第14話
「美津子さん、昨日はすみませんでした。お言葉に甘えて翔平を置いていっちゃいましたけど、その後どうでしたか?」
「賢三くん、翔平くんは実はまだ奥で寝てるの。どんな人間でも、泣くと疲れるのよ。それに無理に帰して一人にさせないほうが賢明かと思ってね。。。マスターが一時、腕を縛って柱に繋いでおいた。。。自虐的になりそうだったし。。。杏子ちゃんに言われてたからね。全く、彼女は物知りだわ。 私達も場所柄、よくあることなので対処の仕方とか心得てたつもりだったけど、杏子ちゃんのは的確。治してあげたいという気持ちがないと、なかなか親身になれないのよね。杏子ちゃんにとって、翔平くんは賢三くんの良きバンド仲間で、支え合ってるって分かるんじゃない? マスターが介護しながら色々と話してあげてたわ。十分に杏子ちゃんは賢三のものだということを理解させてたよ。」
「あぁ、あいつ、杏子が欲しくてしょうがないんですよ。俺、いつかマジギレしそうだったんですよね。。。とんでもない性癖みたい。。。人妻好きで、前にも数回問題起こしてるから。。。」
「マスターがその辺しっかりと杭を打った感じだと思う。どちらにしても、杏子ちゃん自身が相手にしないからね。それは翔平くんにとっては落ち込むだろうけど、当然理解できるはずだと思うよ。ま、奥に行って話してきたら? アレはすでに抜けていると思う。ちょっと苦しそうだったけど、マスターも良くわかってたし、チョコレートは効果十分だった。 仕事の方は今日は夕方まで大丈夫だからたくさん話してあげて。」
「じゃ、奥の居間、行かせてもらいますね。」
賢三はマスター夫婦の自宅の居間に向かって行った。翔平の家庭環境や過去を全く知らないから、あの号泣にはどんな意味があるか、聞かせてほしいと思っている。 部屋の中に入ると、柱にもたれかかった翔平がいた。もう腕は縛られてはいなかったが、くっきりとした跡がわかった。けっこう暴れたらしい。マスターはきっちりとジムで鍛えているから細身だけど、力は強くてよかった。
「おい、翔平。どう?少し楽になったか?」
「あぁ、マスターには迷惑かけちゃったよ。ここまでイカれちゃうの、初めてだった。昨日の賢三とのセッションが、ラリった上での偽物とは思わないで欲しい。ちゃんとできたつもりだ。杏子さんのことは本気で好きだ。だからちゃんとできたんだ。でも、もう諦めるよ。彼女はお前から離れないし、俺はお前に勝てない。。。マスターから沢山のエピソードを聞いた。もう邪魔もしないよ。杏子さんが認めたお前の魅力って、真似できない。お前は恵まれているんだな。羨ましいよ。」
「やっと分かってもらえてよかった。杏子だって、お前に冷たくするのは彼女の性には合わないんだ。あけっぴろげな性格だけど、人間関係では人並み以上に苦労した経験があるしな。。。 何と言っても俺達愛し合ってるし、そればっかりは他の誰も入り込めないんだよ。 おまえも、そこまで愛し合える人と巡りあってほしいよ。」
「ははは、そればっかりは努力して叶えられるものじゃないしな。。。でも、出会いは一つ一つ大切にするよ。」
「翔平、話しにくかったら話さなくていいけど、お前の家庭環境とか、今までどんなことをしてきたか、俺に話してくれよ。 お前のこと、ちゃんと理解したいんだ。」
「そうだったな。。。誰かにそういうことを話す機会って、なかったし。。。俺、今までの人生でそれを語ったことってない。そこまで信頼できる人間に出会ってなかったというのもあるけどな。。。賢三、お前なら話しても良いかもしれないって思えるよ。 何から話そうかな。。。 まず、俺はさ、親父の、所謂『妾腹の子』ってやつなんだ。本妻には女の子供しかいなくて、親父は俺のことを大層かわいがってくれたよ。本妻も、俺を嫌がることがなかった。まぁ、中学2年まで逢ったことなんてなかったけどね。中2のときに俺の母親が、急性白血病で、発病からたった2ヶ月で亡くなってしまったんだ。。。親父は会社を経営してるから金はあったので、母親の病気を知って手を尽くしてくれた。。。でも、ダメだった。俺には身寄りがなかったから、どうしようかと思ったけど、親父はすんなりと引き取ってくれた。最初から父親であると認知はしていたからね。
