第10話
あの男は、カイドウの社長になにを言ったのだろう? 最終的にまるで旧友のような話し方をしていた。。。
京介は、賢三の行動が不思議で仕方がなかった。 社長の前でサックスを吹いたわけでもないし、カイドウの歌い手までが、あの若造にひっついていた。解明しなければ。 自分があの社長に契約をこぎつけるのに、どれだけの労力が費やされたかを考えると、どうしても解せなかった。。。ディーヴァに聞いてみなければ。。。
タクシーの中で賢三は微妙に震えている杏子を膝の上に乗せて、両腕で抱きしめていた。過呼吸にはなっていなかったが、気分的には目いっぱいだったのが賢三にはわかっていた。VRゴーグルには感謝しておきたい。みどり子のなけなしの知恵だった。 杏子は言葉を発せない感じだった。賢三は杏子を抱えながら独り言のように話し始めた。
「うまく歌えてたよ。最高のホイットニーだった。 聞いてくれる? あのカイドウ・コーポレーションとかいう会社の社長って、けっこう話の分かる親父さんだった。ジャズのこととか、芸大でなにしてるかをかいつまんで話たんだ。そして杏子が俺にとってはどういう人なのかもね。 そしたらさ、やけに感動してくれて、俺がバンド演るならスポンサーになってくれるっていうんだ。もちろん杏子の会社との契約は押印すると約束してくれたよ。口約束だけど、あの人信用できそうだ。 良かったな。 後は、あのエリート気取り野郎の腕次第。でもアイツは、奴隷決定だぜ。」
杏子は、クスクスと笑っていたが言葉は出てこなかった。緊張から憔悴していた。自分の部署には関係ないとはいっても、自分の会社のことで、契約が取れるか否かだったわけで、彼女の性格からして責任を感じないほうがおかしい。 家につくと、賢三はそのまま音楽室に行くことにした。
「お祖母さん、今帰りました。このまま音楽室に行って少し落ち着くまでいます。大丈夫ですから心配しないでください。」
「タクシーさんがお釣り持ってきてくれたから、靴箱の上のお皿に入れておくね。 疲れていそうだけど、なにか飲み物を持っていこうかしら?」
「あ、ボトルの水を持ってきてもらえますか? 杏子はお酒も飲んでいると思うので。」
「わかったわ。 まっててね。」
賢三はリクライニングのソファに杏子を抱いたまま座った。杏子の震えは収まっていたが、どちらも動こうとしなかった。このまま眠ってしまったら、杏子は寒いかもしれないな。。。と考えていると、祖母が水のボトルとグラスを持ってきた。そして、毛布を取りに行ってくれた。
「どうだったの? 杏子は辛そうだったのかしら?」
「歌っているときは、楽しそうだったし、全然大丈夫でした。大きなゴーグル着けてたし、その中身は俺のビデオだったから楽しそうでしたよ。(笑)」
「あら、洒落たことしたのね! 好きな人だけが見えるようになれば、杏子の歌は絶好調よね。 ところで、賢三くんは、お腹すいてないの? まだ時間も早いし、なにか作ろうか?」
「あ、じゃ、なにか簡単なものでいいですよ。キュウリありますか? お味噌を添えたキュウリが良いかな。」
「わかったわ。キュウリなら杏子が起きても食べそうね。生だけじゃなくて、ぬか漬けも切ってくるからね。」
しばらく、体をゆすりながら、座っていたが、賢三はオーディオを携帯電話でオンにして、低い音でキース・ジャレットのライブをかけた。優しくも激しいキースのピアノは、キースの吐息までもが録音されているせいか、目を瞑れば、その場にいるような気分になり二人を落ち着かせてくれた。 聴き入っていると、杏子の祖母が、みどり子とクリスを連れて入ってきた。
「心配して来てくださったから、お通ししたわ。」
「賢三くん、来ちゃったよ。様子を聞いたら帰ろうと思ったんだけど、お祖母様が会っていってと言ってくださったから・・・ディーヴァ、寝ちゃったの?」
「いや、息を整えて休んでるだけ。過呼吸じゃないから心配ないよ。 疲れちゃってるだけだし、気心の知れた人たちなら、こうして休んでいられると思うから、ゆっくりしてってください。」
