第5話


 週明けの出社は、杏子にとってちょっと苦痛だった。。。歌に関してはバレバレだし、パニック症候群が出てしまったこと、そして、賢三が学ランで乗り込んできたこと。。。何もかもが穴があったら入りたいと思う事項ばかり。

「はい、ディーヴァ様、ご出勤ですね。 もう、どうなっちゃったの? 大丈夫だったの? 私も中原さんたちも心配したのよ。震えてたし、弟さんは怒ってたみたいだし、Lineしても既読もつかないし。連絡ぐらいしてほしかったよ。。。ま、元気になってよかった。」

「ごめんなさい。。。心配かけちゃって、すみませんでした。 ところで、ディーヴァって、なによ。。。」

「あのね、あれから中原さんたちと決めたのよ、山本ちゃんのことはディーヴァって呼ぶことに。衝撃的な歌声の歌姫だったんだもの、そう呼ばせてよ。ね!」

「もう、歌に関してはバレバレだとは思ってるけど、歌姫は大げさだよ。。。パニクっちゃう歌姫なんかいないってば。。。」

「でもね、外国人には、『YAMAMOTO』も『KYOKO』も、すごく発音しにくいんだって。だから、研修のイギリス人は絶対にディーヴァって呼びたいって言ってるよ。」

「たしかに、苗字も名前も発音ちゃんとできないんだよね。。。外人。。。ま、彼らがいるときだけにしてね。」

「ところで、弟さん、怒ってたよね。。。飲み会の場所、良く分かったね。電話してたの弟さんに迎えに来てほしいって言ってたの? なんで私か中原くんに言ってくれなかったの? 具合が悪くなりそうだって分かってたんでしょ? スマホも切らずにいたし、弟さんも手に持ってたね。カッコよかった。 あのホイットニーは最高だったけど。。。ごめんね、無理させちゃって。。。弟さんも、塾の帰りだったのかしら?学ランだったから、お店の人に止められちゃったみたい。それにしてもあんなにカッコ良くて、大人っぽい高校生の弟がいたなんて! びっくりだったよ! なんていう名前なの? 」

「彼は、賢三。私の恋人よ。5歳も年下の。。。お互いのスマホにGPS入ってるの。いつでもどこにいるか確認できるように。でも、全然束縛なんかしてないの。今回は入れててよかったと思える。」

「えー?? 今、恋人って言った?? 嘘でしょ?? 高校生なの? サックス吹いてるっていう彼氏だよね? うわぁ~大人っぽいし、ロン毛で物凄くカッコよかった。今どきの高校生って、みんなあんな感じなの? 私にも彼のお友達紹介してって言っておいて! あ、でも、中原さん、空いてそうだったしな。。。」

「来年受験だから、今は放っておいてるんだけどね、受験終わったらちゃんとデートするんだ。 5歳も年下なんて思えないでしょ? 彼も全然気にしてないの。」

「そうだよね、ディーヴァが年よりも若く見えるし、賢三くんが背が高いせいかしら? お似合いのカップルだよ。ねぇ、何が共通点なの?? 音楽だけ?」

「そうね、似てるのよ私達。共通点は強いて言えば・・・肺活量よ(爆笑)」

「なにそれー!(笑) でも、ディーヴァのあの歌唱力とサックス奏者だしね、肺活量は2人共すごそうだわ。。。 あ、中原さんだ! 心配してたから見に来たみたいだよ。ちゃんとお礼言ってよ!」


「山本さん、大丈夫だった? 気にしてたんだけど、Lineでも連絡取れなかったし、ちょっと心配しちゃったな。でも、弟くんがしっかりした子だし、任せても良さそうだなと思ったんだ。 それにしても弟くん、かっこいい登場の仕方だったね。余程お姉さんを心配してたんだね。 あのパニック症候群みたいなの、よく起こるの?」

「あぁ、ご心配をおかけしました。連絡くださったのに、応答できなくて、すみませんでした。ぐったり眠っちゃって。。。パニックになるのは、歌を・・・リードヴォーカルで歌を歌うときに人がたくさんいるとなっちゃうみたいなんです。だから歌を人前で歌わなければ、あんな状態にはなりません。トラウマがあるんです。。。」

「あぁ、トラウマのことは教えてくれたよね。ごめん。ほんとうに。。。ただ、あまりにも上手かったし、みんな魅了されてしまうくらいの歌唱力だったから。。。 治す方法はないのかなって、考えていたんだ。」