引き取られた先には姉に当たる2人がいた。高3と高1。どちらも優しかった。高1の姉には彼氏がいて、いつも仲良く連れ添っていた。高3の姉は真面目そうに見えるのに、真逆だった。彼氏はとっかえひっかえで、安定しなかったんだ。 俺は中2の夏過ぎたら、身体的にいきなり成長した。成長痛っていうのが出るくらい、身長が伸びた。その後もとどまるところを知らないくらい伸び続けて、冬にはすでに180cmにまでなってた。その頃から、高3の姉が毎晩俺の部屋に来たんだ。『良いことを教えてあげるから』ってね。。。最初は驚いたけど、すぐに拒まなくなった。でも、流石に面倒になった。俺はすでにトランペットを与えられてて、習いに行ってたから、わざと遅く帰ったりした。学校でも彼女ができたし、高3の姉にもそれを話した。もう、部屋に来ないでくれってね。せせら笑われた。。。 ヤバいと思ったから、最強の手段を取った。義母に話したんだ。毎晩俺の部屋に来て、体を触るってね。もっとすごいことしてるのに、柔らかく話しを繕った。流石にショックだったらしい。義姉は寄宿舎のある女子大に進学をすることになった。本人は誤解してるのだと抵抗したが、親たちは許さなかった。多分それまでもそういう性癖があることを親は知ってたのだと思う。下の義姉は、不愉快そうにしていたが、俺のことには同情してくれたようだった。俺は本気で困ってたわけではなかったのにな。。。良いはけ口で、色々と試させてくれたし。。。ただ、彼女のことは好きじゃなかったんだ。全く俺の好みの女じゃなかったからかもしれない。 それでも気持ちはいいからされるままになってただけだったんだ。俺の部屋のドアには鍵が付けられた。それ以降は、夜這いはなかった。そのうち春が来て上の義姉は家を出て寄宿舎に行った。俺は高校に入って、女遊びにハマっていった。トランペットを吹いてると、自然と女生徒が集まってきたんだ。誘われれば嫌とは言わなかった。良い女だなと思えば、ちょっとちょっかい出してみると、すぐ手に入ったし、勝手に来るんだしな。
ジャズ、中3のときはたくさんレコードを買ってもらった。 上の義姉のことで親父も義母も異常なくらい俺を憐れんだみたいだったから、レコードが欲しいと言えばすんなりと買ってくれた。 そんな生活が続いたけど、トランペットだけは本気で好きで続けたんだ。しっかりと習いに行ったし、音楽大学に入って専門にやりたいと思うようになり、芸大がいいと思った。流石に2浪したときは親たちは私立じゃ嫌か?と聞いてきた。俺はその頃から難関突破の快感を覚えたんだ。だから良い女は人妻でも奪いたいと思ったら、それを実行しようとするようになった。 賢三の杏子さんもそうなんだけど、愛されている女って、物凄く綺麗なんだよ。色っぽいのは亭主がいるからなんだろうな。性的に満たされているんだろ。。。だから凄く綺麗なんだ。耳元でささやきたくなるような感じ。。。それで、囁いてみると、みんな俺に寝返った。結果、バレて、旦那に殴られたり、蹴られたり。。。でも、それって、そいつらの貞操感のない女房のせいだろう?? 言っておくが、手に入らなかったのは、見事に杏子さんだけだ。 賢三、お前は愛されているんだな。
とにかくいろいろな女と付き合った。横須賀の米軍基地に出入りしてる女と付き合った時に、薬をもらうようになった。すべて米軍からだよ。今回のコークも、久しぶりに会った彼女からもらった。俺のことをヤング・ジゴロって呼ぶんだよな。。。 そんなこんなで、俺って、心底愛されたっていう記憶は遠い、実の母親からはあったと思う、その頃の俺は子供だったから、当然母親が好きだった。親父と会っているときの母さんは綺麗だった。。。 多分、そこが人妻が好きという部分を作った気がするんだ。愛されてて、自分も相手を愛してるっていう確信がある生活している女って、美しい。もう、表情が違うんだよ。満たされているのが透けて見える。杏子さんは、それにプラスして、強さと憂いを兼ね備えている表情なんだ。賢三を探しているとき、見つけたとき、その表情はさ、もう、ギュッと抱きしめてみたくなるんだ。 お前はその顔を向けられてばかりいるから他の表情と比べることがないだろうから、分かりにくいかもしれないな。。。お前の奥さんは美しいよ。 ま、心配するな、もう諦めたから。。。好きだからこそ彼女を不幸にしたくないし、曇った顔をしてほしくないから。。。もしもお前が捨てるなら俺の前で捨ててくれ。(笑)掻い摘んだだけで、沢山短縮したけど、こんな感じさ。」
「なんか、すごいこと話してくれた感じする。。。翔平は、苦労したな。。。偏った愛情に囲まれて育ったんだな。。。自分ではどうにもならない時があったろうと思うよ。相談できるような友達も、いなかったみたいだし、トランペットとジャズに出会って良かったな。 まぁ、それでも自慢できるような性癖じゃないが、杏子が美しいと感じたことは間違ってない。杏子と俺は運命で出会ったから、たとえお前が先に杏子に逢ってたとしても、彼女は恋には落ちなかったさ。 杏子は『強い男』が好きなんだ。喧嘩が強いんじゃなくて、どんなことにも動じなかったり流されない強さのこと。俺もまだ発展途上よ。無理はしないつもりだけど、杏子に嫌われるような男にはなりたくないんだ。。。