「お飲み物の用意とおつまみをお持ちしますよ。お酒類はそこの冷蔵庫に入っているし、氷もできていると思いますから、かってにどうぞ。」
「お祖母様、私も手伝います。」
みどり子は、杏子の祖母と一緒に部屋を出た。 クリスは逆側の椅子に座って、賢三をみていた。
「歌っているときと直後は調子よさそうだったけど、あとから来るんだね。。。」
「そうなんですよ、緊張がほぐれることもあって、後からどーんと辛くなるみたいなんです。でもね、コーラスとしてステージの後ろの方にいるときは全然平気なんだよね。。。リード・ヴォーカルを取るとこうなるんだ。だから、はっきり言ってカラオケは最悪なんだよね。。。」
「可愛そうなことしました。。。 でも、確実に契約は取れたみたいですよ。ディーヴァの歌はもちろんだけど、賢三さんの活躍があったからみたい。 あの社長となにを話したんですか? あの人気難し屋で有名なんですよ。みんなマジックのようだって言ってましたよ。すぐ仲良くなってたでしょ? あれには僕もびっくりしましたよ。」
「あれね、俺もびっくりなんですよ。 社長さんにジャズは好きかって聞いたんです。自分がサックスやってることを強調して、スポンサーを探せたらどんどん世に出られるのだけど世の中厳しいって愚痴った、ステージに出るとき連絡しますよ!って言ったら、物凄く乗り気になっちゃって。いきなり、スポンサーは任せろって。」
「うーん、、、良く寝られたわ。ありがとう賢三!」
「あ、起きたか。ちょっと頑張っちゃったね。」
「うん。 クリスも来てくれてありがとう。 カイドウと契約確実みたいで良かった! 賢三ってね、『人誑し』なのよ。誰もがのめり込んでしまう感じなの。 私は運命感じちゃっただけ。。。」
杏子は、賢三の膝から起きようとはしなかった。できなかったという方が正しいかもしれない。ベタベタしているわけではなかったが、今の状態を隠そうともしなかった。
「ははは、これですべてが上手く行ったなら、それでいいや。杏子が疲れちゃったのは想定外だったけどな。俺の顔見てれば疲れないで歌ってくれるはずだったのにな(笑)。。。体調悪いのかな?」
「なんだかね。。。でも、VRゴーグルの中が賢三だったからやり遂げられたんじゃないかというのはホント。やる気になったもの! 最近、ちょっと体調不良かも。。。疲れやすくてね。。。 もう賢三も芸大は入れたし、ホッとしたら気が抜けちゃったのかもしれない。。。」
「少しゆっくり有給休暇とるのもいいかもしれないね? みどり子に伝えておきますよ。きっと彼女もそうしたほうが良いと言いますよ。」
「そうね。。。ちょっと休もうかな。。。」
その後しばらくしても、杏子の体調不良が続いて、賢三は心配になったので、病院に着いていくことにした。普段から血圧は低いし、貧血があるのは知っていたが、いつもなら数日で戻るものなのに、今回は違ったので、本人も頭を捻っていた。
「増血剤とか必要でしょうか? あれは、昔飲んだことがあって、種類によってはすごく便秘になるので、ならないのを処方してほしいですけど。。。」
「そうですね、増血剤はあったほうが良いでしょうね。便秘を起こさないものを出しましょう。 ま、それよりも、尿検査もしましたが、確実だろうと思うことがわかりました。山本さん、赤ちゃんができましたよ。望んでいましたか? 外で待っている男性がお相手ですか? よろしければ、彼にに入ってもらって、僕からお話できますが。。。貴方が彼にどう伝えたいかですが、僕はどちらでも貴方が望む方を応援して彼に伝えます。もちろん、貴方がお一人で伝えることも、少し考えてからということでも構いません。僕がはいることでスムーズになることが多いので。。。」
杏子は唖然としていた。。。妊娠してもいいとは思っていたが、自分の生理不順から、なかなか妊娠できない体質だろうと思っていた。賢三が避妊しようとするのを止めたのは自分。そう、子供は欲しかった。ただ、賢三が父親になるには、あまりにも若すぎないか??という疑問が常に頭にあった。妊娠したということが分かれば、賢三は喜んでくれることは明確だったが。。。
