第56話 脱出大作戦!その2

 侍女が布団を掴んだのがわかる。


 リリアナは全身をこわばせた。


(バレたら連れ戻されちゃう……!)


 少しの時間を損失する程度なら問題はない。けれど、こっそり外に出ようとしたことが分かれば、警備が厳しくなるに決まっているのだ。


 警備が厳しくなればなるほど、リリアナが屋敷を抜け出す穴はなくなっていく。


「バレましたか?」


 ロフの返事は実に爽快だった。


「実はお嬢様のお気に入りのぬいぐるみに紅茶を零してしまいまして。お嬢様が眠っているうちに洗おうとしていました。どうか、ご内密に」

「あら、そうだったのですね。では、知らないふりをします」

「ええ、私の名誉のためにもそうしていただけると助かります」


 足跡が遠のいていく。リリアナはふう、と息を吐き出した。


(こんなに緊張したのは久しぶりだわ)


 最大の危機は過ぎ去ったようだ。布団の塊を持つロフに声を駆ける侍女は多くいたが、みんな仕事が残っているのか、二、三言葉を交わすと満足して去って行く。


 どうやら、思っていた以上に、ロフは人気のようだ。理解できなくはない。綺麗な顔立ちをしているし、いつも笑顔だからだ。グランツ家の男たちよりも親しみやすく、同じ立場の同僚ということもあるのかもしれない。


 嫌われているよりは仲が良いに超したことはない。


 しかし、今日のような事態の場合はそれが裏目にでたような気もするのだ。


 使用人たちがロフに話かけてくるたびに、リリアナは気が気でなかった。対してロフはどんなときでも飄々としていた。それすらもロフの想定内だと言わんばかりだ。


 布団の隙間から入る光が少なくなったとき、ロフが布団を床に下ろす。


「お嬢様、つきましたよ」


 彼の合図に勢いよく布団から顔を出す。大きく息を吐いた。


「ありがとう。じゃあ、あとのことは任せたから、よろしくね。絶対、部屋には誰も入れないで」

「わかっております。お嬢様は不貞腐れて眠ってしまったのですよね」

「語弊があるけど……。そういうことにしておいてもいいから私が戻るまでは死守するのよ?」

「畏まりました。この命に代えましても」


 ロフはリリアナの目の前に膝をつくと、恭しく頭を下げた。


「……命には代えなくてもいいけど。お父様にバレたら、命の危機には陥るかも」


 彼が普通の人間であったならば、リリアナはこんな無茶なお願いはしなかっただろう。失敗したらリリアナは怒られる程度で、首が飛ぶのはロフだからだ。


 しかし、彼は仮にも魔王。十日後には力を取り戻す。彼なら、首の一つや二つ飛んでも、何食わぬ顔で執事をしていることだろう。そんな、絶対的な信頼があった。


「お嬢様、お気をつけください。お嬢様に聖女の力はありますが、その身体はまだ幼い子どもなのですから」

「うん、幸い私の顔を知っているのはこの屋敷の人の他には数人しかいないし、大丈夫でしょう」


 リリアナはリネン庫を飛び出すと、真っ直ぐ西へと向かった。グランツ邸は敷地内を背の高い塀で囲まれているため、正門と裏門意外に出入り口はない。南には正門が、北には裏門がある。敷地内に出入りをするためにはそのどちらかを使うしかないのだが、もう一つだけ方法がある。


 西の端には馬小屋がある。グランツ邸では馬車を引く馬の他にも、多数の馬を飼育していた。馬車は正門から出入りするが、馬を走らせるための出入り口がある。そこを使うのは馬の世話をしている者か、馬に乗る人間だけ。


 リリアナは庭園を抜け、馬小屋へと近づいた。


 馬小屋は二棟ある。二棟の馬小屋のあいだの道を真っ直ぐ行ったところに出入り口はあった。馬小屋のあいだを通る他、その出入り口を使う道はない。


 そっと馬小屋の中を覗いてみると、使用人が馬の世話をしているところだった。楽しそうな鼻歌と、水の音。馬の鳴き声が馬小屋から響く。


 少しくらい音を立てても気づかれずに抜け出せそうだ。


 しかし、馬を世話する使用人が一人とは限らない。そして、音に敏感な馬がリリアナに気づいて騒ぎ出すことだって考えられた。慎重に歩を進めた。


 音を出さないように。周りに誰もいないことを確認しながら、まっすぐ出入り口に向かってゆっくりと歩をすすめる。


 幸いリリアナの足音は使用人の鼻歌と水音にかき消されたようだ。おとなしい馬が多いのか、鈍感な馬ばかりなのかはわからないが、リリアナの存在を使用人に訴える馬はいない。


 出入り口の扉に手をかけたリリアナは、ふう、と息をついた。


「おい」


 肩に載せられた手。低い声。リリアナの心臓が大きく跳ねる。

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