「いいえ、大丈夫です。そういう機会を避けていればパニック起こすことはないので。。。あと、彼は弟じゃありません。私には弟なんていませんから。彼氏です。 はい、お察しのとおり、年下です。なにか問題でも??」

「あ?、あぁ、、、彼氏だったのか。。。年下が悪いなんて言ってないけど、ちょっとびっくりだな。。。いや、ほんと、ごめんね。失礼なこと言っちゃったみたいで。頼れる素敵な彼氏だね。  あ、じゃぁ、また後で、お昼でもみんなで一緒に食べない? 社食でしょ? 今日はよかったらアレックスたちと一緒に外で食べない? 奢るから! 原田さんも是非!」

「うわぁ~、私まで良いんですか? じゃ、お邪魔します。12時過ぎには出られますから、ディーヴァ連れて玄関ロビーまで行きますね。」

「え! 勝手に決めてない? 私はきつねうどんでいいのよ。。。」

「まぁ、まぁ、遠慮しないでください! じゃ、また後でね!」

中原は早足で出て行った。 歩きながら考えていた。。。

『そうか、高校生の彼氏か。。。うーん、ならばまだつけ入るシマはあるな。ちょっと頑張っちゃおうかな。。。』

中原京介は、かえってやる気になっていた。そう、京介は杏子が気に入ってしまったのだった。歌を歌っているときの杏子は、新鮮だった。あんなに迫力のあるホイットニーを目の当たりにして、そして、震えていた彼女を抱きしめてあげたときに感じた新鮮な違和感は、アレックスに言われたとおり、本当に恋に落ちてしまったのだった。京介は女性に困るようなことはない。ちょっと微笑んであげれば、向こうから寄ってきてくれる、でも、そういうふうにして寄ってきた女性と付き合ったことはない。取引先の商談などでの戦略でしか使わない。そういう女性は往々にしてつまらないからだ。山本杏子は京介に興味がないというのがよく分かる。普通の女性とは全く違う。歌っているときの彼女は宙を見上げ、微笑んでいた。それがたまらなく美しいと思えた。たとえそれが人間を観ないようにした彼女なりの工夫だったとしても、あまりにも魅力的だった。話してみれば、英語力はまるで外人、言っていることは何も物怖じしない。それなのに、誰にでも親切だ。 あれだけ落ち着いていて、堂々としているのに、あのときの震えた彼女は、守ってあげたくなるほどのか弱さを感じた。 あの高校生の彼氏は芽体も良くて自信に溢れていたのがわかった。 青春真っ只中の、背伸びした少年だ。年上の彼女がいると言うだけでも有頂天になっているのだろう。引き下がってもらえるチャンスは有るはずだ。若いうちの失恋は良い経験になるしな。


「さて、ここは、洋物しかないお店だけど、美味しいから、何でも遠慮しないでね。ところで、原田さんは英語の会話でもいい? 」

「私も少しは分かりますし、会話に入っていけないかもしれないけど、勉強になるので、気にしないでください。」

「みどり子、わからなかったらちゃんと止めてね。私はコロネーションチキンとクラブサンドにしていいですか? 飲み物は、ドクターペッパーで。」

杏子はもう遠慮せずに、アメリカで育ったところをしっかりと表すことにした。隠すことがなければにこやかにいられる。

「クラブサンドとドクターペッパーか!アメリカンだね〜〜!」

「コロネーションチキンはイギリスでしょ? まぁ、フライドチキンでも良かったんですけど。。。脂っぽいのは今欲しくないので。。。(笑)」

「イギリスにいたことあるの? 君のコックニーアクセントは抜群だったし、歌もロンドンのジャズクラブで雇ってもらえそうだよ。今までバンドにいたことある?」 アレックスは楽しそうに質問し始めた。

「バンドに協力したことはあるの。要請があればスタジオミュージシャンとして参加するのだけど、会社に努めてからはない。バイト禁止でしょ? ここの3人が内緒にしてくれたら、スタジオでの協力は続けられるんだけど。。。」

「無償のボランティアワークということにしておけば大丈夫じゃないかな? そこまでこの会社ってうるさかったっけ?」

「うーん、、、ボランティアなら良いかもしれない。どちらにしても、バレることってないんじゃないかな? 接客じゃないし。クラブで歌うとなると客に誰かいたときが危ないけどね。」