お前も本気で惚れた人と出会って、付き合えるようになったら感性が変わり、お前自身が美しい人間になれるさ。うわべだけならすぐにでも付き合いたい人はできるだろうけど、ストーンと落とされる感覚を味わわせてくれるような人なら、それが本物だと思う。簡単じゃないと思うよ。俺の場合は偶然が重なったけど、お互いが引き寄せられた感覚を味わった気がする。
言っておくが、人妻は止めろ。崩壊寸前な夫婦なら、それはきっと感覚でわかる。それなら止めないけど、今までは快感だった、引き剥がしてまでゲットするというのは、俺にはわからない感覚だけど、多分、お互いを傷つける。憧れで止めておくほうが、思いをトランペットに注げると思う。 悪いが、お前は俺の惚気は一生聞き続けることになるがな。(爆笑)」
「一生友達でいてくれるってことか?」
「当たり前だ。ただし、ジャズバンドを組むのは、臨時のセッションバンド以外、今のバンドから先はないと思う。ジャズマンのしきたりみたいなもんだからな。だから長く付き合える。大学にいる間は、今のバンドでがんばろうぜ!」
翔平は、もう一晩泊まっていくことになったらしい。マスターと美津子さんには感謝したい。精神だけではなく体までボロボロになりかけてた翔平を、友人たちの温かい手が救ってくれようとしていることに賢三は感動していた。 バイトも終わり、バイクで家路を急いだ。
「ただいま。」
「賢三くん、今日ね、杏子、転んだのよ。なんか不調だから何も食べないで寝るって。。。」
「え?転んだの? 」
賢三は急いで二階の自分たちの部屋に行くと、杏子は青ざめて、横になっていた。
「大丈夫? 一体何して転んだ?? とりあえず病院行こうか?」
「賢三、今動かないほうが良さそうなんだ。。。 バスを降りたら、自転車にぶつかっちゃって、転んだの。その場では平気だったんだけど、家につく少し前から、ちょっと。。。」
賢三はベッドの脇で布団を直そうとして、鮮血が見えた。。。
「杏子、これ、まずいかもしれない。 救急車を呼ぶから、少し待ってて。」
と言っているさなかに、杏子はいきなり、うめき声をあげて七転八倒し始めた。賢三は急いで祖母を呼び、救急車の手配をしてもらった。自分は苦しがる杏子を抱きしめて、押さえつけていた。 5分もしないうちに救急車が到着し、まずは痛み止めの即効薬を飲ませた。杏子が落ち着くまで数分だった。そして担架に乗せて病院に向かった。賢三は同乗し、救急隊から話を聞いた。
「おそらく奥さんは切迫流産です。臍帯が剥離したために出血があったわけです。とりあえず、専門医の指示を待ちましょう。」
「子供は無事ではないかもしれないんですね? 杏子は? 俺の奥さんは大丈夫でしょうか?」
「専門医に任せてみましょう」
救急車は病院につくとすでに医師とスタッフが待機していた。そのまま杏子を検査室に運び入れて、賢三はやむなく外で待っていた。間もなく医師が出てきて、賢三に告げた。
「残念ですが切迫流産で、すでに胎児,、とはいってもまだ人間の形にはなっていないのですが、流れて排出されていました。出血はそのためです。 奥さんはこのまま入院しましょう。しっかりと検査して、明日の夕方には帰宅できると思います。 ご主人は、付き添いますか?」
「はい、付き添わせてもらいます。」
賢三はみどり子に電話した。数日欠勤することもお願いした。
「賢三くん、しっかりして! 杏子はもう苦しんでいないなら寝かせるべきだと思う。その苦しみって、きっとお産と同じような感じだったんだと思うわ。。。なにか必要なものがあったら遠慮なく言って、持っていくから。」
「みどり子さん、ありがとう。 ばあちゃんが色々と持ってきてくれるから大丈夫。 明日の晩には、自宅に帰れるみたいだし。今日は俺が付き添って、二人で音楽でも聴きます。じゃ、会社の方、よろしくお願いします。」
杏子は眠っていた。賢三は傍に寄り添い、しっかりと手を握ってあげていた。頭の中で、色々と想像しながらこの短時間で起きたことを整理していた。日本は歩道を自転車に乗って通ることが、当たり前のように行われる。年寄りが歩いている後ろからママチャリで、子供を前後に乗せた母親が、警告鈴をむやみに沢山鳴らしながら走り過ぎていく光景が頭に浮かんだ。杏子はそんな感じの自転車にぶつけられたのだろうか?、今となっては誰が犯人かなんてわからない。どちらにしても、杏子が妊婦だったなんて、思ってなかったのだろう。もう、遅い。。。 仕方がない。。。俺も杏子もまだ若いから、これからもチャンスは有るはずだ。生まれなかった子、どうやって弔うのだろう? 性別って分かるのかな?
