第6話「行きずりの 商社マン問ふ 雷雨かな」(夫の面影を見た日)

  行きずりの 商社マン問ふ 雷雨かな (小松栄子・2017年初夏)


 義母にとって『商社マン』は特別の存在だ。なぜなら義父がそうだったからだ。まだ日本人が海外に行くのがままならなかった一九六〇年代から義父は世界を駆け回って商談を纏めていた。


 夫が他界した直後は、介護疲れと喪失感で外出もままならなかった義母も、ようやく生活のペースを掴み始めていた。そんなある日、義母はロックフェラーセンタ―の近くにある眼医者を出たところで、激しい雷雨に見舞われた。偶然隣に立っていた若い日本人に商社マンの匂いを感じ取ったらしい。

「商社マンの匂いって?」

 と問うと、義母は

「希望に満ちたエネルギーとスマートな身のこなし」

 と答えた。義母は自分の勘に確信を持ってその若者に話しかけたところ、案の定、彼は赴任したての商社マンだった。雷雨が収まるまでの数分間、義母は商社マンだった亡夫のことを話し、若者はまだ不慣れなニューヨーク生活について語った。

「ここにいる人達は、話すのも、歩くのも、食べるのも、仕事も、恐ろしく早い。いつか僕もそうなるんでしょうかねぇ」

 彼はそう呟いて、ずぶ濡れで通りを走っている人達を眺めていたが、青空が覗くと「お元気で」

 と義母に向かって片手を上げ、颯爽と去っていった。


 そんな行きずりの男女のワンシーンから生まれたのがこの句だ。はつらつと話す若者に、若き日の夫の姿が重なったのだという。今も昔も商社マンはかっこいいのだ。語弊を承知で言うならば、私が長年共に働いてきた銀行員という種族にはなかなか出せない華やかさとクールさが彼らにはある。母が頬を赤らめながら話してくれた雨宿りのシーンを思い浮かべながら、私も母の意見に同意した。

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