「あぁ、でも、ディーヴァは誰からも好かれているから、バレても変な告げ口はないと思うけど。。。でも、中原さんが普通以上にディーヴァへ言い寄ったり、告白なんかしちゃったら、攻撃あるかも??(爆笑)」

「もう、勝手なこと言わないでくれる、みどり子はー!!」

「あの時迎えに来たティーンエイジャーボーイは、弟なの? みんな言ってたけど。。。」

「彼は私のボーイフレンドよ!(笑)」

「へぇー!! かっこいい子だったけど、ボーイフレンドなんだ! Hey  京介、遅かったみたいだね。。。」

「何いってんだよ、アレックス。世の中、いつ何時何が変わるかわからないんだからな。ま、そんなことはどうでもいいけど、カラオケがダメっていうのが惜しいよね。。。少人数でのボックスでもダメなの?」

「Oh Bloody hell! カラオケボックスって大嫌いなのよ。。。あの閉鎖的な部屋に変なカラーリングの照明とか、吐きそう。。。」

「うわぁ、そこまで言うとなると余程嫌いなんだね。。。(爆笑)」

「大体、普通のカラオケボックスは、ディーヴァが歌いたいものが入ってないだろうと思いますよ。。。この人、特殊な歌しか歌わなそうだし。。。」

「失礼な。。。 特殊なんかじゃないわ。 エラ・フィッツジェラルドだっていけますよ。でも、カラオケは嫌なのよ。。。スピーカーもこれ見よがしのBOSEばかりだしね。スピーカーがJBL、アンプはマランツ、マイクはシュアーなら考えても良いかもしれないけど、そんなの置いてるところなんてないでしょ?(爆笑)」

「すげー、言うことがプロだな。ところで、アメリカはどこに住んでたの? NY? ハーレムアクセントができてたよね?」

「うーん、、、イリノイ州なんだけど、シカゴの郊外で、父親の大学の研究で呼ばれてたから、そこに住んでた。黒人街から近くて、ゴスペル教会で合唱団に入ってたの。教会に関わってた人と両親が中が良くて連れて行ってくださった。みんな最初はすごく歓迎してくれたし、とても楽しかった。そこで4歳から15歳まで、その後、事情が変わって、マサチューセッツへ移ったの。そこで高校に行った。親はハーバードで仕事してたし、そこにはイギリス人がたくさんいたの。それが私の英語のアクセントの勉強・・・というか、遊びの延長だったけど、たくさん教えてもらえたから面白かった。でも、そこでもヴォイストレーニングはシカゴで習ったとおりに、自己流で続けてたの。それが今の結果かもしれない。」

「普段はどういう音楽聞いているの?」

「私はもっぱらソウルとブルース。でも、ジャズもよく聞く。ジャズはほとんどがヴォーカルないから聴くだけで何も真似しない。そう、ソウルとかは真似して覚えちゃうから。。。あ、でも、ヒップホップとかも聴く。あれは面白い。だから、黒人音楽ほぼ全般かもしれない。でも、クラシックも聴きに行くの。 ジャズとクラシックって共通点がある。どちらも狭くて深いの。」

「面白そうだね! 今度この仲間でジャズのクラブとか行かない? 青山のブルーノートとか、どう?」

「あそこはチャージが高いから、出演者にもよるかも。。。」

「行こうよ! カラオケじゃないし、みんなで行けるっていいじゃん。じゃ、出演者のこととか観ておく。良いかどうか、ディーヴァにきくから判断してくれると嬉しいな。」

「私はどんなミュージシャンでもブルーノートで演奏できる人なら大丈夫だと思う。あそこに出られるということは実力がある人たちだから。私は大丈夫ですけど、日にちによりますっていう感じです。」

「じゃ、決まり! 調べておくね。」

「なんか、ディーヴァのことばかりじゃないですか? 皆さんの自己紹介もしっかりやらないといけないんじゃない? 趣味とか、ちゃんと教えて下さい!。私は、原田みどり子です。ディーヴァと同期で一番仲良し! 趣味はサイクリング! 華道と茶道は中学からやってます。マナーとしてね。音楽は、あの、、、J-POPなんです。。。すみません。。。彼氏募集中です。(笑)」

