第3話

卒論はほぼ完成しているので、就活は思ったように進められる。有名どころの商社は、難関だ。頼りにするのは抜群の英語力にプラスして、他に3ヶ国語をビジネス会話程度には駆使できるというところだった。 なぜ商社にこだわるか? もちろんそれは給料の良さである。 杏子は音楽に関わっていたい、でも、仕事と共有はしたくない。絶対に分けて考えたいという人間だった。


 「山本さんは音楽鑑賞が趣味ということですが、どういったジャンルの曲を好まれますか?」

「はい、私はソウルミュージックが一番好きです。ジャズ全般も論文を書きながらよく聞いています。」

「歌うこともお好きですか? 我が社のパーティはカラオケなどもよく使います。英語の曲など、得意なものはありますか?」

「あまりカラオケに行ったことがないのですが、歌うこと自体は好きです。子供の頃はアメリカで合唱団に入っていましたので、気の合う友人と歌うことは楽しいです。得意なものはランディ・クロフォードの曲などです。」

「おぉ、それはすごいですね。では英語圏からの取引先が来たときには英語でおつきあいできるということですね。」

「はぁ、ある程度ならできると思います。」


そういう質問内容がどこの面接でも同じように展開された。実は杏子はカラオケボックスが大嫌いだった。コンサートホール、特に野外会場などは開放感があって存分に自分の実力を発揮できる。

大手会社の面接官の殆どは、エリートで、英語もそういう発音の練習を重ねている。オクスブリッジかハーバードの発音。。。杏子からしてみると無理やりに頑張っているように聞こえる。 杏子は、気を抜くと黒人のアクセントになっている。ヒップホップなどには最適なアクセントだ。でも、ハーバードとハーレム、オクスブリッジとコックニーが簡単に使い分けることもできる語学の天才。それもアメリカにいるときにイギリス人の友人がいた事、高校はボストンの高校に進んだので、ハーバードのアクセントはお手の物だった。 面接官の中にはアメリカ人やイギリス人もいることがあり、試される。イギリス人はジョークが分かる人が多いので、質問の返答の途中でコックニーのアクセントに替えると、ニヤリとしたり爆笑したり、好印象を与えていたようだった。そういう面接官は、帰りに話しかけてくる。合否が決まってない間は、緊張するが、ハーバードのアクセントで返事をすることにしていた。 案の定、そういう面接官のいた会社は内定をくれた。『今回は見送らせていただきます』と返事が来た会社は日本人のみの面接官で、そういう会社にはフィードバックをお願いする。2社だったが、どちらも『卓越した英語力があるのが素晴らしいが、当社には黒人英語は必要ないと考えます。』というものだった。こちらから願い下げだ。と杏子は憤った。でも、結局は一番良い給料の会社を射止めたので、良しとする。これで、心置きなく音楽に浸れる。賢三にも時間を割いてあげられるのが嬉しい。彼の勉強も観てあげなきゃ。賢三も来年は受験だ。音大に行くつもりなのだろうか?。。。賢三は人当たりもよく、引っ張る力がある。教師に向いているのではないか?と杏子は思っていたが、自分から言い出すか、壁にぶつかってない限り、何も言わないことにしていた。

 賢三の方はと言うと、地獄のように長い時間、杏子に逢えていないと自覚していた。スマホでのやり取りも、杏子はそっけなかったので、信じてはいても不安になるときもある。『忍耐!』という文字を毎日頭に浮かべて、サックスを吹いてごまかすことにしていた。


 「林君、かなり前から気になっていました。最近、彼女さんと分かれたと聞いたのですけど、良かったら私と付き合ってもらえませんか?」

「え? 誰が彼女と分かれたって言ってるの?俺、分かれてないけど。。。同高の人じゃないと、嘘でもなんでも噂にされちゃうんだな。 ごめんね、俺、別れてない彼女いるので、君とは付き合えないんだ。」

「あの、、、彼女のスペアというのでも良いのですけど。。。だめですか?」

「俺、そういう人間じゃないんだ。1人好きな人がいれば、他にいらない。俺のこと好きになってくれてありがとう。そういうわけだから、これで。俺行きます。」

何度同じような告白をされたか。。。そのたびに嫌な思いをしている。。。告った女が泣く、それを応援してた友達たちが冷たい視線を投げかけてくる。。。『やってらんねー!俺のせいじゃねーだろ??』 と何度思ったことか。。。

