第53話 頼りにならない執事

「人を喰らう毒?」

「ええ、聖なる光の恩恵を受ける聖女と、闇の力を秘める魔王。私たちは少しばかり他とは違います。それはわかりますか?」

「なんとなくはね」


 リリアナは自分が特別だと思ったことはない。両親がいて兄妹もいる。他の世間一般でいうところの貴族の娘で人間だ。


 しかし、『穢れ』に対抗する力を持った唯一であることも理解していた。前世で聖女として生きたとき、他に誰も同じ力を持った者が現われなかったからだ。


「人間の体内は絶妙なバランスによって保たれております。少し闇の力を受けただけで均衡は崩れ、『穢れ』という病に侵されたように」


 リリアナはロフの言葉に相槌を打った。


「『聖女の雫』はそんなバランスを崩す『穢れ』を打ち消すことに有効でした。では、『穢れ』を持たない人間が飲んだらどうなるでしょうか」

「『穢れ』がなければ癒やしの力は……」


(考えたこともなかった)


 今まで『穢れ』から人を救うことばかり考えていたのだ。『穢れ』を持たない人が『聖女の雫』を飲むことなど考えたこともない。それは、必要がないからだ。


 健康なのになぜ、『聖女の雫』を飲む必要があるのか。リリアナは前世のころから知っている。『聖女の雫』は『穢れ』にしか効果がなく、他の病を治すことはできない、と。


 それは経験的なものからだ。ある村人を『穢れ』から救ったあと、別の病で彼はなくなった。そのとき、「聖女の力で救えるのは『穢れ』だけなんだ」と悟った。


「強すぎる薬は毒にもなります。あの女性は『聖女の雫』を飲んだあと、体調が悪化したとおっしゃっておりました」

「……つまり、まだこの世には『聖女の雫』は残っていて、それを間違えて飲んだ人が私の癒やしの力に侵されている……?」

「その仮説が一番、有力かと」

「とにかく、まずは調べてみないとね」


 見知らぬ人間の言葉を信じるほど、リリアナは純粋ではなかった。何が本当で何が嘘なのか、リリアナにはわからない。


 それは、前世で真実だと信じてきたことが、嘘だと知ってしまったからかもしれない。


「よし、街に出て調査するわよ!」


 リリアナは窓の外を見た。いまだ屋敷の外、鉄柵の向こう側は騒がしい。聖女が街に出るとなれば大騒ぎになるだろう。まず、屋敷の者が外に出ることを許さないだろう。


 聖女騒動以来、屋敷の周りには兵が配置され、五歳の猫の子一匹通る隙間がない。


 しかし、リリアナには奥の手があった。


「ロフ、力を貸して」


 リリアナはロフに手を伸ばす。魔王の力を使えば屋敷の者には気づかれず、安全に街に出られるに違いない。なんなら、街の者にもその存在を感づかれない可能性がある。


 いつもダメダメと言っている魔王の力。こんな時ばかり力を貸せというのは都合のいい話なのかもしれないが、緊急事態だ。


 ロフはいつもの笑みをリリアナには向けた。


「無理です」

「助か――……え? 無理!? ただ、みんなにバレずに屋敷から抜け出すだけだよ?」

「はい。難しいです」

「人体に影響が出るとか?」

「いえ、その程度では人体には影響は全くございませんが……」


 ロフが視線を彷徨わせる。雲行きが怪しい。


「……が?」

「今の私はほとんど人間に近い状態でして」

「なんで!? さっきまで立派に魔王してたじゃない?」


 調理場に現れた女からリリアナを守ったのはつい先程。女の動きからして間違いなく魔王の力を使っていたはずだ。


 それに、『聖女の雫』を自ら飲んで、その危険性を証明――。


「まさか」


 リリアナは空になったティーカップに視線を移した。ティーカップ一杯分の『聖女の雫』

 。『穢れ』を患った人間が五人は助かる量である。


 ロフはうっとりとした様子で笑みを深めた。


「はい、思ったよりも刺激的だったようです。私の体に流れる闇の力を八割ほど吸収しました。ああ、これは癖になりますね」


 リリアナは頬を引きつらせた。なんとも趣味が悪い。悪すぎる。


「こうなることわかって飲んだの?」

「そうですね。少しは削られるかと思いましたが、ここまで癒やしの力が強くなっているとは想像もしておりませんでした」

「そんな危険な物飲まないでよ!?」

「人間だってお酒を飲むでしょう? 飲みすぎれば体を蝕む毒になりますよ。でも、つい飲みすぎてしまうんですよね。わかります」

「そんなの、わからなくてもいいの! それで、どのくらいで回復するの?」

「そうですね。おそらく十日。運がよければもう少し早いかもしれませんね」

「十日……!」


 リリアナは思わず叫ぶ。待つという行為に十日という期間は長すぎる。


「十日か。さすがに十日放っておくわけにいかないわよね……」


 もしも、『聖女の雫』が残っていて、誰かの命を脅かしているのだとしたら一大事だ。知らぬ存ぜぬを決め込むこともできるが、前世の自分がまいた種ならば、自分で刈り取らねばならない。


「かくなる上は……」


 扉の向こう側を見つめる。五歳の子ども一人ではこの屋敷の外に出るのは難しい。ただの人間と変わらない状態のロフを連れる場合、一人以上に目立ってしまう。


 この屋敷の決定権を持つものは一人しかいない。


「ロフ、シュークリームを持ってきて。それくらいは大丈夫でしょう?」

「諦めておやつの時間になさいますか?」

「そんなわけないでしょ。それと、お父様が好きなお茶も用意してね」


 リリアナは笑みを浮かべた。

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