第9話 正体


「ゆ、ユーゴ…!?」

「よぉ」


 ユーゴがへらって笑って手を振ってくる。何が何だかわからず、私はただ震える手を握りしめる。一体何が起こっているの?なぜ彼がクロムウェル公爵と我が家へ?王宮の使いって?

 クロムウェル公爵がひとつ咳払いをして、羊皮紙に書かれた内容を読み上げた。


「えー、我が王国は王の名において宣告する。友好国であるハンデンス帝国が第三皇子・ユーゴ皇子と、我が国のアンジェローゼ伯爵家が長女・ヘザー令嬢との婚約を認めるものとする。この宣告以前に行われた、ヘザー令嬢に関するいかなる婚約の取り交わしも、一切無効とする……とのことです」


――なんですって?

 リッチー子爵とトルドーが何かを喚き、父があんぐりと口を開け、母が頬を真っ赤にして口元を手で押さえている。

 ユーゴはきまり悪そうに頭をかいて、「というわけで」と私の足元にひざまずいた。


「私と結婚していただけますか?――冷や飯食いの第三皇子とはいえ、一応皇妃ってことになるし、ハンデンス帝国に来てもらうことになっちゃうけど」


 ユーゴが深紅の瞳で私を見上げながら、手を差し伸べている。何がなんだかわからないし、いきなりハンデンス帝国に来いと言われても困るし、急な展開すぎて頭がついていかない。だけど……――考えるより先に、私は彼の手の上に震える自分の手を重ねて、うなずいていた。


「……はい。謹んでお受けします」


 クロムウェル公爵が、ぱちぱちと小さく拍手をしている。父と母が顔を見合わせて、わけがわからないながらも抱き合って喜んでいるのが見える。

ユーゴが、ほっとした笑顔で立ち上がった。


「あーカユいカユい、似合わないことすると疲れるぜ」

「ちょっとユーゴ……何から何までまったく理解できないのだけど…」


 首元のカラーを外してコキコキと首を鳴らすユーゴに、小声で抗議すると、ユーゴはアハハとごまかすように笑った。


「婚約者がいるからあきらめよーってずっと思ってたけど、最後の最後にカモがネギしょってくるからさぁ。全力で便乗しちゃったよ」

「カモ??ネギ???」


 ますます混乱していると、茫然自失の状態を脱したらしいトルドーが、「ちょっと待てぇぇ!!」と大声を上げた。


 怒りに顔を真っ赤にしたトルドーが、震えながら私とユーゴをにらみつけてくる。


「そんな横暴が通るか!!こちらはもう十年も前から、婚約書を取り交わしているのだぞ!」

「そ、そうだ!」


 リッチー子爵が、慌てて婚約書を取り出して掲げて見せる。両家の印がしっかりと押された、正式な文書だ。


「こちらには正式な婚約書がある!正当な理由がないかぎり、これを破棄することは王家にだって不可能なはずだぞ!!」

「それが、正当な理由があるんだなぁ」


ユーゴがにやりと笑う。クロムウェル公爵が、ひとつため息をついてから後ろを振り返って手招きした。しずしずと部屋へ入ってきたのは、王宮随一と名高いお抱え鑑定士のリーゼ卿だった。輝くような長い銀髪と、理知的なグリーンの瞳、噂に聞いていたとおりのとんでもない美女だ。

見とれる間もなく、白いローブ姿の彼女が優雅にお辞儀をする。


「王宮鑑定士のリーゼと申しますわ。これより、ヘザー嬢の鑑定を行わせていただきます」


 言うが早いか、リーゼ卿が私へ向かって両手を差し出す。その指先から、白くあたたかな光が溢れて、私を包み込んだ。

――鑑定されてるみたいだけど……これってあまり意味がないのでは……。


 処女膜は魔法で回復したはずだ。不安になってユーゴを見ると、彼は自信ありげな表情で腕を組んで、うなずいて見せる。――もしかして、ユーゴのやつ…。


 次の瞬間、私の体をまとう光がピンク色に変わり、すっとユーゴのほうへ光の向きが変わった。リーゼ卿が、にっこりと微笑んだ。


「ヘザー令嬢は、すでに処女膜を消失していらっしゃいますわ。ついでに申し上げると、そのお相手はユーゴ皇子にほかなりません」

「あ、ちなみに、伯爵の借金は俺が立て替えるのでご心配なく」


そのあとは、もう大変だった。

リッチー子爵が青筋を立てて喚きたて、トルドーは床に倒れこんで号泣し、子爵夫人は金切り声をあげて何か叫んだあと気絶していた。父と母は今までとは違う意味で顔を赤らめて、「なんて醜態だ」とか「でも結果的には良かった」とか「なんてはしたない」とか「でも本当に良かった」とか、笑ったり怒ったりせわしない。

唯一冷静なクロムウェル公爵がてきぱきと指示を出して、彼の部下らしき騎士たちがリッチー家の三人をほとんど首根っこを掴むようにして、強引に連れ出していった。


その姿を見届けると、クロムウェル公爵は、はぁと大きくため息をついて、ユーゴの背中に小さく膝蹴りを入れた。


「まったく、深夜に突然飛び込んできたかと思えば、とんでもないこと手伝わせやがって」

「いやーこういうときに、親戚のありがたみを感じるなぁ」

「俺がどれだけ国王陛下に頭を下げたと思う?」

「だから、助かったってば」


 ユーゴがまったく悪びれずにケタケタ笑う。そこでようやく私は思い出した……――ユリが2本絡まった家紋――クロムウェル公爵家の家紋だ……!


「お、お二人はどういう関係で…?」


 おそるおそる口を挟むと、クロムウェル公爵がにっこりと微笑んだ。


「非常に不本意ながら、私の母と、帝国の皇帝陛下に嫁いだユーゴの母君が、姉妹という関係なのです」

「つまり従兄弟ってこと」

「……なるほど…」


 ってことは、私、筆頭公爵家の邸宅を逢引きの場にお借りしてしまったということなのね……。今さらながら、背筋が凍る思いだ。感激の涙を流している両親には、絶対に言えない。

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