第2話 80代で義母がNYで俳句を始めるまで

 長年住み慣れたニュージャージ郊外の住宅街を後にして、義母夫婦がマンハッタンのアパートに越してきたのは二〇一三年のことだった。移転を決めたのは義母だった。年齢と共に、庭に鹿が遊びに来る広い邸宅を管理するのが難儀になってきたことに加え、義父の認知症が発覚したことが背景にあった。息子家族も暮らす、車の運転が必要ないマンハッタンで世界最新の医療を夫に受けさせたい、そうした思いがあったのだ。


 石油ショックの年に夫の転勤で渡米して以来、二人の息子を育て上げ、家事を取り仕切ってきた義母は、対外的なことは全て夫任せで、小切手一つ自分で切ったことがなかった。八十歳で大都会に飛び込むや、義母の日常は一変した。夫の病気の進行に伴い、資産管理に遺書の作成、確定申告から夫の病院選びや医療方針の選択まで、ありとあらゆることが義母の肩にのしかかってきたのだ。彼女は、ほとんど息子夫婦に頼ることなく、流暢とはいえない英語を駆使して、慣れないアメリカの制度に立ち向かっていた。


 そんなある日、日系スーパーの片隅に積んであった『週間NY生活』というフリー・ペーパーをもらってきた。なにげにページをめくってみると『北米伊藤園新俳句グランプリ』の受賞作品を紹介した記事を見つけた。ごく普通の日常に絶妙な口語表現で光を当てた現代俳句は、新鮮で思わず顔がほころんだ。これなら、うちにもできるやろか————好奇心から応募してみたのが義母、小松栄子の俳句との出会いであった。

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