「賢三。。。いてくれたのね。ありがとう。。。ごめんね、流産なんて、思ってもみなかった。。。普通に歩いてたのよ。ぶつかった自転車も、通り過ぎる時に謝ってたの。。。『すみませーん』って。。。私はまだ妊婦には見えなかったからね。。。誰のせいでもないと思うの。だから、ごめんね。。。私の体が弱っちいからかも。。。」
杏子は泣いていた。張り詰めた気分が解放されたのだろう。。。賢三はベッド脇から顔を杏子に近づけて、そっと彼女の頭をなでていた。
「杏子が一番苦しい思いをしたんだし、謝らなくて良いんだよ。 誰のせいでもない。早く体調を整えなきゃな。今はとにかく早く体調を元通りにしようぜ! さて、何聴きたい? これで聴いてて、俺、医者と話してくるから。」
賢三はナースステーションに行き、主治医を呼んでもらった。その時、看護師さんたちと話し込んだ。
「あのぉ、こういうことって、よくあるんですか? 胎児が助かることってありますか?」
「お父さん、楽しみにしてたのね。。。今回は残念でしたね。 あのね、切迫流産はとてもよくあるの。特に、最近のお母さんたちは働いているし、比較的薄着でしょ? 冷えていることに気づかなかったり。。。でもね、一番考えられることは、胎児は頑張れるほど丈夫な子じゃなかったってことかも。助けることができるかどうかは、その子の運にもよるのよ。すべての偶然が重なって、天国に行くと自分で判断したの。
確かに胎児が助かることもあるの、でもね、お母さんはその後出産まで入院!一切動けなくなるのよ。それって、若い妊婦さんには地獄。。。 がっかりだろうけど、その子は神様にお返ししたと思ってね。 あ、先生来たよ。」
担当医が速歩でこちらに来た。
「お忙しいところ、呼び出してしまってすみません。 今回はお世話になりました。今後のことを少しお聞きしたくて。。。あと、胎児はどう弔ったら良いのか、教えて下さい」
「林さん、この度は大変残念でした。妊娠も順調だったようですし、奥様は悪阻が治まったばかりでしたね。靴も低いヒールのもので、けっしていい加減な妊婦さんじゃなかったことが伺えます。 まずは少し体を休めて、体力を回復しましょう。ご夫婦ともにまだお若い、これからいくらだってチャンスはあります。胎盤が剥離するということは、その子にチャンスが少なかったと言えます。だから、神様のところに行って体力と運をもう一度着け直してもらっていることでしょう。
それから、赤ちゃんのお弔いですが、大変に残酷なことを言うようですが、お腹の中でなくなった場合、戸籍に乗せることはできません。あの週齢だと性別もまだはっきりしていないのです。そして、残念ながら、病院側で排出物として処分しないといけません。持ち出ししてはいけないのです。 どうか、ご理解ください。 今は奥様のことを十分に労ってあげてください。心身ともにショックだったはずです。 苦しまれたでしょ? 胎盤が剥離するときの激痛、お産のときと同じ痛みなんです。どちらかというと、お産のほうが時間が決まっているので耐えやすいと思います。 奥様、物凄く頑張りました。半年くらい体調を整えれば、また妊娠できます。 お父さん、頑張らないと!」
「はい。。。そうですよね、杏子は忍耐強いのに、あの声と苦しみはびっくりでしたが、お産の疑似体験をしてしまったんですね。大切にします。 また妊娠できるように、体力つけてもらいます。 子供、たくさん欲しいんですよ。だから、女房には頑張ってもらわないと。 ありがとうございました、先生。 じゃ、また明日、退院時にお目にかかります。」
医者は退席して看護師の一人が来てくれた。
「林さんの旦那さん、付き添っていかれるということでしたね? 簡易ベッド用意しますよ。」
「あ、良いんですか? じゃ、お願いします。」
しばらくすると杏子の祖父母が病院に簡単な着替えと洗面道具を持って来た。二人共、不安そうな顔をしていた。賢三は走り寄って、事態の説明をした。その後病室に行って2人を安心させた。