「先生、私、生みたいと思います。外にいる人が父親です。まだ学生なので、どう受け止めるかは、ちょっと心配ですが、喜ぶだろうと思うのです。私には祖父母もいて育てるには問題ないので、彼には、『おめでとう』と言ってあげてください。お願いします。」
「わかりました。実はね、僕も『できちゃった結婚』なんですよ。妻はできたのが分かると、僕にはなかなか教えてくれませんでしたが、知ったときは嬉しかったです。いまでは、3人の子供がいますが、幸せですよ。じゃ、彼に入ってもらいますね。 では、山本さんの付き添いの方に入ってもらってください。」
「先生どうも、杏子の体調、治りますか? なにをして良くて、してはいけないかって、箇条書きしておきますので、教えて下さい。」
「はい、貴方は真面目な方のようですね。 杏子さんの体調不良は、暫く続くと思います。とにかく重いものは持ってはいけません。適度な運動は必要ですが、走ったりするような運動などは控えめにしてもらいましょうね。本人はもちろんですが、そばにいる方もタバコとお酒はやめてもらいたいです。」
「あ、俺は未成年なので、その心配はないです。あの、肺活量を使うようなことは駄目ですかね。。。」
「肺活量? それは大丈夫だと思います。・・・お二人は音楽関係ですか?」
「杏子はセミプロです。俺は専門の大学に行っているので、肺活量は鍛えているのです。サックス吹いてます。音量は影響ないですよね。」
「サックスですか? それは素晴らしい。影響は、良い意味であると思います。・・・ 杏子さんは妊娠していらっしゃいます。後で正確な週数が出ると思いますが、僕の見立てでは7週だと。。。おめでとうございます! 貴方がお父さんですよ!」
「え! 妊娠?? 先生、今、妊娠って言った?? ほんとうですか? 杏子、やった!子供ができたんだ。病気じゃないし、子供ができたなんて最高じゃん! 俺、なにしたら良いんだろう?」
「賢三、落ち着いて! まだ先生の話続いてるんだから。。。」
「先生! 大丈夫です。俺、責任取れますしね。こういうの『愛の結晶』っていうんでしょ? うわぁ~〜。」
診察室にいた医者も看護婦も爆笑してしまった。
「いやはや、長年医者をやっていると、同じような境遇のカップルと話すことが多いのですけど、貴方ほど喜んでいる人たちは初めてですよ。それもまだ若いのに、すんなり嬉しいと思ってくれる旦那さんって、山本さんはお幸せですね。 僕は専門ではないので、産婦人科をご紹介しますからね、そちらに行って、しっかりと調べてもらってください。母子手帳もそこで出してくれると思います。じゃ、お大事に。」
杏子と賢三は、深々と頭を下げて、診察室を出た。その後に行った産婦人科でも妊娠が確認された。ほぼ8週だという。
「杏子! 俺、なんかちょっと興奮気味です。。。俺、頑張って良いお父ちゃんになるからさ。とにかく、杏子の不調が妊娠からということでホッとしたし、後は万全を尽くして出産まで生活しないとね。産婦人科の医者も、体調良いときは、まだまだセックスして良いって言ってた、それってすごくね? 俺、びっくりしちゃった。もう、何ヶ月も悶々としてなきゃいけないんだと思って、真っ暗になりそうだったよ、時々、赤ん坊に、パパシャワーで兄弟姉妹の片割れ送って、『こんにちは〜』って挨拶させないとな。(笑)」
「なによ、それー! もう、笑っちゃうわ! 赤ちゃんには迷惑かもよ(爆笑)でも、賢三がそんなふうに考えてくれて嬉しい。期待通りだった。万が一『俺、まだいらねー』なんて言われたら、私、どうしようかなって。。。ありがとうね。。。」
「そんな事あるわけないよ、100%信用してほしいな。 なぁ、杏子、今から本牧に行こう。カウンティング・スターまで、行こう!」
二人は本牧に直行した。カウンティング・スターは繁盛している様子だった。
「やぁ、杏子ちゃんと賢三くん、久しぶりだね! おーい、みっちゃん、お待ちかねの二人が来たよ!賢三の大学が忙しいのは知ってたけど、杏子ちゃんは、ストンプでのライブが入ってなくて寂しかったよ。今日はデート? ま、同棲しているから、たまには外もいいよね。美味しいもの作ってあげる。なにが食べたい?」
