第18話


 逗子にある海の見えるコテージは古いながらもモダンな造りだ。翔平の母が最愛の息子と一緒に、ひっそりと暮らしていた家だった。翔平の父は、本妻にも認めさせていた、切れない仲の妾がいて、その女性が翔平の母だった。彼女は完璧に援助されていたので、働く必要はなかったが、きちんと町工場で事務の仕事をしていた。学歴こそ高くなかったが、気立てはよく、その容姿は誰もが認めるほど美しかった。翔平は母親に似ている。父の本妻は、彼女を憎むどころか、男子を生んでくれて嬉しいとまで思うほど許していた。自分が至らないからというよりも、政略結婚だったために、本物の恋人を足蹴にできないという、不思議なほど優しい女性なのかもしれない。もしくは、自分たちの愛よりも生活を大事にするだけで、完璧に夫に冷めているか・・・? 本妻には他に逢引するような男はいない。翔平の父を含め、義母と家族はこの素敵なコテージを一切使わない。翔平の母がなくなってからコテージは翔平の名義になっている。翔平が勝手に使い、週に3回、家政婦が掃除や玄関前の草むしり、芝刈りをして、全面的に管理しているだけだ。翔平は女友達を連れてきたことも一切なかった。 それにしても明治や大正の家系重視な世の中じゃないのに、こんなに不思議な家族がいる事自体が信じがたかったが、当然の権利を得るということで揉めていないというところも信じられなかった。翔平の母は、愛してくれたら、それだけでいいと口癖にしていたようだ。父親も、多分、彼女を本妻として迎えたいのは山々だったようだ。。。それでも本妻とは仲が良いという事実もあり、複雑だが、男児を生むということがいかに重要だったか、当時の暗黙の了解を叩きつけられた。多分、翔平の父は、立場と財力を使えば傲慢なやり口で、何でもできたはずなのに、彼はそれをしなかった。翔平の母が愛した男は、そういう人間だった。


 2階の海しか見えない側の部屋は、大きな居間と大きなベッドルームがある。ベッドルームはオン・スィートがついているが、バスタブだけはベッドルームの窓の傍に別に置かれていた。猫足の着いた洋風の大きなバスタブだ。海を見ながら湯舟につかれる。温泉とまではいかないが良い気分になれる。バスルームはドアがあって、シャワーとトイレがある。大きな窓の横からベランダに出られる。 子供の頃の翔平の部屋は1階の庭に面した部屋で、隣接する家々はまったくない。だから、トランペットの練習には最適だった。 通いの家政婦は、翔平の母親の生前から働いていて、翔平のことを『坊っちゃん』と呼ぶのを止めない。庭師は彼女の夫で、綺麗に手入れしている。壮年の夫婦は、翔平の母を実の娘のように扱い、愛でていた。愛人として扱われているのは百も承知だったが、相手が如何に愛情を持って彼女に接しているのかがよく分かったからだ。翔平の母は、普段から優しい雰囲気の女性だったが、儚いという表現がぴったりで、肌は白く、透き通るようだった。そんな彼女に、いきなり口内炎ができて、何も食べられないと言い出し、衰弱し始めたので、急遽、点滴のために入院することになった。耳鼻咽喉科の医者は、自分では手に負えないと言い出した。急性白血病だった。翔平は、唯一の身内だったので、すぐに血液を調べた。残念なことに完全な適合者ではなかった。ただし、血液型は同じだったことと、年齢よりも芽体が大きいので、彼の限界までの輸血を母に施した。 隣のベッドで輸血された母親は、ほんのりと顔色が良くなるのが分かった。そして、何度も何度も『ありがとう、翔ちゃん』と涙を流しながら言ってくるのだった。限界近い献血のせいで、足元がふらつくこともあった翔平は、母を失いたくなくて必死だった。最終的に血小板を分離させて輸血し、それ以外を翔平に戻すという荒業も行われた。そんな彼の願いも虚しく、たった2ヶ月で亡くなってしまった。 翔平は途方に暮れた。。。家政婦の嶋田さんに抱きつき、号泣したのだった。

 あっけない。。。あまりにもあっけなく最愛だった母親はいなくなってしまった。。。父親が毎日見舞いに来ていたことは知っていたが、時間帯の違いもあってなかなか会えなかった。亡くなった日には、やっと翔平に話しかけてきた。家政婦さんに促されて、父親と話すことになった。


