第41話 聖女の庭園

 王宮は広い。王族の住まい、舞踏会の会場、執務室や客室、使用人たちの住まい、一つ一つ上げていくだけで一つの試験ができてしまうのではないかというくらいには部屋数が多い。


 建物が大きければ、庭だって広いものだ。グランツ家とは比べ物にならないほどの広さがある。この庭園だけで一つの小さな町ができるだろう。狩が趣味だった昔の国王が野生の動物を放った狩場まで有しているのだから仕方ない。


 リリアナは広い庭園の中を真っ直ぐ進む。小さな体で進む一歩は短く、もどかしい。リリアナの後ろを歩くロフのなんとゆったりしたことか。影に映るのんびりとした歩調に小さく眉を潜めた。


「お嬢様、どちらに向かっておられるのですか?」

「前世の私が借りてた場所よ」


 ロフが立ち止まり、ゆっくりと庭園を見回した。付いてこない影を待って、リリアナも足を止める。


「王宮の庭園も部屋みたいに、区画別けがされているの。王妃の庭園は王妃に許された人しか入れない」

「入ったらどうなるのですか?」

「大抵は入り口に施錠がかけられているから、勝手には入れないのよ。でも許可なく入ったら、捕まるかもしれないわね」


 リリアナは肩を竦めた。王族の庭園に招待されるということは、プライベートな空間に招待されているも同じ。貴族にとっては名誉あることだ。逆を言えば、許可無く入るということはプライベートを侵害するということ。


 相手が寛大ならば、許されるかもしれない。しかし、こればかりは相手の機嫌によるとしか言えなかった。


「聖女の庭園はどちらですか?」

「もう少し先よ。静かなところが良いってお願いしたから、結構端のほうなの」


 リリアナの足では少し時間がかかりそうだ。その間にルーカスが謁見を終えて探しにくる可能性があった。


 少しくらい叱られるのはいたしかない。


「こんなことなら、もっと手前側の場所を貰うんだったわ」


 リリアナは大きなため息をついた。


「お嬢様」

「何?」


 リリアナはロフを見上げる。艶やかな黒髪が風に揺れた。太陽の光を吸い込むような黒。夜よりも深いそれが、リリアナに影を作る。


「失礼いたします」


 ロフはそれだけ言うと、リリアナはをひょいと抱き上げた。


「ちょっ! ちょっと!!」

「これでしたら速いでしょう?」


 ロフはリリアナを抱き上げたまま、歩き始める。走りはしないが、大股で早歩き。馬車のように変わる景色にリリアナは目を瞬かせた。


(快適だし、速いけど……! なんか、恥ずかしい)


 五才の子どもならば、大人に抱っこされる程度は普通のことだ。聖女もエリオットが幼いころはよく抱き上げていた。彼は視界が高くなる様が楽しいのか、嬉しそうに声を上げたものだ。


 しかし、現状はそう単純ではない。見た目は五才の子どもでも、記憶は大人なのだ。二十五才になって男性に抱き上げられることなどない。


 恥ずかしさのあまり、叫びそうになった。


 この爆発しそうな羞恥のやり場をさがして、リリアナはロフの服を力強く掴む。ロフは少しばかり歩く速度を緩めた。


「速すぎましたか?」

「……全然。急いで。ずっと真っ直ぐだから」


 速く歩いて貰えれば、この羞恥の時間も早く終わる。リリアナは、馬の尻を叩くように彼の腕を叩いた。小さな手の鞭が振るわれるたびに小さな音が鳴る。


 二人が真っ直ぐ歩いた先では、簡素な鉄製の扉が佇む。檻のような背の高い鉄製の柵が周囲をぐるりと囲み、その鉄には蔦が絡んでいた。厚い生け垣が内部の様子を遮断する。まるで廃墟の入り口のような出で立ちであった。


 リリアナが逃げるようにロフの腕から飛び降りる。ロフはぽっかり空いた空間を残念そうに眺めた。


「こちらですか?」

「そう、ここ。やっぱ五年も経ったらこうなっているか」

「王宮とは思えない出で立ちではありますね。こういう場所は、専用の庭師によって手入れがされるものだと思っておりました」

「手入れしたくてもできないんだと思う。だって、ここ、物理的に聖女の許可がないと入れないのよ」


 リリアナは小さく頭を掻いた。そして、一歩二歩と鉄製の扉に近づく。扉にはしっかりと鍵がかかっている。


 しかし、鍵穴はない。そんなものは必要ないからだ。しっかりと鍵に手を当ててリリアナは目を閉じた。


「聖なる光よ」


 手の平に温かい光が満ちる。


 カチリ、と音が鳴って嗅ぎが二つに分かれた。


「なるほど。聖女の力に反応する鍵ですか」

「そう、昔知り合いが作ってくれたの」


 旅の途中で出会った変り者の鍵師の力作だ。聖女の力を鍵にすれば、鍵をなくすこともなく、安全だと言っていた。おかげで、五年間、この庭だけは誰からも手入れをされずにいたのだが。


 ロフはリリアナの代わりに鉄の扉を推し開く。絡まった蔦が苦しそうに音を立てながら、道を空けた。


「このような頑丈な鍵を設置するということは、何か大切なものが?」

「ぜんぜん。何もないわ。ただ鍵が余ってたし、何より昼寝の邪魔をされたくなかったのよ」


 王宮で暮らすと、来客も多い。その点、ここに隠れていれば誰も入ってこれないのだ。ここは聖女にとって王宮の隠れ家だった。


 鉄の柵で厳重に守っているが、庭には殆ど何もなく、おまけ程度の花と、大きな木。ほとんどは芝生になっていた。


「ここでよくミミックと二人で昼寝してたの。あの木陰の下でね」


 大きな木が気に入って、この小さな区画をもらい受けた。手入れされていない木は自由に伸び、足元には枯れ葉を作る。根をなぞるようにリリアナは空から地面へと視線を移した。


 木の根元には五年分の絨毯が溜まる。その上にまるで雪のような白い塊があった。


「ミミック……?」


 リリアナが小さく親友の名を呼ぶ。すると、白い塊がピクリと体を震わす。ゆっくりと顔を上げた。


「ミミックっ!」


 いつものミミックならば、嬉しそうに走り出す。しかし、今日はただ顔を上げただけで何もしない。リリアナは慌てて駆け寄った。落ち葉が舞う。


 小さな体は苦しそうに息をしていた。


 その苦しそうな息づかいを、よく知っている。何千、何万と見てきた。死神が近づく足音のように静かな呼吸。


(穢れ……)


 リリアナは体のミミックを抱き上げ膝にのせた。小さな体が苦しそうに上下する。リリアナは『穢れ』の存在を手の平に感じた。


「『癒やしの光よ』……この子を救って」


 手の平がまたたくまに温まる。リリアナとミミックの全身が光に覆われた。


 前世、幾度となく使った力だ。手にのる小さな存在は、随分と『穢れ』に蝕まれているようだった。


(時間がかかりそう)


 じわり、と額に汗がにじむ。しかし、腕の中でミミックの息づかいが少しずつ落ち着きを取り戻している。手の平にまとわりつくような『穢れ』の感覚が消えると、リリアナはふう、と息をついた。


 ミミックが顔を上げ、リリアナを見上げる。ミミックはリリアナの頬をペロリとなめた。


「ミミック……。よかった」


 ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、ガサッという葉と葉が不自然にこすれる音が小さな庭園に大きく響いた。視線をミミックから遠くへと移動させる。佇むロフ、そしてその奥には紺の服を纏う男の姿があった。


「せ、聖女様……!」


 叫び声がぽっかりと空いた空間に響いた。

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