「ご無沙汰してます。なんだか色々とあって、おまけにライブやスタジオ、しばらく断ってたのでストンプさんにもご無沙汰なんです。後で寄ってこようかな。」
「陽介さんの作るものは何でも美味しいからいただきます! お店いま忙しそうだからちょっとテラス席にいますね。 杏子、ちょっと来て。」
二人は店内を出て裏庭に作ったテラス席に行った。ちょうど誰もいないので、座って話しやすい状態だった。
「杏子、聞いて。俺はまだ学生で頼りないと思うかもしれないけど、真面目に卒業して仕事もする。実はさ、前から言ってたけど、俺は教師に向いていると思うんだよね。だから、決して高給取りにはなれないけど、堅実な仕事と、時々ジャズマンっていうのはどうかと思って。。。まだ先の話だけどな。。。 でも、せっかく赤ん坊がお腹にできたことだし。。。
杏子さん、俺と結婚してください。 学生結婚だって、できてる人たちは一杯いるし、問題ないと思うのだけど。。。どう? 俺のお嫁さんになってくれない?。。。」
杏子は、瞬きすらしない、しばしの沈黙の後、話し出した。
「賢三。。。ちょっとびっくりしちゃってて、ごめんね。。。結婚って言ったよね、今?? 賢三が私と結婚してくれるの? ・・・・そっか、そうなんだ。。。
うん、はい! 貴方のお嫁さんになります!。」
「よっしゃ!!嬉しい。 じゃ、ここの帰りに区役所行って籍入れてこよう! パーティはいつでもできるし、指輪はちゃんと杏子が好きなの選んでもらいたいし。今度の土曜日は銀座に行こう。俺、ちゃんと貯金してるし。セルマー貯金の分がしっかり残ってるし。それを指輪にできるよ。多分。。。」
「おほん!!ちょっとだけ聞こえちゃいました! おめでとう!! 一体、どうしちゃったの、いきなり。。。でも、二人が結婚だなんて嬉しい。私達にお祝いさせてね。あ、それから、結婚届には証人欄があるのよ。。。2人必要なの。 良ければ私達がサインする。確かね、結婚届はダウンロードできるから、今、プリントアウトしてくるわ! ハンコは拇印でよかったかな??調べてみる。でも・・・三文判でも良いはずだから、並びの文具屋さんに行って買っておいで! 良かったね、あなた達二人共、よくある苗字で! 絶対に在庫あるから。(爆笑)」
「まずは杏子の祖父ちゃん&祖母ちゃん、そして、アメリカの家族に連絡しないとな。俺の林家は、お祭り騒ぎになるかも。。。兄さん2人が結婚まだだけどな。。。関係ない。」
二人は各々にビデオ電話を入れた。誰もがみんな喜んでくれた。ただし、まだ誰にも妊娠したことは言わなかった。多分、お祖母ちゃんが一番最初に知ることになりそうだ。。。喜ぶだろうな。。。
市役所は24時間の受付窓口があって、散々みんなに弄ばれた婚姻届を杏子と賢三は提出してきた。杏子は苗字を選べると言われたので、迷わず『林』にした。そう、今日から林杏子という名前になった。けっこう気に入っている。
「おめでとうございます! 長年この仕事してますけど、何回受け取っても婚姻届を出す人たちの顔が幸せそうで、自分まで嬉しくなるんですよ。末永くお幸せに!」
杏子も賢三も、その職員の言葉が嬉しかった。まるで結婚式の神父さんに言われているような気分になる。そんな感情を隠さずに二人は幸せそうに家に帰っていった。
「おめでとう! こんなにいきなり結婚するなんて、私もお祖父ちゃんも心臓麻痺起こしそうなほど嬉しかったよ。私達の願いがこんなに早く叶うとはね。賢三くん、私達の孫息子になってくれたのね。早々に林さんのところにご挨拶に行きますからね。杏子の両親は、なかなか簡単に帰れないから、私達が代理ですけど、すみません。」
「こちらこそ、こんなに急に結婚して、すみません。うちこそ、結納もできてないのにって、母さんが動揺してました。でも、そんなのいらないでしょ? 俺は一生杏子を大切にしますから。」
「そんな形だけのものなどいらないさ。二人が幸せなら、それが一番なんだから。今日は数え年で、20歳ということにして、私と酒を飲んでくれ給え!」