「苦しかったね。。。 でも、もう大丈夫。今は自分の体のことだけを考えなさいね。 はい、色々と持ってきた。賢三くんが付き添えるらしいから、彼の夜食も入れておいた。 杏子も食べられるといいけど。。。 ま、明日帰ってきたら、少しゆっくりして、数日、会社は休むといい。みどり子さんに連絡しておくから。」
「あ、私も来てしまいました! もう、いても立ってもいられなくて。。。 ディーヴァ、頑張ったね。。。会社のことは気にしなくていいよ! しっかりと病欠にしとくし、ゆっくりしてて。」
「ありがとう、みどり子。 クリスも一緒なの?」
「ハイ、僕もここにいますよ。 車出しました。スピードカメラにひっかかったかも?(笑)もう、みどり子は泣きじゃくってたし。。。」
「色々と心配してもらって、ごめんなさいね。 これから数日ゆっくりさせてもらう。課長にもよろしく言っておいてね。」
みんなひとまず帰宅することになった。杏子はやっと賢三とだけ一緒にいられることを、少し喜んだ。午前中までは全くいつもと変わらず過ごしていたのに、バスから降りた途端にこんなことになるとは。。。歩道を歩いていただけなのに。。。
賢三も、ドラマチックな一日だと思っていた。翔平の奇異な思春期を聞かされ、人が自虐的になる要素や、人を信じられなくなる要素。人に恋することなく過ごしてしまう重要な時期の青春。。。 それを理解しようと決めた自分。 杏子への報告が楽しみだったのに、まさかの流産。疲れた。。。でも、もっと苦しかった杏子のことを思うと、疲れたなんて言っていられない。 簡易ベッドは用意してもらったが、結局賢三は杏子のベッドの中に入り込み寄り添って眠った2人だった。
「おやおや?? 仲のよろしいことで! 起きてください。奥様の朝ご飯の時間です。」
「あ、すみません。 おはようございます。 俺、顔を洗って朝飯買ってきます。杏子は先に食べてて。」
賢三はナースステーションで退院手続きの書類を確認して、コンビニに朝ご飯を買いに行った。朝の検診のあとに退院となるようだ。 外はすでに日が高く、暑くなりそうな気配だった。携帯電話が鳴り、出てみると、みどり子だった。
「あ、賢三さん、後でクリスと車で迎えに行きます。退院でしょ? 家まで送り届けたら、即、帰社しますので、ご心配なく。タクシーで、なんて野暮なことがないようにという、私とクリスからの提案です。もう向かってますから、ゆっくりと支度して玄関に行ってくださいね。じゃ、後ほど!」
みどり子は気の利く女性だ。良い友達に恵まれて杏子は幸せだな。 あとは、まだ何も知らせていないカウンティング・スターのマスターに電話しとかないと。今日は休ませてもらおう。。。
退院手続きも終わり、杏子を連れて玄関に出ると、待機していた、みどり子とクリスが車付けに来てくれた。礼を言って乗り込み、自宅に向かう。みどり子が、当たり障りのない話しを振り、クリスと賢三はそれに合わせて、明るく振る舞った。杏子は車の窓から見える光景が、何事もなかったごく普通の都会の風景であることを確認。 あの苦しさと激痛はなんだったのだろう? バッグから少しはみ出して見える母子手帳を虚しく見つめた。ご多分にも漏れず、沢山の後悔の念が押し寄せる。。。 あぁ、あのとき、こうしていたら・・・あぁ、あのバスに乗らなかったら・・・ 自分じゃなくてもまず避けきれなかったであろう自転車との接触。なんとなく自分が情けないようにも感じる。そんな事を考えていても時間は戻らないことは百も承知。大丈夫! これが最後のチャンスだったわけではないのだ。 賢三に抱き寄せられて、そのぬくもりの安心感に慕ってしまう。 もう泣かない。 元気を出さなくっちゃ。そう心に決めた杏子だった。
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