「翔平、私と一緒に暮らそう。もう準備は整えてある。家族のみんなが歓迎すると言っているから。」


「俺は、あの家を離れたくない。母さんと過ごした家はなくしたくない。」


「もちろんだよ、あの家は君の家として名義変更することになった。家政婦さんも庭師さんも、そのまま働いて貰う。お母さんのお墓も逗子に建てるから、心配しないでいいよ。お墓も庭師さんが、手入れしてくださるそうだから。 翔平は、とにかく学業が終わるまで我が家で過ごそう。 私の目が届くところにいてほしいんだ。大学生になったら独立しても良いし、逗子の家から通える大学もあるかも知れない。君のやりたい学科のある大学を見つけなくちゃね。金銭的なことは、全く気にしなくてもいい。君のお母さんにしてあげられなかったことがあまりにもたくさんある。せめてもの償いかもしれない。どうか、受けて欲しい。」


 そうやって、翔平は、このモダンで大きなコテージを受け継ぎ、気の向いた時に帰ってきて生活している。高校の頃までは、父の住んでいる家に引き取られていたから、ここには時に地獄のような現実から逃げるようにして帰って来たものだった。

その他は主に音楽を聞きながらトランペットの練習をするときだ。オーディオルームは、翔平の好みにできている。翔平の父親は、翔平が欲しいものはすべて与えている感じだった。大きな罪悪感がそうさせているのか?? 翔平はどうでもいいと思っていた。それでも友達も女も連れてきたことがない。翔平だけの思い出と想像と慰めの場所だと言える。


「俺が視覚できる本物の『愛』は、ここで観られなくちゃ、本物じゃない。小さなキャンドルライトから、空が藍色からドーンの群青に、そしてセルリアンブルーが連れて来る眩しい太陽の光が見えるバックグラウンドで。。。または茜色に染まっても良い、きっとその日は雨になるという証なのだし、高い湿度からの潤いが部屋中に広がるだろう。本物の愛が観られることが俺の望みなんだ。。。あの2人なら観せてくれる、俺の知らない、本物を。。。杏子と賢三は、ここに招待しよう。」


 杏子は会社でも忙しい日々を送っていた。京介は相変わらず杏子がお気に入りだったが、すでに会社の誰もが賢三の存在を知っていて、無駄なチャレンジだという噂は、すでに笑い話の域だった。高スペックでイケメンな京介が、徹底的に振られてしまったことは、他部署でも有名だった。


「ねぇ、杏子は次の連休はどうするの? なにか予定あるの? ストンプに賢三くんのバンドが出るとかない? また観に行きたいなぁ〜って思ってるんだけど。。。」


「確かもうすぐ出ると思う。。。でも、連休のときじゃないかも。少しあとに賢三ったら教育実習も控えてて、なんか、ちょっと焦ってる感じもある。。。(笑) 笑っちゃうでしょ? 賢三は先生になりたいの。 でも、すっごく合ってる気がして。。。」


「へぇー! 先生か。。。たしかに合っているかも知れない。高校の先生でしょ? 彼はモテるぞ〜〜! 男子からも。。。」


「実習は多分、中学校だと思うの。出身校にお願いしているみたい。確かに人気者になりそうだわ。。。(笑)」


「そう言えば私も一応教育課程取って、実習に行ったことあるの。 面白かったよ。 他にも数人いたけど、やっぱり若い男の先生はモテる。ちょっぴり大人のお兄さんで、男子よりも成熟が早い女子は夢中になるよね。」


「まぁ、賢三は人誑しだから、男女問わずかもしれない。。。彼の良い影響を与えて欲しいな。。。彼みたいな人間って、もっといてほしいもの。ま、私のダーリンさ!」


「ひぇ~〜! 杏子が惚気けるて、珍しいわ。。。 それって、もしかして心配してるってこと?? 思春期の子たちって、時に大胆だったりするしね。でも、賢三くんって、最初に既婚者だって言いそうだわ。するとね、少なくとも9割型の子は、一気に冷めるのよ。だから大丈夫よ!」


