第34話 ミステリアスと変人は紙一重



 目の前に立つ人間に思わず背筋がぞっとする。

 知己から聞かされていた噂と見せられた写真、それらが俺の前でぼうっとしている女性の怖さを際立てていた。


「だいじょうぶ?」


 何も喋らなくなった俺を心配してか、先輩が再び俺に話しかける(先輩と言っていいのかわからないが、まあ先輩だろう)。声の凹凸がない、感情が見えてこない喋り方だ。

 いけない、恐怖の感情が頭を鈍らせている。そういった恐怖のせいであることからないことまで勝手に想像させて恐怖を倍増させるのだ。幽霊なんているわけない、いるわけない……よし、もう大丈夫。


 ほら、目の前にいる人も、ちょっと肌が青白くて目が燃えるように紅くて声や表情に感情がなくてただ放課後の誰もいない屋上に現れただけで──いやだめだわ、普通に怖いわ。

 なるべくビビり散らかしていることを悟られないように、声を整えて返事をする。


「あ、大丈夫です、すみません」

「そう、よかった」

「…………」

「…………」


 静寂。先輩はもう話すことなんか何もないといったような感じで突っ立っている。いや、別に俺も話すことなんかないんだけどさ。


「君、なんでここいるの?」


 よくわからない気まずさを感じていると、不意にそんなことを尋ねられた。答えに窮していると、先輩は首を少しだけ傾けた。


「ここ、立ち入り禁止のはずだけど」


 マジか、そんな話聞いたことなかったんだけどな。

 そう言うと、彼女は首を更に傾けて、


「そうなんだ、ルール変わったのかな?」

「ていうか、立ち入り禁止だったら先輩も入ってきたらダメなんじゃ?」

「大人はズルい存在だから、私はいいの」


 何とも理不尽なルールである。

 しかし、この女性は本当に感情がないのだろうか。会話の中でも全く表情を変えずに、淡々と喋っている。何だかロボットと喋っているみたいで気味が悪い。


「えと、先輩はここで何してるんですか?」

「別に」

「は、はあ……そうですか……」


 会話終了。俺にはこの人と会話を続けることもできそうにない。


「あ、思い出した、君」


 不意に、先輩が声を上げる。少しだけ感情がこもっている、ような喋り方だった。


「屋上から変な紙撒き散らしてた子だよね」

「それは俺の黒歴史なので触れてくれない方がありがたいです」

「そうなんだ、ごめん」


 全く悪いと思っていないようなごめんだった。


「それで、ここで何してるの?」

「ちょっと調べ物してて……」

「なに?」

「いやその、校内の噂というか、七不思議というか」


 俺の言葉に先輩は、変なの、とだけ言った。よく見ればその手には焼きそばパンが握られている。放課後に屋上で焼きそばパン食べる美女って何だ。


「噂って、お化けが出るってやつ?」

「知ってるんですか?」

「まあね」


 どうやら噂について知っていたらしい。まあ、自分についての噂だったら気づくか。


「最近屋上に来る生徒が多いから」

「……いつも屋上にいるんですか?」

「…………」


 無言。あれ、なんかちょっと危なげな匂いしないか? 

 結局先輩は俺の問いには答えず、焼きそばパンの包装を開け徐に食べ始めた。もっちゃもっちゃと動く口元は、無表情な顔と相まって何だか少し面白い。


「先輩の名前ってなんですか?」

「うぁふゆ」

「食べ終わってからでいいですよ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 味わって食べ過ぎでは? 

 先輩が口の中のものを飲み込むまで待つことにする。

 しばらくすると、彼女の白い喉がこくんと動いた。そして口を開く。唇についた青のりを舐めた彼女の舌は健康的なピンク色だった。油で光り輝く彼女の唇はやけに艶かしい。


「真冬」


 ……。


 どうやら苗字は教えてくれないらしい。まあ、別にいいんだけど。

 しかし真冬、か。なるほど、そう言われれば、静けさを纏いながら佇む彼女は、全ての音を吸収する重い雪をしんしんと降らしながら沈んでいく冬の森のような印象を抱かせた。


「君の名前は?」

「彰です。榎本彰です」

「ふうん」


 心底興味のなさそうな声だった。気がつけば焼きそばパンは全て彼女の口の中に消えていた。


「言っとくけど、私は人間だよ」


 不意に真冬先輩はそんなことを言った。

 そして徐に手を伸ばし、俺の右手をぎゅっと握ってきた。暖かく柔らかな肌だった。この青白い肌のどこにそれほどまでの熱が隠されているのだろう。


「ほら、ちゃんと触れる」

「そ、そうですね……」

「周りの人にも言っといて。何人も屋上に来られるのは困る……」


 手を離される。今まで真冬先輩に触られていたところが熱を持ったみたいに熱い。そして気づけば焼きそばパンの包装紙が俺の手の中にあった。どうやら捨てろということらしい。もしかしなくてもパシリに使われてる?


 真冬先輩を見ると、どうやらご飯を食べたので眠くなったらしく、目を擦っていた。何とも自由な人だ。


「あ、じゃあ俺はそろそろ帰ります」

「うん」


 そう言って屋上を後にする。後ろを振り向くと、小さく手を振る真冬先輩が見えた。


 なんか変な人だったな。

 階段を降りながら呟く。幽霊ではなかったとはいえ、あんな人間がいきなり出てきたら違う形で噂にはなりそうである。


「あれ、そういえば」


 ふと思い出す。俺が屋上から紙をばら撒いたという事件は知っていたのに、何で俺が話しかけたことがなかったんだろう。一応全生徒には話しかけたつもりだったんだが、真冬先輩は何年生の何組なのだろうか。


 少し気になって、階段を引き返す。


「すみません、真冬先輩、ちょっと質問──あれ?」


 そう言いながら屋上のドアを開けたが、そこには文字通り人一人いなかった。

 生ぬるい風が、俺の手の中にある焼きそばパンの袋を撫でていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【悲報】10年間ツンデレだと思っていた幼馴染に本当に嫌われていた じゅそ@島流しの民 @nagasima-tami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