第3話 運命の日 ②
何とか午後の授業も全て終わらせて、放課後になった。
いつもならすぐに家に帰るか、ファストフード店などで駄弁りながら時間を潰すのだが、今日はそんなことをしている暇などない。
俺は立ち上がり、涼夏の席へ向かう。
「おーい、ちょっと今いいか?」
「……いいけど」
こちらを振り向いた涼夏は、困惑した表情で頷いた。こちらを見上げる、長い睫毛が少し揺れている。
まあ、いつも放課後に話しかけることはあまりないから驚いているのかもしれない。
菫色の瞳が静かに、しかしながら確かに揺れている。
「まあ、とりあえず屋上ででも話そう」
「わかったわ、すぐ行くから先に行ってて」
俺の言葉にこくりと頷く涼夏。
ほら見ろ、どこが避けてるっていうんだ。
教室を出て屋上を目指す。後方からクラスの女子の「大丈夫だった? 何もされてない?」という言葉が聞こえてくる。ホントに失礼な奴らだな。
階段を上り、屋上へと歩いていく。放課後になり、廊下は喧騒に包まれている。しかしすぐにここも静かになるんだろう。
少しだけセンチメンタルな気分に浸りかけていたが、廊下でイチャコラしているカップルを見かけそんな気分も爆散する。さっさと帰れ。
屋上のドアを開けると、暖かい日差しが階段の踊り場を照らした。
屋上は光で溢れていた。放課後に屋上に上ってくるような生徒はいないらしく、そこには俺以外誰もいなかった。
微かに涼しさを感じる風が吹いており、フェンスを小さく揺らしていた。
遠くから校庭を走る運動部の声が響いてくる屋上は、どこか閉鎖的な空間にも思えた。制服の裾を揺らした風に乗って、桜の花弁が一片飛んできた。一体、この校内のどこに桜の花びらが残っていたのだろうか。校庭を見渡してみるが、木々についているのは不気味な程に力強い緑の葉だけだった。
そんなことをしながら時間を潰していると、階段を昇ってくる音が微かに聞こえてきた。少し時間がかかったが、身だしなみでも整えていたのだろうか。
トイレの鏡を見ながら精一杯オシャレをしている涼夏、可愛いね。
次第に、特徴的な青みがかった髪が見えてくる。
陽の光が当たらない踊り場に立った涼夏は、一際目立って見えた。涼し気な影の中の彼女は、この世界の何ものよりも透明のような気がした。青白いと形容して良いほどに透き通った肌は、影の中では少し陰鬱な雰囲気を見せる。
屋上に一歩踏み出し、そのひんやりと冷えていそうな体を陽だまりの中に投げ込んだ彼女は、風で靡く髪を手で押さえながらこちらに歩いてきた。
「ごめん、遅くなって」
こちらをじっと見ながら放たれた彼女の言葉は、やけに屋上に響いた。
やばい、なんか緊張してきた。知己や智には偉そうにしていたが、実はこうやって面と向かって話すのは結構久しぶりなので、どのように会話を切り出したらいいかわからない。最近は大抵俺が話しかけて涼夏が二、三言返してくれるのが当たり前になっていたせいだ。
喉が渇いて仕方がない。脳内で組み立てていた会話のパターンが全て消し飛んだ。
「何かあったの?」
「あ、いや、特に大事な用事とかはないんだけど……」
俺の言葉に涼夏が首を少し傾ける。何かを考えるときに彼女が見せる、小さい頃からの癖だった。
それを見ると、やはりこの美少女は俺の幼馴染で、小さいときからよく知っている相手なのだなあと改めて思わされる。首を傾げた彼女を見ると、少しだけだが、緊張がほぐれた気がした。
「ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
「ちょっと友達とかに聞かれてさ、俺と涼夏との関係」
「関係?」
「うん、いや、ホントに些細なことなんだけど」
「だから、何?」
マゴマゴと言い淀む俺に、きっぱりとした口調で尋ねる涼夏。怒っているような口調だが表情に変わりはない。昔から少しだけ不愛想なところがあるのだ。
涼夏の言葉に背中を押される形で、俺は口を開いた。
「あのさ、涼夏って、ツンデレ?」
自分で聞いておいてなんだが、なんともおかしな質問である。
尋ねるような形の文章になったが、俺的には答えはほとんど決まっていた。というか、俺の中のツンデレ像ならこう答えるだろうなという答案がずらりと揃っているのだ。
だからこそ、それらのうちのどれかを言うのだろうななんてことを考えていた。
だが結果的に、その予想は裏切られることになる。
「ツンデレって、なに?」
俺の問いかけに、涼夏は不思議そうな顔をする。
「いや、ツンデレってほら、好きな人には不愛想になっちゃう子のことで」
「いや、ツンデレって言葉自体は知ってるけど……何でそれが私? 誰に?」
ますます不思議そうな表情で首を傾げる涼夏。
あれれ、なんか、俺が想像していたのと違う反応だ。てっきり「つ、ツンデレって、私があんたに!? そ、そんなわけないでしょ!」みたいな感じかと思っていたのだが、驚くほどに落ち着き払っている。
おかしい、ツンデレだったのなら、ツンデレであるかと問われたときには焦らなくてはいけないはずなのに。
俺の頬に汗が一筋流れていく。
「その…………まあ、俺……?」
「私があなたに、ツンデレ?」
「いやその、最近ちょっとそっけなかったし、話しかけても冷たいって感じの対応だったから、もしかしたらそうなのかなーって思っただけであって、別に深い理由はないんだけど」
やばい、めっちゃ早口になってしまった。
焦る俺とは対照的に、涼夏はひたすらに落ち着き払っていた。しかし、その表情はどこか気まずそうだった。
少しだけ躊躇う素振りを見せた後、涼夏は口を開いた。
「えーっと……ごめんなさい、私、ツンデレとかそういうのじゃないの……」
「………………え?」
ぺこり。俺に頭を下げる涼夏。彼女の旋毛は左巻きだった。
ぐにゃあと視界が歪んでいく気がする。あれ、この子、今なんて言った? ツンデレじゃ、ない……? あれ、じゃあ俺は一体今まで何を……?
「あの、じゃあなんでいきなりそっけなくなった、んですか?」
「それはその……ずっと話しかけられてて、ちょっと面倒くさかったというか……ごめんなさい」
別に嫌ってるとかそういうわけじゃないんだけど、と涼夏は言葉を続けるが、もう俺の耳には入っていない。
体中の力が抜けていく。もう立っているのもやっとだった。
涼夏は別にツンデレじゃなく、そっけなかったのはただただ俺のことが嫌だっただけ。
その事実が胸に深々と突き刺さる。あ、やばい、これは立ち直れないかもしれん。
「あの、話って、それだけ?」
「ア、ウン……」
「あ、なら、私そろそろ行くわね。バスの時間もうすぐだから……」
「ア、ウン……」
足音、そしてドアの閉まる音。
運動部の掛け声が、屋上に空しく響いていた。
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