「林〜、おまえ本当にモテるよな。何人目だよ、告られて泣かした女。。。 羨ましいぜ。。。」

「冗談じゃねーよ! 俺は彼女はいるのよ。やっと就活終わって、これから普通に会えるっていうときに、またこれだぜ。。。嫌な気分にしかならないんだよな。」

「え? 就活って、短大とか?」

「違うよ、大学4年目。5歳年上ってこと。就職が内定決まって、ホッとしてんだよ。」

「すげー年上なんだな。。。」

「そうかもな。。。でもさ、色っぽいし、可愛いし、大人。俺の好みにドンピシャ。もう、ゾッコンなんだ。」

「へぇー、、、オマエがそこまで言えちゃうって、本当にすげー人なんだな。何?ジャズ絡みで出会ったの?」

「そう、ジャズ絡み。でも、彼女はソウルのほうが専門。 俺さ、最近の英語の成績上がったの知ってる? 彼女さ、顔見ないで声だけで聞いているとまるで外人なんだよ。。。アメリカ育ちだしな。」

「そうなんだ! アメリカ育ちなら年下の小僧なんか相手にしてくれなさそうだけど、、、相手にしてくれたんだな? オマエ、やるじゃん!」

「まぁね。。。俺の押しの一手に、やっとYesって言ってくれたんだ。あのときの俺、放心状態だったな。。。よし、今日こそ逢いに行こうかな。」

「いいなぁ、大学生ってことは一人暮らし? もう、やりたい放題じゃん!」

「違う。彼女は実家から通っているんだ。俺が大学行ってからじゃなきゃ、そういうのないんだ。。。まぁ、彼女は淡白だし、しつこくして嫌われたくないしな。」

「うわ、林、可愛そう。。。」

「なんだよ、ちっとも可愛そうじゃないぞ! 彼女さ、ベッドではすごいんだぜ。。。すごいんだよ。。。」

「おい、しっかりしろ!林!!」


 「ねぇ、賢三! お父さんが賢三といっしょになにか食べておいでってお金くれたの。就職の内定祝いかな。だから、普段は行かないところ、、でも私達の好みの雰囲気なところで、ディナーと洒落ようよ! 賢三には良い経験になるはずよ。」

「えー、、、お祝いって俺もしたかったけど、今度なにかあげるから。。。 で、どこにディナーに連れてってくれるの? 普段行かない場所って・・・?」

「丸の内。 コットンクラブよ。まだ新しいし、良い音楽と食事がしっかりできるみたいだし。ブルーノートよりもレストランっていう感じみたいよ。行こう! 賢三はなにも買ってくれなくていいのよ。ただ、そばにいてくれたらそれで。。。」

「よし! 今日は泊まりね! 今から迎えに行くから、支度しといて。じゃね。」

ものの30分で、杏子の家の前にバイクが到着した。杏子の両親は放任ではないが、彼女が選んだ彼氏には絶大な信頼を持っている。たとえ年下で、高校生だとしても関係ないということを杏子には言ってある。杏子がアメリカで苦労したこと、一回り以上も離れた妹ができたために、親はその子に注意が集中したことなど、ちょっとだけ申し訳なく感じているらしい。杏子はそれをなんとも思っていなかった。自分には自分にだけの愛情をもらっていると自覚していたので、反抗期もしなかったし、不良グループとされる友人の中に入ることもなかったが、そういう人たちとも仲良くやっていけるという特異体質というか、ものすごい技を持っていた。両親は杏子を誇りに思ってやまなかった。偏見とは無縁の家族の一員として育った杏子には、誰もが惹きつけられる魅力があったが、杏子にも偏見を持たせられるに十分な人間はどこの世界にも存在する。それをどう頭の中で処理するか、それに長けていたのが山本杏子だった。杏子は強い。