「え? 酒のんじゃうんですか。。。いいですよ。正月の甘酒やお屠蘇だって同じようなものだし。内緒ってことで、。。。」
「もう、ふたりともいい加減にしてよね。。。ま、良いけどさ。私はちょっと疲れちゃったから上に行くね。」
「先に行ってて! おれ、祖父ちゃんと飲んだらすぐ行くからね。お風呂しっかり入って温まるほうが良いよ。じゃ、俺のお嫁さんに乾杯!(笑)」
酒に慣れていない賢三は、かなりヘベレケにさせられて二階に帰ってきた。。。
「祖父ちゃん、つえーの!、でもって祖母ちゃんのほうがもっと強かった。。。俺、限界。。。杏子〜〜、愛してるよ。あのさ、調子どう? パパシャワー放っても良い?」
「えぇー! パパシャワー?? そんな体力まだ残ってるの? うーん、どうしようかな。。。ま、いっか! 来て、パパ!」
「はい!」
長い一日だったから、二人は疲れていたが、なぜか心地よい疲労感だった。。だから愛し合うのになんの支障もなかった。
新しい週の初め、通勤電車の中で杏子は考えていた。 さて、人事課には結婚したことを言わなきゃいけないんだったな。。。みどり子には電話で知らせたけど、ドタバタしていたせいか、彼女がどんな反応をしたかも覚えていなかった。
会社の部署に一歩入ると、一斉に拍手が上がった! これはカイドウ・コーポレーションとの契約が成立したことの拍手のようだった。我が部署の手柄ではないのに、私と賢三の手柄だという人ばかりようだ。特に、新入社員には、謎のロン毛部外者イケメン青年のほうが注目されたらしい。 中原先輩は、あっちで持て囃されているに違いない。私の昇給はどうなっただろう??
「ディーヴァー!! もう、みんなすごいことになっちゃってるの。ディーヴァと賢三くんの話題騒然よ! でも、私はもっと大切な方をお祝いしたい! 結婚、おめでとう!! 林さん。クリスに話しても良い??」
「ありがとう。。。え?クリスに言ってなかったの? 彼だけなら良いよ。でも、まだ人事課にも届けを出してないのよね。。。 式とかはまだ話し合ってないのだけど、、、なんせ、相手が学生だしね、もう賢三舞い上がっちゃってるの。。。多分、親戚と近しい人を呼んでパーティで人前結婚を兼ねるという形になると思うの。少し先かな。。。もうすでに双方の家族公認の同棲だったし、ちょっとしたケジメみたいな感じ。」
「そうかぁ、なんか、いつも素敵だよね、ディーヴァと賢三くん。なんか、こう、人の一歩前を歩いてる感じがするの。人間は元来、こうでなくてはいけないんだ!って、観ていて痛感させられるカップルっていうのかな。私もディーヴァみたく幸せになりたい。。。」
「慌てないことだよ、みどり子。『この人かもしれない!』って感じられたときが、多分、最初の一歩。私なんか当時は相手が、まさかの高校生だったんだよね。。。でも今は自分の感覚を信じて良かったと思っているの。みどり子は私よりもずっと純粋な感覚を持ってるからね。そういう意味では『初見』って、けっこうあたってるし大切なのかも。私はみどり子とクリスってかなり似合っていると思うのよ。大切にして!」
「そうかぁ、やっぱり合っているかもしれないね、私とクリス。。。少し真面目に考えようっと! あ、中原先輩がお目見えよ。。。お礼かな? 下僕決定だしね。(爆笑)」
「奴隷よ! 下僕なんて可愛いものじゃないわ。散々私の愛する亭主に嫌味言ったからね! お仕置きでもするかな。(笑)」
「やぁ、ディーヴァ! この前はご苦労さまでした。 体調悪くしたようだったけど、どう? 治った?」
「体調の方は、まぁまぁかな。。。とにかく、今日もイタリアン? 」
「いや、今日はもっと良いものにするよ。実はさ、カイドウに出向くんだけど、一緒に来てもらいたくてね。この前の仮押印で、契約は取れているけど、正式な書類を取りに来いって言われているんだ。もう、企画部の部長には許可取ったから、この後すぐ営業部の方に来てくれる?」
「なんで私なのよ。。。もう、一件落着なんじゃなかったの? もう、いい加減にしてよ。」