「クリス・ジョーンズです。僕もサイクリング好きですよ。ケンブリッジの時はいつも自転車でしたからね。音楽はクラシックが一番好きで、ロンドンプロムは毎年行きます。運動はフェンシングをやりました。今度日本の剣道を習ってみようと思ってます。アレックスと京介はロンドン大学だから、時々仲間外れです。原田さん、今度華道の発表がある時、連れて行ってください。」

「アレックス・ヒューウィッドです。ロンドン支社に連絡してこのまま日本勤務にしてほしいくらい、日本が気に入ってます 。生まれは由緒正しいエセックス・ボーイです。エセックスは変わり者が多いと言われるんですよ。僕はそうは思いませんけどね。僕は80年代のロックが好きです。よくコンサートに行きます。イギリスではクリケットをやってました。あと、乗馬もやります。よろしく。」

「はい、中原京介です。ロンドン経済大を終了してから東大で修士取りました。だからここでは一番年上だよね。26歳です。趣味は車かな。運動はロッククライミング。音楽はジャズとソウルが好きですよ。だからブルーノートにみんなでいくの楽しみです! この5人は、結構仲良く楽しく遊べそうですしね。 調べておきます!」


 なんとも無理矢理のような約束をさせられた杏子は、ふと、賢三との時間のことを考えていた。受験勉強の邪魔はしたくないけど、やっぱり逢いたい。。。まだバイトはしているだろうし、週末は本牧に行きたかったのだけど。。。土曜日に行ってみようかな。


 土曜日の本牧は若い男女のデートに使われていて、結構混んでいる。そこかしこでいい感じのカップルが散策しているように見える。賢三には行くとは言ったけど、何時にとは言わなかった。カウンティング・スターに行くのは久しぶり。


「やぁ、杏子ちゃん、久しぶりだね! 仕事は慣れた? 体調悪かったって賢三から聞いたけど、もう大丈夫? たくさんの『初めて』があって、困惑するんじゃない? 有名な商社だって同じだよね。 賢三は今『ストンプ』に出演者スケジュール見に行ってるよ。そろそろ帰ってくるから、座ってて。何飲む?」

「レモンスカッシュを!」

「杏子!」

賢三はドアを開けるなり、杏子を見つけて駆け寄っていった。お互いを見つめ微笑み合っているのを観ると、なんとも言えない幸せな雰囲気になるので、オーナー夫妻はその瞬間が大好きだった。

「受験勉強はできてるの?」

「学科は大丈夫だって、杏子も言ってたじゃん。今は、ストンプに来るサックス奏者で、芸大のこと知ってる人のレッスンを受けているんだけど、結構気まぐれな人だから、捕まえないとな。。。捕まると、徹底的に見てくれる。彼は受かるレベルだて言ってくれるんだけど、続けて見てもらってるんだ。陽介さんと美津子さんには甘えちゃってるけど。。。」

「バイトはちゃんとやってくれるし、私達も応援してるから、とにかく大学行ってジャズマンになって!」

杏子は嬉しかった。良い人に囲まれている賢三を観て、ホッとした。

「杏子ちゃん、賢三から聞いたけどホイットニーを歌ったんだってね。珍しいね。」

「はい、リクエストに応えなくちゃいけなくて・・・でも、思いっきり酔ってたし、その後パニクっちゃって、過呼吸気味になっちゃって。。。賢三に迎えに来てもらったんです。」

「俺ね、ちょっと提案があるんだけど。。。 杏子ちゃんの会社では、特に今の君の立場だと、多分・・・多分なんだけどね、君の歌唱力は戦力になるんだよね。。。だから使われると思う、それもカラオケで。。。それを断るって、新卒には命取り。健康上の理由って言ってもなかなか理解してもらうのは難しいよ。。。 もちろん君は全然昇進を狙ってないのも分かってる。だから、上手いこと切り抜けるための手段を用意したらいいと思って。 これ、ブルートゥースのインナーイヤホンなんだけど、プロが使うインイヤーモニターだよ。他のこと考えなくて済むようになる。俺達からのプレゼント! 後は真っ黒なサングラスを掛けるとかして、視覚的なパニック要素をできるだけ排除するのはどうだろう?」

