やっぱりこの息子が好き

中央文藝部

第1話

 思えばこの子には、お腹の中にいる時から、手こずらされてた。切迫流産で入院、結局は早産で産まれた。週数が早い為、保育器に1週間ほど入った。

2つ違いの兄がいる、我が家の次男だ。


 大した怪我も病気もせず、いや、39度の熱が3日続いても元気だった事がある。「これで食欲もなく元気もなかったら紹介状書いて大きいところ行ってもらうんだけどねー」と町医者に言われ、何それ!と思って他の小児科に行ったらすぐ点滴だった。


 幼稚園では、女子のキーホルダーを壊しただったか、呼び出しがあった。でも、ずっとおしゃべりしてます、とおおらかな先生は笑ってた。

 

 小学校では、友達とケンカしたとか学校からよく電話があった。「私の事、クソババアって言いました!」とも年配の先生に言われた。でも、卒業式にインフルエンザの病み上がりで参加した息子は式の途中で倒れ、クソババアと言った先生がずっとめんどうを診てくれて先生と私は無言で泣きそうだった。


 中学校では、英語の先生に反抗したとかで担任と副担任が家庭訪問にきた。「オレ別に内申書とか気にしてねーし」だったかな、捨て台詞。でも三送会では、一年生の数名でステージで出し物やったり、育児休暇に入る先生のお別れ会では会を仕切って芸をするようになった。主人の転勤で引っ越すと担任の先生に話した時、先生は「寂しくなる」と言って、男泣きしていた。お別れ会は、学年全体でやってくれた。みんなからのメッセージは「笑わせてくれてありがとう」が1番多かった。


 高校では、部活内でケンカして、普段の行いの悪さから12日間の自宅謹慎になった。1日おきにいろんな先生が家庭訪問に来た。山のような課題と反省文を原稿用紙3枚分。反省文は私がワードで書いたものを書き写した。でも、そこから猛勉強の末、一般受験で大学合格。進学校ではない公立校から、偏差値20くらい上げた。卒業式で7年ぶりの現役GMARCHが出ました、と壇上で進路指導主任が言っていた。若い担任も卒業式後に挨拶したら目に涙を浮かべていた。手に余る生徒だったと思う。もちろん予備校では、学年最下位レベルからの衝撃の大逆転と大騒ぎだった。


 今月、成人式だった。20年間、いろんな事があった。反抗したり、揉めたり、怒られたり。

自分の子だったら大変そうだけど、そのキャラ好き、とよくママ友に言われた。最後は大人たちを感動させて泣かせてきた。ちなみに成人式に着るスーツはバイト先の予備校に忘れてきて、前日の夜に私が車で取りに行くという、最後の最後も手こずらされる。


カレンダーをめくった。来月、次男の欄に「引越し」と書いてある。大学の校舎が遠いので、一人暮らしをする事になった。

とっくに親離れしている息子だ。寂しく感じるのは私の方なのだ。

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