第16話 有難い
童謡、唱歌、子供達の為に作られた歌。
そして民謡など。
彼は民俗学の研究者でありながら、その傍らで童謡、唱歌、民謡などの研究もしている。
唱歌。
それは、西洋の音楽を取り入れたもので、音楽教育の一環として作られて来たものである。
明治以降の話になる。
民謡とは。
その地域の生活の中で生まれた来たもので、現在まで伝承されて来たものである。
民俗学が研究として認められて来た頃には、フィールドワークなどで多くの研究者によって各地の埋もれていた民謡が世間にも知られるようになってきた。
勿論、移動手段の便利さや、出稼ぎ労働者によるものもかなり多い。
古くは平安時代からある労働歌、当時に音階があったかどうかは疑問である。
強いて言うならば、詠う、に近い。
そして、子守唄や、祝い唄。
この頃になると音階が既に出来上がっていたようではあるが、伴奏のない手拍子中心の歌である。
そして童謡。
これも教育の一環として作られてきた歌でもあるが、その中でも一線を画した特別な存在がある。
童歌である。
これは民謡と似たところがあり、伴奏は無い。
さらに民謡と似ているところは、各地域で伝承されて来たものが多い、と言うことである。
唱歌は、政府の考えもあり、伝承というものは皆無に等しい。
では、民謡と童謡はどうであろう?
童謡についていうならば、当時の世相を歌った悲しい歌もあるが、童歌は違う。
地域に根ざした物語が語り継がれている節がある。
童歌と民謡
そこには、その土地で暮らして来た人々の悲哀の物語が多い。
祝い唄もそうだと言えば、そうかもしれない。
その貧しい暮らしの中での爆発的なものを感じる。
労働歌、西洋風に言えばワークソング。
彼にとって、海外のことはあまり研究はしていないので分からないが、子守唄であれば、「ゆっくりと眠りなさい、良い夢を見れるよ、明日はきっと良い日よ」などが多い。
但し、ワークソングの中には、奴隷達の悲しみ、いや、それ以上の怒りさえ感じれる時がある。
労働歌、日本では各地の労働者や、強制労働で虐げられた者達の悲しい歌が殆どである。
勿論、子守唄にも子供達に歌い聞かせる悲しみの物語が多い。
一体、日本という国は、繰り返される世界の歴史。
完全に消滅させたい物語。
酷いでは言葉が足りない物語である。
彼が、庭に面した書斎で研究をしていると、庭から子供の歌が聞こえたきた。
歌詞が少し違うが、それでも彼は『あは!」と笑い、癒された気持ちになる。
歌手は彼の幼い息子である、
トンボのメガネは金色メガネ
ご先祖さーまーを見てたからー
見ーてたからー
「おいおい、ご先祖様って、お前は仏教徒か!」
と彼はツッコミそうになるが、
「有り難や」
静かに、今ある生活に両手を合わせた。
本当は有ることさえも難しい、この世界で生きていることに感謝をした。
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