第4話「傷跡も 元気な証し そっとなで」(夫婦最後の時間)

  傷跡も 元気な証し そっとなで (小松栄子・2016年)


 この句を詠む二ヶ月程前、義母は夫を入院先から自宅へ連れて帰った。在宅介護の負担を心配して周囲は強く反対したが

「お父さんには最後はこの家にいてもらいたいんねん」

 という義母の意志は強かった。あんた達には迷惑かけないから、と開き直られてしまったら、それ以上何も言えなかった。実際、共働きの私達は義父の介護に協力することができなかった。


 自宅に戻ってからの義父は、久しく見たことのないような穏やかな表情を浮かべていた。義母が雇ったアフリカ系アメリカ人のナースから

「私が看護に来ている時くらいは休むようにEikoに言いきかせてくれ]

と頼まれた事があった。義母は買い物に行く時以外、義父の元を離れなかったらしい。


 献身的な介護をしていた義母だったので、てっきり義父の肌にできた床ずれや傷跡をいたわってこの句を綴ったのかと思い、

「お義母さんのお義父さんへの優しさが伝わります」

 と褒めたら

「ちゃうちゃう、これはうちのことやねん」

 と言われた。オムツを替える時に義父が動かす手足にぶつかり生傷が絶えない自分を励ました句だったらしい。義母は介護の苦労をあまり口にしなかったが、悪戦苦闘の毎日のなかで、人知れず俳句を作ることで自分を奮い立たせていたにちがいない。


 「この句にはちょっとした因縁があるのよ」と義母は声を潜めた。

 実は、この句を『新俳句グランプリ』に応募した二週間後、義父は他界してしまったのである。最後の数日、義母は容体が急変した義父にモルヒネの錠剤を数時間ごとに投与した。自分にまで麻薬がきいてきたような気がしたという。半分夢の中にいるような中で、夫の最期を看取り、火葬と家族葬を済ませ、レンタルしていたベッドや介護器具が取り除かれた部屋に取り残された義母は、呆然自失の状態だった。


 そんな時、『週間NY生活』の編集部から、この句が北米伊藤園新俳句グランプリで月間入賞したという電話連絡を受けたのだという。紙上に掲載されたこの句を見ながら、腕をまくってみると傷跡は癒えていた。その時初めて「やることはやった。悔いはあらへん」という気持ちになり、前に進もうというエネルギーが沸いてきたのだという。


 義父の旅立ちにまつわる忘れられない経験は私にもある。火葬所からブルックリン・ブリッジを渡ってマンハッタンへと戻る車内でのことだった。真冬だというのにイースト・リバーの上に大きな虹がかかった。大切そうにお骨を抱えて助手席に座っていた義母に主人が声をかけた。

「おかあはん、見てみい。虹やで。おとうはんがお礼言うてんのとちゃうか?」

「こんな早うに死んでしもうて」

 車窓を眺めながらそう呟いた義母に主人の弟が、

「おかあはんが大変やから、わしはもう行くわ、ということかもしれへんな。お父さんらしいわあ」

 と笑いかけた。そんな会話を聞きながら虹に向かって手を振った時、ダンディだった義父が「おおきに」と言いながら飄々と七色の階段を駆け上っていく姿を感じたのだった。

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