「あぁ、ありがとうございます。インモニ、ほしかったんです。それもシュアーのって、高価なのに。。。 どちらにしてもスタジオでも使えるし、すごく助かります。」

「賢三も考えるだろうけど、彼には高すぎるから、俺がって言っておいたよ。そしたらね、我が最愛の妻、美津子さんは彼に同じのをプレゼントするんだってさ! ま、彼には受験後だけどね。もうさ、みっちゃんは賢三に首ったけだよ。。。推し専用の応援うちわ作っちゃいそうな勢いよ。。。俺と結婚してるんだけどな。。。」

「だって、賢三くんは家の稼ぎ頭になりつつあるのよ。彼目当ての女性客の増えたこと! 優しいし、セクシーだし、言う事無しっていう感じ。」

「何から何まで、私と賢三のことを考えてくださって、なんてお礼を言ったら良いか。。。」

「お礼なんていらないけど、今度さ、俺達の結婚記念日に歌ってくれないかな。。。観客は賢三と俺達2人だけ。どう?」

「それなら歌えます。お二人と賢三になら、歌えます。いつですか?」

「今年のはすんだばかりだから、まだまだ先。 賢三くんの受験が終わってからだね。5月だから。 ちょうど良いでしょ?」

杏子は陽介と美津子夫妻の優しさに涙が出そうだった。自分と賢三には、こんなに頼れる素敵な人達がいてくれると確信できた。

「喜んで! お二人のためなら、そして、前に賢三がいれば歌えますから。プレゼント曲は用意しますが、リクエストも考えておいてくださいね!」


 夕暮れ過ぎてからの本牧ふ頭は、潮風とともになんとも言えない香りがする。 久しぶりに賢三と散歩できることが幸せだと思った。人けのない倉庫のはずれまできて、賢三はサックスを取り出し、『Mr. Pastrious』のトランペット部分もサックスに代えて吹いてくれた。気持ちがいい。お酒よりも酔える。このサクソフォニストが私の恋人だと思うと、体が溶けてしまいそうだ。 そこに一人、自分たちの知り合いにはいないタイプの人が現れた。

「よぉ、にいちゃん、いいサックス吹くね。。。 でも、ここは彼女連れてくるような場所じゃないよ。悪いこと言わない、場所を変えたほうが良いよ。にいちゃんのサックスには、酒も薬もいらない感じだからな。」

「あ、すみませんでした。帰ります。」

本牧は、異国情緒も残った素敵な場所なのだけど、侮ってはいけない。危なそうな人も多いけど、素人にはみんな優しい。杏子と賢三は、関内に行くことにした。サックスは吹けないけど、丘の上で夜景を観よう。

 「なぁ、杏子、今日は食い物買って、泊まってかない? ダメ?。。。」

「いいよ! 私も今日は帰りたくないや! 思いっきり抱いて! 賢三!」

「はい!!!」

杏子と賢三が肌を重ねて過ごす一夜は、本当に久しぶりだった。 いたわるように優しく、杏子の潤んだ目を見つめるといつも賢三の心臓の鼓動が大きくなり、大きなため息が出てしまう。こんなに愛おしい人を見つけられて、自分の運の良さを感謝したい気持ちだ。そんな気持ちは杏子も同様で、自分の弱いところも理解して見つめ、守ってくれることの安心感は甘美なセックスを誘い入れてくる。賢三には高校生だからというガッツイたイメージはまったくない。自分は経験の少ない高校生を導く覚悟でいたのに必要なかった。 二人はまたしばらく、こういった時間が取れないことを知っていたので、お互いを愛撫しながら時間が経つのを惜しんでいた。

「なぁ、杏子。 あのときのカラオケバーで、杏子を抱えてた奴、ただの同僚? 外人ぽいやつ。」

「あぁ、中原さんかな? 先輩よ。一緒にいた2人は本物の外人だけど、中原さんはハーフ。お母さんがイギリス人だったかな?音楽の好みも似てるし、結構いい人だけど、研修の外人2人のために英語が使える彼と私が、なぜか抜擢されているらしい。なんで?なにか話したの?」

「いや、お礼を言っただけだけどね。 なんか、あいつ、あんまり良い印象がないんだよな。。。男の勘っていうのかも。。。でも、向こうも俺に同じような感情持ってそうなんだ。ま、関係ないけどな。。。」

「なにそれ!(笑) 大丈夫よ、あの人はもう、引く手あまたで、英語のことだけの関係だから。 私は賢三だけだよ。」

「うん。分かってる。」 港のほうから聞こえる汽笛が心地よく、賢三はもう一度杏子を抱き寄せて、熱く口づけした。

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