 ヘルメットを渡され、賢三を後ろから抱きしめて乗るバイクは杏子も大好きだった。賢三は天にも昇る気分だと毎回感動してしまう。

「今日は俺が払うからね。もう、どんだけ待ったか。。。」

「え?そうなの? じゃ、ごっちー!(笑)」

賢三は、そこそこモダンな感じの普通のホテルを選んだ。部屋のドアを開けるなり、すぐに『Do Not Disturb』のカードをドアノブに下げた。杏子は笑い転げた。そして二人はベッドにダイブイン、お互いを触って確かめあった。お互いの目をしっかりと見つめ、どれだけ求めていたかを十分に表現していた。蕩け合うように肌を重ね抱き合ったあと、ほんの1時間眠りに落ちた。杏子が目覚める。じっと賢三を見つめる。 あぁ、この子はこんなに優しくきれいな顔をだったんだ。。。まだまだ大きな海綿スポンジのように吸収量がある時期。そんな若者が自分と時を共有してくれるのが最上の喜びだと感じられた。愛おしくて、彼の頬をそっと撫でていた。

「あ、ごめん。なんか満足と安心感で寝ちゃった。。。」

「いいの。ちゃんと眠って良いよ。こうやって賢三の顔を見つめているのが好き。指先で髪をすくのが好き。 賢三なら何でも好きだよ。」

「そう? じゃ、も一回行くね!」

「あ、コラ! もう支度しなくちゃ! 先にお風呂はいるからね! あ、それからコットンクラブはカジュアルだけど、やっぱりきちんとしたいから。賢三もこのジャケット着て。 どうせここに戻ってくるんでしょ? 行きも帰りもタクシーよ!」

賢三は、ハッとした!そうだった、杏子とここに戻ってこられるんだ。ベッドから飛び起き、杏子が入っているお風呂場に入っていった。


 コットンクラブは、関連のブルーノートとはちょっと嗜好が違っていて、高い天井と高級感ある椅子とテーブルで、ブルーノートのようにお酒を飲みながらジャズを楽しむというよりも、どちらかと言うと食事を食べながら音楽を楽しむ感じだった。 多分、お客さんの中で杏子と賢三が一番若いカップルのようだが、杏子はこういう場に慣れていて、全く物怖じしない。賢三はこういう食事を取ったことすらないが、持ち前の親しみやすさと図々しさが、やはり、この高級ジャズクラブに来るにふさわしい人として見られる感じが不思議だった。どちらにしてもジャズ好きに、年齢差を感じる人はいない。ただし、ジャズバーやクラブは18歳未満は入れないほうが多い。 今日の出演はピアノとソプラノサックスの無名なデュオだ。ここに出てくるミュージシャンに下手な人はいないが、新人を使ってくれるという大きな采配に、新しい実力のあるミュージシャンが手を抜くことなく演奏してくれる。

「じゃ、私の就職内定と、賢三の英語の期末試験98点に、乾杯!」

「ウーロン茶っていうのが、ちょっとな。。。せめてノンアルのシャンペンじゃないか? ま、いいか、酒飲めない年齢ってバレてそうだし。。。」

「私は平気よ! この赤、美味しいから一本空けられそうだわ! あ、そうだ、ちゃんとテーブルマナー教えてあげるからね!、まず、ナイフとフォークは外側のものから使うのよ。 食べ方は普段も同じだけど、クチャクチャしないこと! マナーが備わっている人は、どんなところでも堂々としていられる。まぁ、賢三は恥ずかしがったり、知らなくて困ることはないよね。知らなければガンガン聞いちゃうもんね。 それって、良いことなのよ! 『知るは一時、知らぬは一生の恥』というの。よく覚えておいてね。」

「それにしてもピアノとソプラノサックスって、いいな。。。すごくいいな。。。でもって、前にいる杏子もきれいだしな。。。」

「そうよね、少しお洒落したし。賢三もそのジャケット似合うわ。ジャズマンはジャケットが似合うかも。。。すごく大人っぽいし。。。賢三って、イケメンだったのね。。。」

「なに? 惚れ直しちゃった? ソプラノサックス、いいな。。。」

「聞いてないのね。。。ちゃんと聴けてるのはサックスって、賢三らしいわ。(笑)」

良い音楽と美味しい食事。二人は十分に堪能して、二人だけで語り合え、愛し合えるホテルへと帰っていった。

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