第43話 ルーカスの困惑2

「お父様……えっと」


 リリアナは困ったようにルーカスを見上げる。彼女はまだ五才で状況が理解できていないのだろう。突然大人たちに囲まれて、困惑している様子だ。


 大切そうに抱きしめるのは、妹が大切な相棒だと言っていた一匹の白イタチ。妹の幼いころが脳裏に過ぎった。


 ルーカスは何も言わずに、リリアナの頭を撫でる。


 少し離れたところで立ち尽くすロフを睨む。なんのために執事として付いてきているのかわかっていないのだろうか。ロフは仕事はできるようだが、まだ若い。あと二、三人護衛をつけたほうがよかったと後悔した。


「グランツ卿」


 声をかけられて、振り返る。多くの者が頭を下げている中、一人だけまっすぐルーカスとリリアナを見つめる者がある。――第一王子ユリウスだ。


「第一王子殿下、ご機嫌麗しゅう。略式の挨拶で申し訳ございません」

「よい、新たな聖女を優先するのは当たり前のこと」


 ルーカスは頭を下げた。ユリウスがリリアナに視線を移す。腕の中のリリアナの体がわずかに強張った。彼の近づく顔をリリアナから遠ざけるように一歩、二歩と後ずさる。五年分の落ち葉が湿った音を上げた。


「ここは聖女の――妹の庭園ですが、なぜこちらへ?」

「日課の散歩をしていたところでした」


 ユリウスはなんでもないと言った様子で笑った。しかし、その瞳はまっすぐリリアナを映している。


 王族がいてはロフも何もできない。ルーカスは小さくため息を吐き出した。たとえリリアナを守るのが役目だったとしても、王族に楯突くことは難しい。下手に動けばロフだけではなく、リリアナにも類が及ぶ。


 王族に楯突くことができる人間がいるとすれば、それは聖女くらいだろう。しかし、その聖女も今はいない。


「このような何もない庭園の端へ?」

「ええ、ここは人も少なく空気が綺麗ですから。そうしたら、聖女様の庭の扉が開いているので、驚いて確認に参ったのです」

「そうでしたか。娘も迷い込んでしまったようです」

「こちらは、グランツ卿のご息女でしたか。どおりで似ているわけです。……聖女様に」

「殿下は何か勘違いをしているようです。娘は聖女ではありません」

「しかし、私は確かに彼女から聖女の暖かな癒しの光を見たのです。今日、力が発動した可能性もありますね」


 ユリウスは笑みを深めた。


「それに、この庭の入り口は聖女様しか開けられないと、生前お聞きしたことがあります。そして、その白き聖獣の存在。……リリアナ嬢は聖女様の力を継いだのでは?」


 今日のユリウスは饒舌だった。彼はどちらかというと無口なほうで、国王や王妃、他の兄弟の顔色を伺う節がある。王族が誰もいないからそうさせるのか、ルーカスには判断がつかなかった。


 ただ、彼のリリアナを見つめる目を見過ごすことはできない。


「世界は妹が平和にしました。娘が聖女の力を受け継いだとしても、なんの意味もないでしょう。予定があるので、そろそろ失礼いたします」

「聖公爵ともなると忙しいのでしょう。……リリアナ嬢、またおいで」


 ユリウスは白い腕を伸ばし、リリアナの頭を撫でた。リリアナがルーカスの服を強く握る。リリアナは、ユリウスの言葉には何も返さなかった。


 どんな相手にも臆せず声をかけるリリアナにしては珍しいことだ。ルーカスは表情をみじんも変えずに小さく頭を下げた。


「もうしわけございません。まだ幼いもので」

「幼い子に礼儀を強要するつもりはない。彼女が聖女なら尚更」

「殿下、何度も申し上げますが、もう“聖女”は世に必要ありません」


 ルーカスは、「では」と短く言うと、聖女の庭園を後にした。腕の中のリリアナはホッとした様子で、白イタチの頭を撫でる。


 聞きたいことは山ほどある。


 なぜ、聖女の力が使えるのか。


 聖女の力が使えることを知っていたのか。


 ルーカスは小さく頭を横に振った。おそらく、それを聞いたところでなんの意味もない。


 妹が聖女の力を発動した時もそうだった。彼女も突然だったのだ。それがどんな力かもよくわからず、ただ、『穢れ』を癒すことのできる唯一の力だということだけで使っていた。


 リリアナもまた、小さな生き物を治せる力だと気づいて使ったのだろう。


 無言のまま、ルーカスとリリアナは場所に乗り込んだ。最初に口を開いたのはリリアナだった。


 隣に座ったリリアナはルーカスを見上げて少し辛そうに眉を寄せる。妹が謝るときにそっくりで、思わず目を見開いた。


「お父様、ごめんなさい」

「リリアナは悪いことなど何もしていない」

「おとなしく待っていなかったから」

「場所は指定しなかった」


 ルーカスは短く言うと、リリアナの頭を撫でた。不思議と、怒る気にはならなかった。五年間感情を出さずに生きてきたからといえばそれまでなのだが、こうなることは必然だったように感じるのだ。


 リリアナが王宮に行きたいと言ったあの瞬間から。


「リリアナ。今日使った力のことはわかるか?」


 リリアナは遠慮がちに頭を横に振った。


「あの力は、聖女の力だ」


 リリアナは答えない。しかし、代わりに白イタチをぎゅっと抱きしめる。


 リリアナはルーカスをジッと見上げたあと、口を開いた。


「お父様は聖女の力はきらい?」


 リリアナの瞳が不安そうに揺れる。


「いいや」


 ルーカスは短く言った。


 この力のせいで、妹は世界を背負うことになった。妹に力がなければ、今ごろグランツ家はまだ伯爵家で細々と暮らしていた筈だ。彼女も一人の貴族の娘としてどこかの家に嫁いだかもしれない。


 しかし、彼女の力があったおかげで、今の世は平和になったともいえる。彼女に力がなければ。彼女が力に気づかなければ、いまだ謎の病に苦しみ、家族や友人を一人ずつ見送っていたかもしれない。


 ルーカスはしばしのあいだ、リリアナにこの力についてなんと伝えるべきか悩んだ。


 素晴らしい力であることは間違いない。けれど、それだけではない重みをルーカスは知っている。


 もし願うのならば、リリアナには妹のように一人で世界を背負うような苦しみは味あわせたくなかった。兄として何もできなかったのだ。父となった今ならば。


「リリアナは能力に関係なく、リリアナが生きたいように生きなさい」


 ルーカスは馬車に揺られるリリアナを見下ろしながら、強く誓った。


 リリアナが生きたいように生きるためにできる全てのことをしよう。善を蝕む悪を排除する。もちろん、それで自身が悪になることも厭わない。

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