「そうか、私もそういう気持ちになるようになったんだ。。。成長よね。。。」


「翔平くんは?その後もかなり押してくるの? 彼は諦めないよね、コバンザメ。。。京介も真っ青よ。。。 クリスでさえ、外人なのにびっくりしてたもの。」


「翔平は、私にとっても血を分けた感じがするような不思議な子。アメリカにいた頃の亡くなった親友に重なっちゃって。。。救わなくちゃって。。。薬もお酒も上手に断つこと。。。それができて、彼は初めて本物の恋ができるんじゃないかなと。。。彼には美津子さんというお母さんがいて、私という双子の姉がいるんじゃないかなと。。。でもね、彼が欲しいのは本当は賢三なのよ。。。ゲイの恋愛的な意味じゃなくて賢三の精神と気質。。。憧れているんだと思うの。」


「なるほどね。。。音楽家としても、それはあるのかも知れない。 ちょっとわかる気がするわ。」


「どちらにしても、たまには素でストンプに行こうよ。いつものようにカウンティング・スターを経由して。賢三が出演しなくてもいいじゃない?」

そう言っていた時に、杏子は飲んでいたお茶のボトルを落としてしまった。


「ねぇ、この前もコーヒーのカップ落としてたでしょ? 腱鞘炎じゃないの? タイピング早いし。。。」


「そうかもしれない、なんだかね。。。お祖母ちゃんよりも先に関節炎になりそう。。。真剣にサプリでも摂ろうかな。。。」



 仲良しといっしょに行く横須賀は杏子の気分を高揚させた。2週間の教育実習を控えた賢三は、他のバイトさんに負担もかかる事もあり、できる限りしっかりと働いていた。 杏子にとっては賢三と付き合いたての頃の、カレカノだった頃のワクワク感も思い出せた。 遠目に見える、黒シャツに黒エプロンの賢三は、何故かやけにセクシーに見える。


「おやおや?? ディーヴァは賢三くんを惚れ直している感じですね? あなた達は本当に何年経っても新婚さんのような目で見つめ合う感じ。僕たちも習わないとね、みどり子。」


「そうよね! この林夫妻は、なぜかベタベタしないのに絶対的なカップル感が漂うのよね。翔平くんが一生懸命にコバンザメとかイソギンチャクになりきって、ディーヴァに寄り添ってても、覆せない夫婦の絆だわ!」


「いらっしゃいませー! みどり子さんとクリス、久しぶりじゃない? 今日のストンプもけっこう良いバンド出ますよ!俺も行けるから、向こうで少し飲みましょうね! 腹ごしらえはここで!  杏子、美津子さんが話したいって言ってたよ。」


 「美津子さん、ご無沙汰!」


「あぁ、杏子ちゃん!会いたかったんだ。元気そうね? どう? うちの息子も元気かしら?」


「翔平のこと? もうしっかり息子なのね?(笑)元気みたいですよ。今のところ、コークなどからは切れているような感じだけど、、、お酒がね。。。」


「お酒もなんとかしたいよね。。。今日のバンド、翔平くんをトランペットで入れていると思うよ。賢三くん、言ってなかった?」


「ううん、言ってなかった。珍しく忘れちゃってるのかしら? 」


「きっと杏子ちゃん見つけたら,また引っ着いてくるだろうな。。。でも、確実に良い演奏になるわ。 悪いね、杏子ちゃん。もうちょっとだと思う。最近は、まぁ、杏子ちゃんを見つけてからはという方が当たりなんだけど、女遊びもしてないらしいのよ。引く手あまたで言い寄られているらしいけど、相手にしてないみたいね。」


