第44話 エリオットは素直になれない

 エリオットは友人の約束をキャンセルして屋敷に帰った。致し方ない。「新しい聖女が現れた」という知らせが、昼を過ぎたころには学院中に行き渡っていたからだ。


 その聖女というのが、グランツ聖公爵の一人娘であるリリアナだということも。


 授業の合間に何度も聞いた。いつも以上に粘っこい視線を向けられ、うんざりしている。このぶんだと、夕刻にもなるころには、学院の屋根裏や床下に隠れているネズミですら、聖女の噂を知っていただろう。


 エリオットは聞かれるたびに、知らぬ存ぜぬを貫いた。事実だ。エリオットは何も知らない。リリアナが聖女の力を持っていることなど、聞いたことはなかった。


 父が頑なに秘密にしていたのか、はたまた父も今まで知らなかったのか。おそらく後者だろう。もしもこんな重大なことを知っていたのならば、リリアナを外に出すことすら躊躇ったはずだ。


 エリオットは馬車の中で何度も頭を掻いた。


(この前、あいつの前で聖女を悪く言った……)


 はぁ、とため息をこぼす。


 リリアナはエリオットに対して少しよそよそしい。おそらく、嫌われていると思っているのだろう。それを誤解だと伝える機会がなかったのだから、致し方ない。


 初めこそよく思っていなかったのは確かだ。しかし、自分がリリアナにぶつけていた感情は八つ当たりであると自覚している。


 以来、リリアナは少しばかりエリオットと距離を置いているようだ。くまのぬいぐるみくらいではその距離はなかなか縮まらなかった。


 母が死んだのはリリアナのせいではない。リリアナもまた、被害者なのだ。自身の不幸を嘆いていたせいで、悲しみや苦しみを共有できる数少ない家族であることに気づくことに遅れてしまった。


 今日こそ優しくしよう、謝ろうと思っているのに、ついいじめてしまうのだ。


 エリオットにとって、リリアナは大切な妹だった。その妹が聖女の力を持っている。それは、一大事である。学院にいる全員が歓喜の声を上げていたが、エリオットは苛立っていた。


 何も持たない者たちにとって、聖女の力とは、非常に甘い蜜なのだ。


(あーっ! イライラする)


 叔母が聖女として世界を救い、世界中から称えられた。叔母だけではなく、グランツ家の人間も同じように賞賛されていたのは、幼いながらに覚えている。


 しかし、叔母が何者かによって殺されたとき、グランツ家の評価は一変した。いや、正確に言えば、グランツ家に嫁入りした母とその子どもであるエリオットとリリアナの評価が一変したと言ってもいい。


 聖女を殺した魔女と、魔女の子ども。


 当時働いていた使用人の誰かが言っていた。


『聖女を殺めたとき、あの子どもは魔女の腹の中にいた』


 なのに今、「聖女の生まれ変わり」だと言われ始めている。


 そんな世間に苛立った。そんな世からたった一人の妹を守ることができない父に苛立った。聖公爵なんて爵位があっても、なんの意味もない。


 そして、なによりも、ただ「知らない」としか言えない自身に苛立っていた。


 エリオットは奥歯を噛みしめながら、屋敷の玄関扉を潜る。考えごとをしていたせいで、目の前に飛び込んできた塊に気づくことができなかった。


「ミミックッ! だめっ!」


 リリアナの叫び声が聞こえたと同時に、視界が真っ暗になった。柔らかい毛の感触が顔を覆う。この屋敷で動物を飼った記憶はない。顔にへばりついたそれを両手で引き剥がす。


 真っ白なイタチ。エリオットはそれが何なのか知っている。白いイタチのようで、イタチではない。


 脳裏に叔母の笑みが過った。『その子は精霊なの。私の親友で相棒』そう、言いながら頭を撫でさせてもらったことがある。


「……お、お兄様」


 リリアナが遠慮がちに声をかけた。申し訳なさそうに眉を寄せ、エリオットを見上げている。その顔を見た瞬間、エリオットの頭の中にあった言いたいことは全て吹き飛んだ。


 その白い精霊が、リリアナの申し訳なさそうな表情が、聖女だと裏付けているようで。己の無力さをしっかりと形にされているようで、頭に血が上ったのだと思う。


 何も言えず、エリオットは白いイタチを突き返した。


 何か言いたそうに口を開くリリアナを制し、エリオットは使用人に声をかける。


「父上は?」

「執務室にいらっしゃいます」

「わかった」


 短い会話で切り上げて足早に進んだ。リリアナの頭を見ながら、エリオットは眉根を寄せる。


 父のように頭を撫でれば、少しは素直になれるのだろうか。


 リリアナがエリオットを追ってくることも、声をかけてくることもなかった。エリオットは廊下を歩きながら、どんな言葉をかけるべきか考える。次の偶然に備えるつもりだ。この屋敷に住む限り、エリオットの都合など関係なく偶然は何度も襲うだろう。


 その時、今よりはマシな反応をしてリリアナと会話をしたい。真面目な表情を浮かべながら、父の執務室に到着するまでのあいだ考えていたことといえば、リリアナのことばかりだった。


 普通の兄妹とはどのようなものなのかわからない。しかも相手は言葉を真っ直ぐに受け止める五才の子どもだ。


 エリオットはくしゃくしゃと自分の頭を掻きましたあと、執務室の扉を叩いた。

 

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