第48話 聖女を求める声
正門の柵の向こうに集まった人、人、人。どの顔も見たことはない。
興味本位できたものが五割。彼らは有名人でも見つけたかのように嬉しそうに目を輝かせた。
礼拝が三割。あの忌まわしい出来事から五年。本人の知らぬ間に、聖女は神にも近い存在になったのだろう。彼らは両手を合わせ、瞳を潤ませている。
人間ではなくなったような妙な感覚。私を殺し、公として生きよと言われているようで苦しかった。
残りの二割は今まさに聖女の奇跡を欲している者たち。一人が正門の鉄柵を掴み、声をあげた。それに呼応するように、各々が主張を始める。
「聖女様! どうか! どうか妻をお助けくださいっ!」
まるで、檻の中の猛獣のように。鉄柵を全身でゆらし、リリアナに手を伸ばす。
ロフがリリアナを護るように一歩、後退した。
「この子を! 息子は病気なんです!」
鉄柵の前に突き出された赤子に、リリアナは目を細めた。泣く気力すら無くした赤子は虚な目でリリアナを見る。
(そんな目を向けても……)
リリアナにはどうすることもできなかった。『穢れ』であれば聖女の力で癒せばいい。しかし、赤子から『穢れ』は感じられない。おそらく、何かしらの病気なのだろう。
(いつから、みんなが聖女は万能だと勘違いしたんだろう?)
聖女の力に病を治す力などない。『穢れ』は聖女の力をぶつければ中和し消える。けれど、病にも傷にも全く効かないのだ。
善意だけで世界中の病を治して回ることはできないので、万能でなくてよかったと思う。もしも、病も治すような優れた力であったのならば、持て余していただろうから。
ここに集まる人を見る。前世のことを思い出すには十分な状況だ。大切な人を守りたい一心で、『穢れ』を癒やした日々。今、大切な家族はたった二人だけになってしまった。
この状況で、冷静でいられるのは、鉄柵という守りがあるからか。それとも、抱き上げている男の存在の大きさゆえか。
リリアナは小さく息を吸った。ここ一番の笑みを浮かべる。子どもらしい無邪気な笑み。これを習得するのに、鏡の前で何度も練習したことか。
「ロフ、なんでこの人たちはここにいるの?」
「みな、お嬢様にお会いしたいのですよ」
「ふーん」
リリアナは興味なさげに返事した。鉄柵の一番前で必死に赤子を抱きかかえる女と目が合う。ここに運ぶくらいなら、治療院に運んだほうがマシだというのに。
「聖女様、どうか、私の息子をお助けください」
神にでも祈っているかの如く、震える声で女は言う。誰しもがこの女とリリアナを見守った。誰もが想像しただろう。赤子に手をかざし、病を治癒する聖なる姿を。
リリアナはその妄想を一掃するために、一拍おいて返事した。
「いや」
「……え? ……そんな。このままでは死んでしまうのです! 息子を! 息子を助けて」
「いやよ。私に関係ないもの。ロフ、この人たちのせいでお外に行けないのでしょ? 全員追い払って」
「そしたら、この子はどうなんですか!? 聖女様しか治せないのに!」
「私、聖女じゃないもん。知らないよ。ロフ、あの人うるさい。人がいっぱいいるから楽しいことがあるのかと思ったら、何もなかった。ロフ、お部屋に戻ろう」
リリアナはロフを見上げた。理解したとばかりにロフは笑みを返す。
聖女が万能ではないことを広めるのは難しい。救いを求めて生きている人間にとっては尚更だ。聖女様ならば救ってくれるかもしれない。そんな期待を吹き飛ばす方法は一つしか思いつかなかった。
悪に徹すること。
噂は正しさを持っては流れない。必ず、繋いだ人の想いが入りこむものだ。ならば、希望すら打ち砕くような悪になればいい。
「魔女! こんなかわいそうな赤子を見捨てるなんて! 前の聖女様は絶対にしなかった! おまえは聖女なんかじゃない! 魔女だっ!」
「やっぱり、魔女の子は魔女なのよ! 聖女なんて嘘だわ!」
人の放つ悪意は呼応する。ただ興味本位で来た人も、水を得た魚のようにリリアナを罵った。
(こいつら、私が子どもだってこと忘れてるんじゃないの?)
子どもに対して放っていい言葉ではない。けれど、リリアナが望んだ通りになった。
鉄柵に背を向けたロフは罵声に顔を歪める。飄々とした男でも表情を保てないほどの暴言だということだ。
耳障りな罵声を聞き流し、リリアナは小さくため息をつく。ロフの肩越しに、鉄柵の向こう側にいる者たちを見る。
ただの興味本位で来た五割は嬉々として話すだろう。「あれは聖女なんかじゃない。魔女だ」と。聖女を信仰している三割はリリアナが聖女であると信じることはできないはずだ。やはり、「あの子どもは魔女に違いない」そう、言うはずだ。
きっと、明日にはこの屋敷を訪れる人はグッと減る。普通の人生は送れなさそうではあるが、静寂は訪れるだろう。
(さらば、普通の女の子としての生活。さらば、お茶会……)
「魔女は消えろ!」
「裁きにあえ!」
ロフに話しかけようと見上げたとき、視界に石の塊が飛んできた。
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