「恋ができるような子と巡り逢えれば良いんだけどな。。。学校でもダメなのかしら。。。?? 酒かな?」


「とにかく後で私もストンプに行くわ。約束してるからね、息子と。。。(笑)」


 食事の後、賢三も含めた杏子たちはストンプに向かうと、翔平がすでにステージ脇にいた。すかさず杏子を見つけた彼は飛び出してきて、杏子にしがみついた。


「杏子ちゃん、来ると思ってなかったから、すっごく嬉しい。すっごく。」


「おい!ステージに戻れよ。全く、オマエはさぁ。。。フクロウの目持ってるんだな。。。この暗さで杏子がわかるなんてな。。。」


「杏子ちゃんは、どこにいてもわかるさ。必ず見つけられる。」


「翔平・・・いい子にしてたの? 今日はお酒のんでない? 」


「酒? ほんのちょっとね。。。モチベ上げるためにちょっと飲んだんだ。バーボン。。。 賢三から聞いてくれた? 次の連休のこと。。。」


「え? まだ何も聞いてないけど。。。」


「2人に俺の家に来てもらおうと思っているんだ。 賢三は良いって言ってくれたよ。」


「賢三が?? ほんとに??」


「うん、、、ごめん杏子、、、まだ話せてなかったね。。。 良かったかな??」


「あぁ、、うん、大丈夫だけど。。。うん、分かったわ。 翔平、じゃ、連休はよろしくね。」


「あぁ、良かった。。。夢が叶うんだ。。。だから今日はハグさせてね。」


 翔平はその場にいた人たちが杏子こそが彼の彼女だろうと勘違いするような、愛情がこもったハグをした。その日の演奏は、バンドの人達が翔平の心理状態を若干心配したのが嘘のようなトランペットに誰もが満足そうだった。賢三は、その理由が明白だったことに、やや不服そうだったが。。。 賢三は少しだけ不安もあった。。。連休に翔平の家に行くということは、大切な夫婦の秘め事を、翔平に見せるという約束を果たすことだからだ。 秘め事?? いや、杏子さえ心の準備ができているなら、堂々と自分の伴侶の美しさを、夫婦の絆を、あからさまに翔平に見せつけることは、ある意味快感かも知れない。


 杏子と賢三は車でやってきた。住所をカーナビに入れて、そのまま走らせたが、高台に向けて木立のきれいな道路は、洗練された場所だったが、家は1軒も見えない。それでもカーナビの示すとおりに進めていると、やがて、モダンな感じのコテージが見えてきた。かなり大きい。 門扉には『Otani』というローマ字の表札があった。


「杏子、ここらしい。。。カッコいいな。。。インターホン押してみるよ。」


「はい。賢三?? 門を開けるから車付まで入って来ていいよ。 家政婦さんと庭師さんがいるから玄関に入れてもらって。」


 車を進めると、壮年の人の良さそうな夫婦らしき人たちが立っていた。


「こんにちは。翔平くんの友人で、林と言います。 こっちは妻の杏子です。」


「ハイ、お待ちしておりました林様。 坊っちゃんのお友達は初めてなんで、私達も嬉しくて。」


「そうなんですか? バンド仲間です。 あいつ、坊っちゃんなんですか? 笑っちゃいそうですよ!(爆笑)」


 賢三は持ち前の無意識な人誑しが始まっていた。家政婦さんと庭師さんは嶋田夫妻、楽しそうに賢三の話を聞いている。杏子は車を降りて、庭を見せてもらうことにした。海の見える方に行くと、絶景が見えた。遠くで貨物船が見えた気がした。横須賀に向かっているのだろう。翔平はここは週末がメインで、気が向いたら平日でもトランペットを持って来て、練習すると言っていた。普段は大学の近くのマンションで暮らしている。そこも親から借りていると言っていた。


「杏子ちゃん、いらっしゃい。海を見てたの?」


翔平が駆け寄ってきて、抱きついた。杏子は拒否しなかった。 どうやら酒は飲んでいないらしい。翔平の体臭に混ざって良い香りがする。翔平に合っていると思った。アリュールかな? 賢三とは違うもので良かった。。。


「素敵なコテージね。お招きくださって、ありがとう。どう、いい子にしてた? 」


「うん、今の自分が何を求めているかが分かってきたから、ずいぶん穏やかになれるようになった。離さなければいけない現実を目に焼き付けられたら。。。それだけでいいと思えるようになってきた。どうしても手に入らないって分かったから、せめて、なぜ手に入らないのかが少しでも理解できるようになりたくて。。。 確認したくて。。。 ねぇ、本当に手に入らないんだよね? どうしてもダメなのかな?」


「私には唯一無二な人がいるの。離したくない人なの。私は1人しか愛せない。それまでに沢山の大切なものをなくしてきたけど、その人が見つかって、それまでの悲しさってどんどん消えていってくれたの。 翔平にも見つかるかもよ。」


翔平は杏子を後ろから抱きしめて、彼女の首から肩にかけて顔を埋めた。 あぁ、このまま何処かに連れて行ってしまいたい。。。という衝動に駆られる。杏子は、翔平がそれをできないことが十分に分かっていた。彼女は目を瞑っていた。