「楽しくお食事できるし、良いかなと思って、勝手に了解してしまったんだよね。当然会社のためでもあるし、お願いしますよ。ディーヴァさま。 じゃ、このまま行こうか。残念ながらまだ車の使用は降りてないから電車なんだけど、良いよね。」
「車じゃなきゃ嫌だ。絶対に行かない。私、不調なのよ。タクシーでも今回に限って許可。本当なら自前のレクサスで送迎しえほしいところ。あ、レクサスなんか持ってないよね。。。パパのだったりする?」
「なんか、すごく馬鹿にしてくるなぁ、今日は。。。レクサスはないけど、自前は、BMWならあるよ。」
「あ、そう。 私、BMWって、好きじゃないんだ。」
「まぁ、とにかく、行こう。原田さん、後はよろしくね。」
そうみどり子に言うと、京介は杏子の手を引っ張って、颯爽と部署を出ていった。みどり子は呆気に取られてみていたが、すぐにクリスに電話を入れた。
「あ、クリス? ディーヴァが中原先輩に誘拐されたわ。。。それももう、かなり強引に。いくらカイドウに連れてくるように言われていると言っても、あまりにも勝手だと思う。。。契約が取れたのって、彼のお陰じゃないって、たくさんの証人がいるんだよね。。。会社の人間の快挙と言うならディーヴァのものだわ。賢三くんは彼女の旦那だしね。」
「強引なことするよね。。。京介も必死なのかもしれない。今しか彼女をゲットできないと思ってるかもしれないよ。今回の契約といい、ディーヴァには頭が上がらないはずなんだけど、賢三くんの存在が邪魔なんだろうな。。。あそこまで仲良しだと、確かに『旦那』って言ってもおかしくないよね。」
「だから、旦那なのよ。。。ディーヴァは昨日から林杏子さんという名前になりました。正式に結婚されたんです。お式はまだ先だけど、私達呼んでもらえるかもよ! (笑)これから人事部に変更届けを出しに行くはずだったのに。。。今頃、本人から聞かされる中原先輩って、惨めだわ。。。(爆笑)」
「そうだったんだ! 何かお祝いを持って山本さんのお宅に行こうよ! お祖父さんもお祖母さんも、きっと喜んでいるだろうからね。僕は賢三くんに会いたい! いつも彼の早業には驚かされるな。。。焦んなくても、ディーヴァは彼にぞっこんだと思うんだけどね。。。」
「事情がありそうよね。楽しみだわ! とにかく、今日はディーヴァは直帰すると思うの。デザートになる物持って、山本家に行こうか?」
杏子はタクシーの中で眠りこけそうだった。。。妊娠初期の倦怠感は逃れられそうにない。顔色だって普段から決して血色の良いほうじゃないので、余計に青白く見えるかもしれない。その成果、カイドウ本社につくまで京介と話さないですんだが、京介自身は話がしたくて仕方がなかった。
「なぁ、ディーヴァ、一応本社で社長と会ってから食事らしい。書類は先にという感じ。カイドウの社長は、メリハリがある人みたい。約束は守ることで有名だしね。賢三くんだっけ? 彼も気に入られてたな。。。ま、学生は良いよね、希望みたいなことを話しに混ぜることができるから、気に入られやすい。彼は人当たりが良いみたいだね。カイドウの社長がやけに褒めるんだ。俺に対しては塩対応どころじゃなくて激辛対応するからな。。。恋敵っていう競争心からなんだろうけどな(笑)」
「賢三は先輩に対して競争心は持ってないと思うけど。。。だって、なにか賢三と競争できることあったっけ?」
「あははは、、、ないな。ま、若さには確かに負けるよ(笑) 」
二人は社長室に直接向かい、書類の押印を全て済ませ、社長の言うままに赤坂の有名な日本料理店に連れて行かれた。
「いやいや、林賢三くんにも来てほしかったが彼はお宅の社員じゃないしな。早々に彼のスポンサーをしたいから、早めに演奏を聞きに行かないといけないんだ。山本さんは、彼と同じバンドなの?」
