
その看護師曰く、なんでも、ここに居る兵士たちは二日前、西部戦線で燃料気化爆弾で塹壕ごと丸焼きにされた部隊の生き残りらしい。
あの時、鼻をついた油のような匂いは気化した燃料だったわけだ。
そして、俺はどうにか助かったということだ。
なんとも、なんとも言いがたいが、生きているのだろうか。俺は。
体は黒く焦げ、今こうして、字を書くのも少々の痛みを伴う。
無理に動かすとボロボロと体の部位が壊れてしまうかもしれないから安静にと言われたが、体を動かさなければ、体がもっと壊れてしまいそうで恐ろしい。
一応、肌は残っているところは残っているが、それも限定的で、体のほとんどが肌を失い、筋肉が見えていた。
下半身は包帯で覆われていたが、少し触っただけで骨の感触が伝わってきた。
細い。細すぎる。炎が全て持っていってしまったのだ。
鏡を持ってきて欲しいと言ったが、ここに鏡はないと言われた。
妥当な判断だ。人間とは似ても似つかないそんな姿になったのだ。
自身の姿を見た兵士が、正気を保っていられる訳がない。
こんな状態で果たして生きていると言えるのだろうか。
この病院には窓がない。外の様子がわからないし、日の光も入ってきてはいない。
おそらくではあるがここは地下だ。
この空間を漂うえもいわれぬ冷たさは、地下にある空間特有のものだろう。
幼い頃に誰かのお見舞いで病院に行った時、はしゃぎ回って、病院を走り回り、迷った挙げ句、病院の地下フロアに行った時に感じた空気感と同じものだ。
たぶん、察するに地上は瓦礫の山か、更地なのだろう。
スマートな戦争。そんなものはありはしないし、実現など出来ない。第二次世界大戦のように、大型爆撃機による絨毯爆撃などが行われたのかもしれない。そうでなければ、俺のような末端の末端を地下病院へ連れ込むだろうか?
二束三文以下の弾除けにもならない民間人がここに来れるということは、職業軍人は皆死体で帰ってきたのだろう。
情けないとまでは言わないが、なんだがそんなにも責任を持って戦場に立てるものなのだろうか。
俺がおかしいのか、職業軍人がおかしいのか。答えは出なかった。
でも、負けたら全ての国民が全てを失うことだけはわかりきっていることだ。
俺みたいに、財産も、持ち家もないやつも話しは別ではない。全ての権利を失うのだ。命も、全て。
ラジオの音声が政府が降伏を宣言した事を伝えた。
無条件の降伏だ。
泣き崩れる者。呆然とする者。ため息をつく者。
そして、何も感じない者。
国のために、命すら失った人間もいれば、ただそこにいて、命令を聞いていただけの者も居る。
様々な人間が居た。だが、生き残った者に幸福は訪れない。
負けたのだから。
勝っていれば話しは別だ。
明日から平穏な生活が始まる。
だが、負けたのだから、これからは無法地帯と化した祖国であった場所で、何をされるかわからない。
戦争が始まった時、人々の間からは失望の声が上がった。
だが、敗北した時、人々からは望みは絶たれた。
終わりの始まり。
負けたものにとっての地獄が始まったのだ。
戦争に負けて、何日かたったある日だった。
病院は何事もなかったかのように、毎日いつも通り、俺達傷病兵を看病していた。
その様子に平穏が訪れると安易に思うものもいたのではないかとは思う。
だが、目に光の灯っていない者は傷病兵の中にも、看護師の中にも大勢居た。
そう言った者達は、漠然とした不安の中に居て、それを笑うことが出来るほどの精神を持ち合わせていないのだ。
当たり前だ。
普通なら、というか、ごく一般的に考えて、戦争というものは普通ではない。異常なのだ。
その異常に耐えられるものは少ない。
ただ、慣れることが出来るだけだ。
問題はその異常に次ぐ異常。
戦争というものに負けた後、何が降りかかるかわからない。
最悪なものであることはわかる。
だが、どれが自分自身に降りかかるかわからないのだ。いつ、なんどき、それがいきなり来て、自分に襲いかかるのか、それがわからないから怖くてたまらないのだ。
だが、それを回避することが不可能なことであることだけは、全員わかっていた。
ドガドカと、聞き慣れない靴の音が耳に入った時、俺はその時が来たのだと悟った。
バァン!バァン!バァン!バァン!バァン!
銃声がする。同じフロアの誰かが撃たれている。それくらい近くから銃声は響いてきた。
震える者、目を閉じる者、掛け布団を力強く握る者。
俺はただ、その時を待った。どうせ何も出来ない。何が降りかかろうとも受け入れるしかない。
スゥッー。
病室の引戸が開いた。
敵の兵士が姿を現した。
敵兵は、容赦なく引き金を引いた。
バァン!
扉に一番近かった傷病兵の腹から血が流れて白いシーツを赤く染める。
「うあぁぁぁ!」
誰か悲鳴をあげた。
バァン!バァン!バァン!
だが、銃声は止まない。
敵兵は歩いては撃ち、歩いて撃った。
そこまで、撃つ場所は考えていないようだった。
バァン!バァン!バァン!
俺の番が来たようだった。
銃弾は腸を食い破ったのだろうか、その辺りから血が吹き出して止まらない。俺は上半身を起こしていたが、すぐに後ろへ倒れた。
痛い。なるべく苦しまないように殺す配慮もしないのだろう。
痛すぎる。今まで感じたことのない痛みが体を走る。
あぁ、最後だからか。人生で、生涯で最後に感じる痛みだもんな。
だから、こんなに痛いのか。
視界がぼやける。意識がだんだん薄くなっていく。
死ぬんだ。死んでしまうんだ。
死ぬことは無条件に悲しいことだと俺は理解できた気がした。
俺は例外なのかもしれないが、それでも、こんなにも死ぬのが悲しいと思うなんて。
死ぬのが他でもない俺だからだろうか。自分だから悲しいのか。自分の人生を知っているから悲しいのか。
生きたいという気持ちは不思議と湧いてこなかった。
ただ、むなしい。悲しいという気持ちが吹き出す血のようにあふれてしまう。
これが死か。これが死というものなのか。
気づいた時、俺は長い行列の横に居た。
俺は死んだはずだ。ここはどこだ。地獄か。
そう思って行列の先を見た。
長い、長いその行列の先に橋があった。
大河と言うわけではないが、川幅の大きい川の上に赤い橋がある。
その先に、何か大きな建物が見えた。
電気の光ではない。どこか赤を帯びた、炎による光だ。
あぁ、そうか。地獄の入り口か。
なんだが、さっきまで感じていたむなしさが、悲しさが吹き飛んだ。
まだ、何かあるのか。
この際何が来たってどうでも良い。
罪に問われても、どうだって良い。
ここまで生きてきて、その最後に行くつく場所がここなのか。
こんなところが人生の最後なのか。
そう思うと、またむなしくなって来た。
行列は少しずつ進んでいく。
何が待ち受けるのか、わかりきっていることではあるが、それでも思う。
死んだ後にこれかよ。と。
一所懸命に毎日生きてきた訳じゃないが、生きている時、嬉しいことより、辛いことの方が多い気がする。
そして嬉しいことと辛いことの繰り返しが終わった後、誰が決めたとも知らぬ掟を犯したとして罰せられるのだ。
なんなんだ。なんだというんだ。
なんで死んだらここに来るんだ。来なくちゃならないんだ。
怒りとむなしさで俺は叫びたくなった。
むなしい。本当にむなしい。ここまで来て、なんでむなしくなんて思わなきゃいけないんだ。
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