「さ、翔平、家の中を見せて。素敵な家ね。一人で過ごすにはもったいないわね。。。」


「中学2年まで、母さんが一緒に住んでいたんだ。そう、彼女が死んでしまうまで。。。」


杏子は何か掴めたような気がした。2人は家の中に歩を進めていった。 同じ頃、賢三は家政婦と庭師の嶋田夫妻から、翔平の母のことを聞いた。美しい人だったこと、働き者で、人に優しかったこと。。。翔平を心から愛してたことなど。。。更には父親も翔平の母を愛し、翔平のことも大切にしていたと。。。 賢三にとっては、あまりにも複雑な事情と残酷な物語だと思った。自分は賑やかで情の深い家庭で育ったことを感謝したい。それでも、杏子は渡すつもりはない。


 翔平の母も音楽は好きだったようで、各ベッドルームにも考えられた上質のオーディオ・システムが施されていた。各部屋で別々の音楽が流されても邪魔にならないようにしっかりと防音も施され、部屋で過ごしやすくなっている。

 翔平は、島田夫妻に、一緒に食事して行ってほしいと促し、賢三は歓迎して、食事の支度を手伝うことにした。杏子は庭師の嶋田さんの方と木々の手入れなどを聞いていた。翔平は杏子の隣で、彼女の手を触っていた。庭師の嶋田さんは、目のやり場に困っていたが、賢三が先程、こういう状況になっても仕方がないことを話してあったために、止めに入ったりしなかった。 賢三と家政婦の嶋田さんは、キッチンで色々と食事の下ごしらえをしていたが、嶋田さんは、翔平のことをかばいながら、賢三に許しを乞うような口調だった。賢三は、彼を助けるためにこうしていることを小声で、説明した。嶋田さんは、涙を浮かべながら、翔平が薬から完全に離脱できることを願って、賢三の協力に感謝している。


 「それでは私達は、また連休明けに参りますが、すれ違いになるかと思いますので、お帰りはどうかお気をつけて。林さんご夫妻にお目にかかれて、本当に嬉しかったです。またお越しくださると信じてますよ! あと、坊っちゃん、どうかお酒は控えめになさってくださいね。」


「また、必ず訪ねますからね。今度は、ご主人と酒飲めるように、おばちゃんが運転して帰ってくださいね。(笑)」


「相変わらず賢三は人誑しよね。すっかり仲良し?」


「そう、おばちゃんと電番交換しちゃったぜ! 2人共スマホ持ってるんだよな! 最近のじいちゃん&ばあちゃんはすごいぜ。」


「嶋田さんたち、オマエと連絡取るって? (笑) そうか、これで少しは安心したかな。。。 あの2人は、俺がボッチまっしぐらだと思っているんだ。。。ま、間違ってはいないけどな。 彼女ができても連れてきたことがなかったし。あの2人には、遊びだとバレバレだったんだ。本物の祖父母みたいなもんだしな。。。 賢三は良いな、杏子ちゃんのじいちゃん&ばあちゃんとも仲良しだし、血のつながった家族もそばにいて、楽しくやっているんだろ? オマエが器用なのかな? 国宝級の人誑しだと一ノ瀬が言ってた。」


「苦手な人間もいるさ。。。でも、反発し合ったって、なんの特にもならない。良いところを見つけあったほうが建設的だと思わないか? ま、無駄を省いてもいいけどな。(笑) さてと、杏子も俺もシャワー借りる。余分なシーツ2枚用意してくれたか? 俺達少し踊るし。」


「うん、バスルームに入れてあるよ。で、踊るの?? 音楽は何?」


「私2人の女性シンガーのアルバム持ってきたんだけどね、どっちにしようかな。。。ボサノヴァっぽいのにして、ちょっと軽いチャチャチャでも踊ろうかな。。。 翔平はそこのシングルソファに座っているわけね? トランペット、磨くの?」


「俺のトランペット、お気に入りのMARTIN(マーチン)をね、ピカピカにしようと思って。。。音は出さないよ。触っていたいんだ。。。」


 シャワーが終わった杏子と賢三は、柔らかなシーツをローマ彫刻のように体にまとっていた。所々にまとめて置いたティーライトが柔らかい光を演出して、白いシーツをまとった2人を照らして幻想的で綺麗だ。杏子がかけた曲は『Every second』 ボサノヴァの明るくて軽快な曲に気だるいヴォーカルが心地よい。杏子のヴォーカルとは全く違った感じで、杏子はすごく嬉しそうだ。この2人はダンスを習ったわけでもないのに、ラテンダンスの基礎が分かっていた。語りかけるような気だるいヴォーカルで、裸足の2人は軽いステップを続けている。楽しそうに踊る2人。性交を掻き立てるようなドロドロで官能的な音楽はたくさんあるが、敢えて、透き通るような優しさを持つ曲たちを選んだ2人は、もう完全に2人だけの世界に入っていった。その光景は翔平に何も考える余白を与えず、彼はすでに、この2人に目を奪われていた。 自分は主役ではない。。。ここから観てるだけ。。。でも、だからこそ2人を同時に観られるんだ。自分なら、杏子をどう扱うだろう? 彼女の肌はどんな温かさなの? あんなに優しく俺の目を見ながら微笑んでくれたこと、あったっけ? 


