数奇者蝸牛

蝸牛男、彼の名は山本というらしい。変な荷物を持っているのに、案外、ノーマルな名前だな、と失礼極まりない感想を抱く。

「下の名前は何ですか?」

「忘れてしまった」

その声は、やはり年老いた老婆のもの。

「少年。お前の名前は?」

畦目うなめです。名前は、言いたくありません」

「そうか」

山本が口を緩めたのを認めて、僕は安心した。


混凝土の道を垂直に外れて、森の中に侵入していく。ザクザクと、大地を踏みしめる。名前の分からない木々の隙間を縫うように進む。時折、骨のような音を奏でる、枝葉を踏み折った。


隣を歩く山本の歩き方は、不自然で不格好。

──不自然とは?自然とは?

「荷物、持ちましょうか?」

若者としてはそう提案したくなる。

山本は背中に、重そうなプロペラを背負っていた。

「はっは!これは、俺から離れないんだ。仕方が無いから俺が持つ」

おどける山本の横顔は、何かを達観したように、前を見据えている。その表情は声に合っているような気がした。

「どこに向かうんです?」

「カミサマの所だ」

神様、とは発音が違ったような気がした。

「へえ、カミサマとはまた大層な」

「カミサマは神の事じゃない」

やっぱり。

「じゃあ、何なんですか?」

「俺はソイツの名前だと思っている」

俺は、その部分を山本は強調していた。気にしながらも、スルーして呟く。

「じゃあ、神様じゃないんですね」

──俺は。無宗教だが。誰かが日本人は無宗教ではないと言っていた。しかしそれは、敬虔一途な本物の教徒達に失礼ではないか。

「僕は無宗派です」

「俺も無宗派だ。日本人は多いらしいな」

ホッとした。

やっぱりそうだ。


奇妙なものが目に入った。

樹木の間に、黒いナニカが見えた。

「何か、います」

イノシシ、それともクマだろうか。なんにせよ。離れた方が良さそうだ。

「大丈夫だ」

山本は、言った。その言葉には教師のような説得力があった。

近付いて行くと。

黒いナニカの全貌が分かった。顔まで全身黒タイツで身を包んだような奇妙な動体。僕にはそれが人のように見えた。アリの行列のように、サルのように踊りながら奥へと向かっていた。

目的地が一緒なのだろうか。変な親近感が湧いてきて、少し、話しかけたくなった。

「このヒト達は?」

「分からない。俺がここに来る前からいた」

そういえば、聞くのを忘れていた。

「山本さんは、元々住んでいらっしゃったところに帰られていないのですか?いつ、ここに来たのですか?」

山本に、自分を重ねるような感覚になる。どうしてか、畏まった言い方になっていた。

──先人は、俺の考え付く事を総てやってから死んでいる。

「帰っていないだけだ。カミサマに頼むと帰れる」

帰っていない。山本は時期について語らなかった。追及しようか悩んだ。やめておこう。

「そういえば喉が乾きました」

「俺は水筒も捨ててきた。後悔している。一緒にカミサマに貰いに行こう」

カミサマとは、何者なのだろう。山本の口振りからは何も分からない。

「何も分からない、それが分かっているだけまだマシだ」

山本は枯れた声で呟いた。心を読まれたような気がした。

「誰の名言ですか?」

「知らん。しかし、誰かの言葉だろう」

手がポケットに触れる。そこにスマホがあったなら、すぐに検索にかけていた。

「山本さんが言ったので、暫定では山本さんの名言です」

冗談のつもりで山本を讃えた。

山本は咎めるように僕を睨んだ──

「やめろ、本当に」

──ような気がした。

──ありふれたものは誰の所有物にもならない。

「ごめんなさい、間違えていました!」

口が誰かに乗っ取られたように、乾燥していく。

「そうでした、単に間違えただけなのか!」

「大丈夫か?お前、ヤバいぞ」

山本が不思議そうにこちらを見ている。

──人を見る目がない?人を選択する資格が無い。

「じゃあ、どうやって戻れば良いんだよ!」

──優しい人間に謝る理由も時間もない。

「おい!本当に大じょ──」

──視界が暗くなる。過失に対して眼を瞑る事は死んでいくのと何ら変わりはない。

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