「本日は、私までお招きに預かりまして、ありがとうございます。 ご指摘の林賢三は、まだ大学生でして、なかなか授業との折り合いがつかないのが本当のところです。国立大学ですので、融通は効きませんので、本人も十分にわかって行動しなければいけません。残念ながら本日、同行させるわけには行きませんでした。ご理解いただきたく存じます。 また彼も、私も一定のバンドに加わってはいません。指名されたときに、そのバンドに加入しますが、メインのコンサートやスタジオ録音が済むと、それまでで、フリーな状態に戻ります。ジャズメンには、それが当然のこととして扱われています。ロックバンドなどでは、10代の結成時と同じメンバーで一生演奏しますがジャズはすべてバラバラに行動します。ですから、時々、後世にまで残るような演奏が可能になります。すべてのバンドマスターたちはそれを目指して、その時その時に最高な演奏ができるようなメンバーにできる人たちに声をかけることになります。」
「おぉ、そういうことなんですな。ジャズとは実に奥が深い。ワシのような音楽の若輩者には、貴方や林君のようなエキスパートが傍で教えてくれることが最高に勉強になり、より理解を深めることができるようになるね。林賢三に会えるとしたら、ワシが芸大に行くしかなさそうですな。こんなに大きな会社を経営してても、林くんにはかなわないからね、スポンサーになるということで、足かせを作らせてもらった! もう離しませんぞ!(爆笑)」
「いいえ、彼は時間さえ合えばすぐに出てきます。フットワークも軽いので、スケジュールを合わせようとします。今回は、急でしたし、大学は平日の昼間では、なかなか時間を取らせてくれないと思います。 次回、林賢三がどこかで演奏するというときは、社長のお席を用意できるのではないかと思いますので、私からご連絡いたします。どうか、しばらくお待ちください。」
「それは楽しみですね! ぜひ、近いうちに実現できるように祈っています。貴方にも林くんにも、私個人の連絡先をお教えしますよ。仕事抜きでお願いしたいからね。携帯電話持ってますよね? ちょっと変わった名前で入れておきますから。ささ、今日は美味しい懐石を用意しましたよ。帰りに、お土産を用意してもらいますからね、林賢三に渡してください。必ずワシからだと伝えてくださいね! えーっと、あと、そちらとの契約書、すべて用意できてますからね、しっかりとお渡ししましょう。」
杏子は京介の顔をちらっと見て、ほくそ笑んだ。さすがの営業一課のエースも、こればかりは割り込めない話題だった。京介は爽やかな笑みを浮かべ続けていたが、内心は決して穏やかではなかった。しかし、杏子を同席させた意味は大きく、自分の成績を飛躍的に持ち上げてくれたことは確かだった。
帰りのタクシーの中、京介は杏子に話すチャンスがやっと訪れて、ホッとした様子だった。杏子は酒も飲まず、音楽に関しての話題ばかりなので、常に質問が自分に来ることで、疲労困憊が観えた。何度も恨みつらみのこもった目線で京介を観た杏子だった。
「いや、本当にご苦労さまでした。大口だし、会社には特別手当の要求を俺からも出しておくよ。 でも、カイドウの社長がこんなに音楽好きだったとはびっくりだった。ディーヴァのお陰だね。 今日、彼と話しているときのディーヴァは綺麗だったよ。顔色こそ今ひとつだけど、生き生きしてて、なんかまた惚れ直しちゃった。 ねぇ、もう一度真剣に考えてくれないかな? 俺と付き合わない? 俺って、こう見えても一人を大切にするタイプなんだよね。隠すのも嫌だから、付き合っていることは公言するつもりなんだ。音楽にだって理解を示せるし、良い物件だと思うんだけど。。。考えてくれないかな。。。」
そう言って、杏子の髪を手で梳き、頰から顎にかけてそっと手を寄せて、優しく触った。杏子は動じなかった。視線は窓の外、夜の明かりが後方に去っていくのが綺麗だと感じながら見つめていた。
「そうね、先輩は良い物件だと思う。もう、探したい放題だと思う。私なんかじゃ無理無理。 それに私、既婚者なんですよ。一昨日、林賢三と結婚しました。もう、林杏子です。どうぞよろしく。」
京介は完全にフリーズ状態になった。
「嘘だろ?? 冗談だよね?」
「私の夫、最高なんですよ。。。なにからなにまで最高なんです。(笑)」
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