 軽やかに踊っていた2人は足を止めて、小声で話をしながらペッキングを始めた。聞こえない。。。なにか話しているのに聞こえない。。。満足げな2人の視線はお互いの目に注がれている。でも会話は聞こえないんだ。。。ねぇ、何を話しているの?
 賢三はあくまでも優しく、杏子が愛おしいという表情は輝いて見えるようだ。賢三はサックスプレイヤーとして最適な長く、繊細な指を持ってている。その指が杏子のまとっていたシーツを上手に払い避けた。キャンドルライトに淡く照らされた杏子の裸体は美しかった。杏子も賢三の肩に触れ、挟んであったシーツの端を解き、ハラリと床に落とした。適度に鍛えられたマスキュランな賢三の体も美しく、2人は、ちょうどロダンの男女の人体彫刻そのもののように見える。フェミニンな杏子の裸体に対して、キャンドルライトでもわかる賢三の堂々とした筋肉質な体。これは美術学科の人間が観たら、すぐにクロッキーが始まるだろうと翔平は思った。音楽と相まって軽やかで透明感がある。


 2人はゆっくりと大きなベッドの上に横たわった。賢三はその繊細で長い指と舌で、ゆっくりと優しく杏子の体をなぞり始めた。指先からゆっくりと脇にかけて唇と舌で柔らかに。。。更には、杏子の乳房に届く。杏子は唇の口角を上げて、優しく吐息を漏らす。時々賢三は顔を上げて杏子の顔を見る。その時2人は同時に微笑み合う。2人共に潤んだ瞳が輝いている。翔平は知っている、子供が欲しい彼らは避妊しないことを。本物の愛の行為が始まるのだと。

 

 翔平は目が離せなかった。今までの人生で、どれだけ沢山の濡れ場のある映画やアダルトビデオを観てきただろう。。。そして、自分自身の経験も重なるようにしてきた。来る者拒まずに貪るように女を抱きつくした時期もあった。薬に溺れた頃など、その効果が200%に発揮されるのがセックスだ。何度でもオーガズムを迎えられる。でも、そのたびに眉間にシワを寄せて、苦痛に満ちているような、それでも官能的な表情が出てくる。そんなセックスの後は異常に疲れる。暫くの間、ボーっとする。漫画などで言われる『賢者タイム』である。その時、相手の女のことなど考えていないのが常だった。 でも、目に前のこの2人はぜんぜん違う。彼らの表情は『喜び』なのだ。

 賢三は指と舌で、足先から太ももをなぞる。そして、指先と舌が杏子の柔らかく潤んだ瑞々しい性器に達すると、杏子の甘美な、ため息交じりの声が聞こえる。賢三の体は汗でしっとりと輝いている。2人が重なり合った、その画は、観ているだけで陶酔できるほど美しい。翔平はその様を自分のトランペットに映してみた。磨き上げた銀色のトランペットのベル部分に美しい杏子と賢三の裸体が映り込んでいる。彼らが繋がれ、一体化して動く様子がしっかりとトランペットに刻み込まれたように見えた。直接見るよりもセクシーだと感じた。自分が触れることができない温かさと柔らかさ、自分が与えることがない歓喜、彼女自身の表現にピッタリの香水と混ざった彼女そのものの甘い体臭、気だるいボサノヴァのサウンドと彼女の吐息と漏れる小声。そのすべてを与え続ける自分のライバルであり唯一心許せる友。。。トランペットに映り出された2人を見つめて、これまで感じたことがあるとは思えないような絶頂のオーガズムを得た翔平は、ごく自然に射精してしまった。。。その後、涙が止め処なく溢れてきた。。。それは悲しい涙ではなく、感動の涙だと翔平は自覚した。 窓から見える景色は薄明るく、朝日の訪れを予感させ、それを背景にした杏子と賢三の影絵が、あまりにも美しかった。

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